もののけ姫の主要キャラのモデルを考察

主要キャラのモデル
ネズミ騒動
たたらばの歌
サン
 サンが踏む骨
アシタカ=ヤマトタケル(日本武尊、倭建命)
 説川上タケル(土蜘蛛討伐)
 東征出発
 東征からの帰路


書いている途中で飽きてしまった。Twitterで同ネタの気づきを投稿していたら、似たことを考察するYoutuberが増えたので、投稿しとく

主要キャラのモデル

場所同定問題の前にもののけ姫の考察で大事な主要キャラクターのモデルを紹介していきます。

烏帽子御前は御伽草子の立烏帽子(鈴鹿御前)

この鈴鹿山説の根拠となっているのは私説のたたら場の首領えぼしのモデルが、立烏帽子=鈴鹿御前あるところからきています。立烏帽子=鈴鹿御前の本拠地が鈴鹿山だからという理由です。

WIKIから引用。
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伊勢国近江国の国境にある鈴鹿山に住んでいたという伝承上の女性。女神天女とされ、鈴鹿姫・鈴鹿大明神・鈴鹿権現・鈴鹿神女などとも記されている。文献によっては鈴鹿山の盗賊立烏帽子(たてえぼし)と同一視され、女盗賊・・天の魔焰(第六天魔王もしくは第四天魔王[注 2]の娘)とも記される。
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この天女であり、女盗賊でもあるという二面性はエボシ御前を思わせますね。身売りされた娼婦たちをたたら場に招き入れ、社会から隔離されているハンセン病患者を自身の御殿で働かせているのが、天女としてのエボシ御前です。また、一方で崖から落ちた甲六などの男たちをなんの気兼ねもなく見捨てていく冷酷なところが、悪女としてのエボシです。エボシ午前ってマキャベリストですね。

次に御伽草子の立烏帽子を紹介します。ここでは盗賊としての立烏帽子=鈴鹿御前が登場します。下線部を読めばもののけ姫内のたたら場と似ているのがわかると思います。

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坂上田村五郎利成は、近江国鈴鹿山の女盗賊立烏帽子の討伐を命じられる。しかし立烏帽子は池中の三島(蓬萊方丈瀛州)に御殿があり、渡航する手立てがない。攻めあぐねた利成は思いつき、蟇目矢に玉章を取り付けて立烏帽子と矢文の交換を始める。立烏帽子は、陸奥国の「きりはた山」に住む夫の悪鬼阿黒王を疎んじており、かの鬼を討ってくれたなら利成と妹背の契りを結ぶと持ちかけた。 立烏帽子が仁対玉に声を吹き込んで投げると、玉は利成の前に来て、翌朝阿黒王が湖水の辺りに現れるので射殺するよう教わった利成は、予告通りに現れた8つの頭と多くの眼を持つ5色の阿黒王を射殺して、めでたく立烏帽子と結ばれた
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ネズミ騒動

神話ー

たたらばの歌

ーひとつふたつは 赤子もふむが
みっつよっつは 鬼も泣く泣く
タタラおんなは こがねのなさけ
とけて流れりゃ 刃にかわる。


サン

サンはモデルらしい日本においてモデルが見当たりません。

スーパーフライ??


https://comingnext.jp/archives/27993



https://ghib-mori.com/mononoke-san-2361


ミヒャエル・エンデのモモ

大きな都会の町はずれに、松林に隠れるように忘れ去られた円形劇場の廃墟がある。この廃墟の舞台下の小部屋に、モモという女の子が住み着く。
ストーリーには、忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人々に対する警鐘が読み取れる。『モモ』という物語の中は、灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの書評はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であると受け止めた。編集者の松岡正剛は、「エンデはあきらかに時間を『貨幣』と同義とみなしたのである。『時は金なり』の裏側にある意図をファンタジー物語にしてみせた」と評した[6]
 
サンが踏む骨
ちなみに、サンがアシタカをシシ神の元へ届ける際、水に入るシーンがあるのですが、サンが踏む骨だけまわりの骨と色が違っています。まわりの骨は灰色で古びていますが、サンが踏む骨は白く新しいです。死骸や骨を踏むと足が腐るという俗信があるそうです。これは、映画のラストで、シシ神の頭を返すシーンでサンも呪われるこのとを示しているのかもしれません。
 
 
アシタカ=悪事の高丸説

安倍高丸と安日王[ソースを編集]

『諏訪大明神絵詞』には津軽地方安藤氏の来歴を語った一説が記されており、安倍氏は高丸の子孫だという。『保暦間記』によると安藤氏は鎌倉時代に「東夷ノ堅メ」とされ、蝦夷管領を委任されていた。その安藤氏は陸奥国の俘囚の長として知られる安倍氏の系譜をひく。つまりは安倍氏・安藤氏のルーツは高丸だという[9]
関幸彦は、敗れし者としての阿弖流為の残影なのか、前九年合戦での敗者としての安倍氏なのかはともかく、彼らは中世的世界で「悪路王」あるいは「悪事の高丸」として再生・復活を果たし、復活する過程で「安日王」と同体化したことで、中世の安倍氏・安藤氏の祖として認識されるまでに成長を遂げ、安藤氏のように敗者を己の祖と仰ぐ自負を持った存在が登場したと指摘している[9]。ただし関の論にあるように、高丸伝説の成立に関して阿弖流為が影響したかは不明である。


