考察。長野県(信州)!?もののけ姫の舞台はどこだ!

主要キャラのモデル
アシタカ=ヤマトタケル(日本武尊、倭建命)説
 川上タケル(土蜘蛛討伐)
 東征出発
 東征からの帰路
 アシタカの村はどこか
 説1ー岩手県南部(一関付近)
 説2 福島県北部
 たたら場はどこか
 説1山陰中国地方
  1たたら場のモデルが島根県。
  ー乙事主が九州から来たこと。
 説2三重県ー滋賀県の間にある鈴鹿山
 説3長野信州説
 ーアシタカは旅に出てからあまり時間が経過していない。
 ージコ坊の発言。
 ー長野県の地名がよく出てくる
 ー諏訪神社の7不思議 
高野の耳裂け鹿神長官守矢史料館に生贄の鹿の剥製があります。
 ー諏訪神社は製鉄にゆかりがある
 ー長野県はダイダラボッチ伝説多いみ
 ーたたら場に襲撃していたアサノ公方最初の石板に出てくる一つ目の怪物は、シシ神=デイダラボッチ=天目一箇神

全然書いてる途中だけど、投稿しとく。飽きたから

映画もののけ姫の舞台について考察する場所は2つ。

1アシタカの村。2たたら場

1についてはアシタカは蝦夷エミシであることが公式に認められているので、関東以北の東北地方で間違いない。問題はそのどこか。

2たたら場。たたら場の場所については
1山陰側の中国地方。これは岡田斗司夫説。
2三重県ー滋賀県の間にある鈴鹿山
3長野県(信州)私の説
4創作なんだから別にどこにあるかは宮崎駿自身も決めていない。日本各地のいろんな場所から要素を集めている。

舞台を考える上で峻別したいこと
ーデザイン上のモデルとなっている場所と、地理的な場所の違い。
本稿の主要なテーマは地理的な場所。

シシ神の森が屋久島をモデルにしているが、物語上どう考えても地理的に屋久島ではない。
→この考え方後に重要。

アシタカの村はどこか

1についてはアシタカは蝦夷エミシであることが公式に認められているので、関東以北の東北地方で間違いない。問題はそのどこか。

アシタカはエミシのリーダー 阿弖利為( あてるい)の子孫。このアテルイは、征夷大将軍の坂上田村麻呂が800年ごろに倒されます。

飛鳥時代7世紀)頃には、蝦夷は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に及ぶ広範囲に住んでいた。
平安時代、朝廷の支配領域の拡大は現在の岩手県秋田県のそれぞれ中部付近を北限として停止する平安末期になると、蝦夷との血縁的・系譜的関係を主張する奥州藤原氏の支配が東北北端まで及ぶことになる。平安以降もエミシを討伐する話がたくさんあるが、これは山間部に潜んでいたエミシの事だと考える。

鎌倉末期が部隊のもののけ姫なので、アシタカの村は、おそらくすでに大和政権の統治範囲には収まっている。が山奥に暮らしているので、統治されていない。地理的には包囲されている。平野部は朝廷の権力がおよんでいるが、山深い山間部へは及んでいない。

山の中で物見櫓を立ててずっと森を見張っている。環濠集落(防衛用に堀で囲った村)に住んでいる。エミシVS朝廷では、敵陣の中にいるスパイ的な位置。(ひい様が大和政権が弱っていると発言しているので、隠れて暮らしながらも情報は掴んでいる。

えぼし御前がアシタカに旅の理由を聞くシーンがあります。その時、アシタカに国(クニ)はと聞きますが、「東と北の間、それ以上を言えない」と答えていますね。これは、とりあえずエミシ系だけと、それ以上は極秘情報だから教えられないと言うことです。里の場所を明かしてしまうと、討伐されてしまうかもしれません。


説1ー岩手県南部(一関付近)

達谷窟毘沙門堂(岩手県南部の平泉市)、崖にできた神社。坂上田村麻呂がアテルイを倒した後に、その場に神社を作った


説2 福島県北部

悪路王(あくろおう)は、鎌倉時代に記された東国社会の伝承に登場する陸奥国の伝説上の人物。歴史上の人物であるアテルイと悪路王を同一視する説もある。陸奥国は現在では青森のイメージがあるが、本来は福島県南部から青森まで太平洋側の東北を全部さす言葉。

