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『 穏やかな人生の終焉 』

2歳上の兄が急死した。
今朝そんな知らせを甥っ子から受けた。

今回は
ややシリアスでテンションの低いお話で恐縮です。

でも
できたら最後まで読んで下さい^^
あなたと共有したい話題があるんです。

では始めます。

一人暮らしをしていた兄と連絡が取れず、心配で尋ねて来た長女に発見されたとの事。

合鍵は無かったので大家さんと警察官と一緒に部屋に入り確認されたらしい。

話は変わるけどこんなケースは(場面にもよるけど)いくら肉親でもひとりで部屋に入る事は避けた方がいいらしい。

第一発見者になり後々面倒?なことになると言う。
(ホントかな?)
なんとなく理解はできるけど。

この少し前、兄は子どもたちと一度音信不通となった事があるそうだ。

その時は本人が携帯を携帯していなかっただけらしく事なきを得たらしい。

それからというもの子どもたちと毎日「LINE」で生存確認をしていたと言う。

幸いなことにそのお陰で悲惨な状態にならず早期の発見につながった訳だ。

人騒がせだけど幸運な兄貴だ。

そして
とりもなおさず
そこまで気を回してくれる兄の子ども達にも感心する。

現代は核家族化が進み、周りを見渡せば一人暮らしの高齢者ばかりが目立つ世の中だ。

ワタシも含めていつ何時、絶命するか分からない。

身内、特に家族との連絡は密にしていないといけないとつくづく思わされる出来事だった。

ちなみに
これはワタシの個人的な見解です。

高齢者はある一定の諸条件を満たせば「尊厳(安楽)死」の選択も出来る。

そんな世の中に早くなって欲しいと切に思う。

つい先日も仕事中に
後部座席でお客様同士がそんな話題で真面目に盛り上がっていた場面があった。

その考えには至極同感で
「安楽死」の選択肢は歳を重ねて旅立つ人間の尊厳を保ち「極楽浄土」へ導く’’一つの道"だと信じている。

これは決して短絡的な考えではありません。
でも
シンプルな話でもなくとてもナイーブな側面を持つ問題だとも理解しています。

また
私的なお話で大変恐縮ですが15年前二男が脳腫瘍で闘病生活を送っていた時のお話になります。

様々な治療も虚しくいよいよ最終段階に入り医師から「延命措置」(人工呼吸器装着)についての打診がありました。

その回答はワタシの一存ではとても荷が重すぎ対処しがたく家族会議でその方針を話し合ったのです。

最終的に
「本人はそれを望むだろうか?」
「あいつは今意識が有ってその選択をさせたら、きっとそんな延命処置は望まないよ」
と、そんな結論になって家族の意思はまとまりました。

つまり
以下で述べる「消極的安楽死」を選択したのです。

今思い出してもあんな辛い家族会議はなかったなぁ。

以下
Wikipedia 「安楽死」より抜粋

安楽死に至る方法として

1.医師の助けを借りて死に至る「積極的安楽死」と、
2.治療を行わないことによって死に至る「消極的安楽死」の2種類がある。

以下の国々は
耐えがたい苦しみに襲われている患者や、助かる見込みのない末期患者本人が尊厳ある死を希望した際に、積極的安楽死も合法化している国です。

とてもむずかい問題だけど
あなたもワタシも決して目を背けてはいけないのです。

何故なら
「世の万人」が必ず通る道なのですから。

そして
「尊厳(安楽)死」は疑うまでもなく
先立つ人間と残される人間、双方の幸せなのだ。

この話題には声高に反論する「自称・人権派」と名乗る方々がいらっしゃいます。

どうか冷静に「人間の尊厳」をもう少し素直にご理解いただけないものでしょうか。

この世に生を受けた全ての人々は「約束された穏やかな人生の終焉」を迎えたいはずですからね。

いざその場に立てば誰一人として異論はないはずです。

「穏やかな人生の終焉」

最後までご覧いただきありがとうございました🙇‍♂️

ではまた。



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