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成仏日記【5】父の人間性~暴言~

 父は暴言を吐くのが趣味のような男だった。というか、それ以外の日本語知らなかったのかもしれない。いや、ほんとに。日本語は暴言で成り立っている言語ではないというのに、日本語が可哀想だ。それくらい、暴言は日常茶飯事で、むしろご飯と茶より多かったのではないだろうか。カロリー過多である。

 おそらく、父は自分がしゃべっていることが暴言だと言うことにすら気付いていなかったのだと思う。これがやっかいで、わざとやっているなら悪意を受け流せばいいのだが、無意識にやっているために、一生、父と私は平行線のままなのだ。

 怖いのが、笑っているのに目がキレているのが通常モードだったことだ。自分の顔を毎朝鏡で見て気付かなかったのだろうか。あんな顔した人が職場に居たら恐ろしい。というか居たので非常に胃が痛かった。こういう人間に限って、外面だけは良くて近所のお母さんに「○○ちゃんのお父さんは優しそうでいいね」とか言われるのだ。じゃあ、交換してみます?

 過去のビデオを見返すと顕著であるが、自分の思い通りにならないときの怒気が凄まじい。例えば、まだ一歳にもならない私が、カメラの方をなかなか向かないだけで不機嫌になり、その感情を母にぶつける場面があった。私も不穏な空気に終始真顔である。そもそも、一歳の子がカメラの状況を理解してタイミングを合わせてにこっと笑ったら、それはもはやホラーだ。

 彼は話す時の声も大きいし、それだけで怖いので一緒に住んでいた頃は、なるべく感情の波を刺激しないようにしていた。それが染みついてしまったことで、人の感情に敏感になったり必要以上に情報を受け取って気を回したりするようになったのだと思う。相手の顔色を常に窺い、損ねないようにするのに必死で、少しでも雰囲気が変わったら自分のせいかも、と勘違いをしてしまう。勘違いだとわかっているのだが、その瞬間にはそんな余裕はない。自己肯定感はないくせいに、自意識過剰で恥ずかしい限りなのだが、なかなか治るものでもない。大きな声を出す人は今でも苦手だし、彼らとわかり合えることは地球が滅びてもないだろう。

 これは役に立つこともあるが、代償として吸い取られる生気が尋常ではない。逆に、気を許した相手にはそういったアンテナを緩めてしまうので、仲良くなるとポンコツというのはよく言われる。

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