この悪路王の本拠地が茨城県北部の鹿島神社であり、アシタカの村もこのあたりの山にあるとする説。これは蝦夷の居住地としてはかなり南。

たたら場はどこか

1山陰中国地方説

1たたら場のモデルが島根県。
ー島根県は日本の製鉄の中心地。
ー日本神話でも大国主の地域だったり、青銅器が大量に発掘されたり、鉄や青銅に関する優れた技術を持っていた。近代に西洋式の製鉄技術が入るまでは重要な場所
→私の反論。デザインのモデルになっているが地理的舞台ではない。
ー乙事主が九州から来たこと。
あれだけの猪の大群勢が朝廷の中心地、京都付近を超えられる訳が無い。
→私の反論。中国産地ー福知山ー京丹波ー敦賀(琵琶湖の上あたり)を通ってきたので、京都大阪の年にはぶつからなかった。
猪の群勢全てを乙事主が連れてきた訳ではない。猪の群勢は、いろんな地域から集まってきた。それがシシ神の森で集結したのみ。
逆にアシタカが京を超えられるのか?ヤックルに乗ったアシタカの風貌はまさに部外者。朝廷に服従しないエミシが堂々と朝廷の支配権を通過することができるのか。アシタカは旅に出てすぐに、地侍と戦闘している。地侍といざこざがあったのは、おそらく関東地域(当時は田舎)これを、中部を超え、京を越えるまで続けることができるか。
遠征のルートとしては、乙事主の方が人目につかない山間部を通過できるので、日本の主要地域をまたいでの移動はしやすいと思う。


2三重県ー滋賀県の間にある鈴鹿山

この鈴鹿山説の根拠となっているのは私説のたたら場の首領えぼしのモデルが、立烏帽子=鈴鹿御前あるところからきています。立烏帽子=鈴鹿御前の本拠地が鈴鹿山だからという理由です。

WIKIから引用。
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伊勢国近江国の国境にある鈴鹿山に住んでいたという伝承上の女性。女神天女とされ、鈴鹿姫・鈴鹿大明神・鈴鹿権現・鈴鹿神女などとも記されている。文献によっては鈴鹿山の盗賊立烏帽子(たてえぼし)と同一視され、女盗賊・・天の魔焰(第六天魔王もしくは第四天魔王[注 2]の娘)とも記される。
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この天女であり、女盗賊でもあるという二面性はエボシ御前を思わせますね。身売りされた娼婦たちをたたら場に招き入れ、社会から隔離されているハンセン病患者を自身の御殿で働かせているのが、天女としてのエボシ御前です。また、一方で崖から落ちた甲六などの男たちをなんの気兼ねもなく見捨てていく冷酷なところが、悪女としてのエボシです。エボシ午前ってマキャベリストですね。

次に御伽草子の立烏帽子を紹介します。ここでは盗賊としての立烏帽子=鈴鹿御前が登場します。下線部を読めばもののけ姫内のたたら場と似ているのがわかると思います。

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坂上田村五郎利成は、近江国鈴鹿山の女盗賊立烏帽子の討伐を命じられる。しかし立烏帽子は池中の三島(蓬萊方丈瀛州)に御殿があり、渡航する手立てがない。攻めあぐねた利成は思いつき、蟇目矢に玉章を取り付けて立烏帽子と矢文の交換を始める。立烏帽子は、陸奥国の「きりはた山」に住む夫の悪鬼阿黒王を疎んじており、かの鬼を討ってくれたなら利成と妹背の契りを結ぶと持ちかけた。 立烏帽子が仁対玉に声を吹き込んで投げると、玉は利成の前に来て、翌朝阿黒王が湖水の辺りに現れるので射殺するよう教わった利成は、予告通りに現れた8つの頭と多くの眼を持つ5色の阿黒王を射殺して、めでたく立烏帽子と結ばれた
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ここでの阿黒王はもしかするとしし神かも知れませんね。

このエボシ御前のモデルが立烏帽子=鈴鹿御前であるのは間違いがないと思いますが、地理的に朝廷(京都)から近すぎるので、無理があると思います。あと鈴鹿山近辺では、製鉄を行っていた歴史がないのと、近くにらしい湖もありません。

もしかしたら琵琶湖とか??笑。この説はキャラクターデザイン上のモデルになっただけで、地理的な場所のモデルではないのかも知れません。


3長野信州説

ーアシタカは旅に出てからあまり時間が経過していない。
長旅をした描写はない。馬に乗って移動できるのは1日50km程度。ヤックルも同じ程度1日に移動できると仮定しても、東北ー島根の約1,000kmを移動した(20日)は考えにくい。東北ー長野(500km)は10日程度でつく。

ージコ坊の発言。
また、ジコ坊が、ここから更に西に西に進むと、山の更に山奥に人を寄せ付けぬ太古の森がある=シシ神のもりがあると居っています。

京都を日本の中心と考えると。ここからさらに西にシシ神がいる深い森がある。地侍と関東あたりで戦い、その後にジコ坊にあっているさらに西なので、中部地方がちょうど良い

ー長野県の地名がよく出てくる
長野県富士見市にはもののけ姫の登場人物の名前となる地名が沢山あります。乙事、甲六川、エボシ集落。これらは全て長野県富士見市にあります。

調べていると、宮崎駿の別荘が富士見市にあった見たいです。あれ。。。。これもう確定じゃん。しかし、ここで調べは止めません。富士見市は山間の街ですが、群馬側か南

アルプス側かの同定が待っています。


ーたたら場って水の上にあるよね??
まずあれって湖?海?どっち?長野県海なくね??

長野は沢山湖がある。特に諏訪湖あたりが有力(地名が沢山出てくる長野県富士見市の近く)

ー諏訪神社の7不思議 高野の耳裂け鹿
御頭祭では神前に75頭の鹿の頭を供えたが、毎年必ず1頭は耳の裂けた鹿がいたという。

諏訪神社上社で毎年行われる御頭祭(3月の酉の日に行われるので酉の祭りともいいます)には、神野(八ヶ岳の裾野)で捕られた鹿の頭が供えられましたが、その中には必ず耳の裂けた鹿がいたそうです。

神長官守矢史料館に生贄の鹿の剥製があります。

引用元:https://omatsurijapan.com/blog/suwa-ontousai/

完全に頭吹っ飛ばしてますね。これは、エボシ御前がシシ神を倒した時の描写と一致します。

@ghibli_worldのツイートより引用


引用元:https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q353397144
右耳裂けてるっぽくないですか??若干だけど、これに違いない。宮崎駿が注文付けて、耳を少し裂けって言ったに違いない!!


このシーンは鹿が生贄として捧げられているとも解釈できる。
ー諏訪神社は製鉄にゆかりがある
諏訪湖にある諏訪神社は製鉄にゆかりがある神社

ー長野県はダイダラボッチ伝説多いみ

ーたたら場に襲撃していたアサノ公方
侍の浅野家は戦国時代以降中国山地で活躍していますが、その前は美濃国土岐郡浅野村?尾張国丹羽郡浅野村と言われています。この美濃国土岐郡は南アルプスが平野に入る群馬県西側、長野県南東側の県境付近にあります。

南アルプスあたりの逆賊を平定しに来たサムライと考えると、合点がいきます。

信濃川国は現在の地域では、長野県岐阜県中津川市の一部の地域とされています。この岐阜県中津川付近は浅野家の出身地域近辺になります。この地域は、もともと南アルプスの盆地、伊那市などとかかわりが深い地域になっています。

諏訪の歴史
ーミシャグジ信仰(土着信仰・木霊=サン勢力)とタケミカヅチ(上社信仰、出雲族=製鉄技術=烏帽子勢力)、朝廷(下社信仰、浅野公方、ジコ坊勢力)、縄文文化(御頭祭りエミシ=アシタカ勢力)のぶつかり合いの歴史。
もののけ姫もこの戦いをもとにしている

よって!!たたら場は諏訪湖あたりにあった。シシ神の森は、南アルプス!


最初の石板に出てくる一つ目の怪物は、シシ神=デイダラボッチ=天目一箇神

岡田斗司夫はこの一つ目の怪物を呪われたアシタカの成れの果てと言っていました。

ぜ1アシタカはたたらばに残る。ーたたら場では、鉄の温度を見極めるため高温の火を見つめ=片目が潰れる。実際にたたら場あるところでは、一つ目の怪物の話が多い。

でも、これは無理。なぜかと言うと、ダイダラボッチが倒れた時に、タタラ場周辺の木々は倒されてしまった。もう木がないので、製鉄をするために十分な木を伐採できない。元々たたら場近辺は木を切り倒してしまい、ハゲ山になっていました。今後開拓するつもりだった深い森さえもなくなり、たたら場は製鉄を続けることはできません。

たたら場は食糧の生産手段を持っておらず、米を買いに行っています。食糧を作っておらず、生産物=鉄、または鉄によって得た金銭で食糧をえていた、たたら場はこれ以上存続することができません。

弱いものを助け理想郷を作るエボシ御前の夢は、ここで終わりました。


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