アシタカ=ヤマトタケル(日本武尊、倭建命)説

アシタカのモデルは諸説あります、出雲の国譲り神話で出てくる大国主、その息子で、出雲から諏訪の国に渡った建御名方神(タケミカタノカミ)や、アシタカが蝦夷(エミシ)であることは公式に認められており、エミシの英雄であるアテルイなどです。七拳は拳七子分って意味の言葉。案に「長い」ってこと。脛はスネのこと。ナナツカハギで「脛が長い」ってことで、分かりやすく日本語で書くと「足長さん」ってことかな。似たようなネーミングの人物に「ナガスネヒコ」と

悪路王(あくろおう)は、鎌倉時代に記された東国社会の伝承に登場する陸奥国の伝説上の人物。文献によっては、悪来王悪毒王阿久留王などとも記されている。。歴史上の人物であるアテルイと悪路王を同一視する論説やモチーフと

岡田斗司夫は、最初アシタカが祟り神を退治する話が、話が伝聞する過程で権力者によって都合の良いように書き換えられ、源頼光の土蜘蛛退治に繋がったと行っています。私もこの説の一部(話がスレ換わる)は受け継ぎます。
しかし、源頼光の土蜘蛛退治ではないと思います。土蜘蛛退治は、大和政権が朝廷に従わない土豪族を征伐する話がほとんど基になっています。古代日本神話から中世の御伽草子まで何回も繰り返されて出てきます。また、両面スクナや鬼退治もこの類の話とされています。

しかし、源頼光の土蜘蛛退治は、京都の話です。この土蜘蛛の住処は東向観音寺(京都市上京区)とされており、流石にこの場所で起きた話がすり替わるのは難しいと思います。距離的に近すぎます。また、この話は京都の山間部に近い北側で起きているので、エミシのような地方の従わない部族と言うよりは、一盗賊のような一過性の逆賊の討伐話だと思われます。

そこで、長野説を理解するために大事な推論。アシタカ=ヤマトタケル(日本武尊、倭建命)説を紹介。

ヤマトタケルは
小碓尊と言う名前で、景行天皇の次男で日本各地を西征・東征し、数々の土豪族を退治しています。その中でも重要な話は、九州の土蜘蛛と呼ばれる熊襲(クマソ)や、出雲、東北(最北は岩手県南部あたり)のエミシなどです。

幼い頃から武芸に秀で、類い稀な怪力を誇ります。アシタカも木をぶん投げたり、10人かかって開ける門を一人で開けたり怪力でした。また、景行天皇にお前は顔も整っているし、現人神だと言われています。アシタカも水も滴る男前として描かれています。


川上タケル(土蜘蛛討伐)

ヤマトタケルは小碓尊と言う名前で、景行天皇の次男で日本各地を西征・東征し、数々の土豪族を退治しています。その中でも重要な話は、九州の土蜘蛛と呼ばれる熊襲(クマソ)や、出雲、東北(最北は岩手県南部あたり)のエミシなどです。

古事記でヤマトタケルは九州の土蜘蛛討伐の際に、その主領である川上タケルを倒しています。古事記では、川上タケルを対峙する際は、女装して潜入し酒によった川上タケルに剣を突き刺し倒しています。この時、ヤマトタケルは16歳ごろ、女でもイケる若さでした。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、川上タケルの名前をもらって、ヤマトタケルになっています。大和=朝廷側のタケル(一番強い男)という意味です。また、最初ヤマトタケルは川上タケルに対し、自分は日本童男(ヤマトオグナ)と名乗っています。。童貞男を名乗ったと言うことは、ヤマトタケルは土蜘蛛退治まで童貞だったということでしょう。土蜘蛛を退治した後、脱童貞した。アシタカもカヤとやるまで童貞だったのかもしれません。

ちなみに、日本書紀ではアシタカに小刀渡したカヤは川上タケルの娘の名前です。日本書紀では以下のような話があります。
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日本武尊の家臣が言った。「熊襲タケル=川上タケルには二人の娘がいます。姉を市乾鹿文(イチフカヤ)といいます。妹は市鹿文(イチカヤ)といいます。容姿は美しく、心は雄々しいです。たくさんの幣(マヒナヒ=贈り物)を示して、麾下に召し入れるべきです。それで、その消息を聞いて、不意にそこを襲えば、刃を血濡らさずに賊(アタ)は自然と必ず破れるでしょう」
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ここでは、川上タケルの娘カヤが川上タケルの討伐に利用されていますね。

と色々考えるとアシタカが村を追い出された後山を走るシーンがありますが、宮崎駿は、アシタカに最高のシーンを用意してやってくれと指示したと言われています。これは、脱童貞に対する祝福なのかもしれません。

https://yoneco303.hatenablog.com/entry/2020/07/13/212637

古事記では、ヤマトタケルが女装して熊襲タケルを倒した、日本書紀では、熊襲タケルの娘カヤが活躍して倒したとなっており、ここでも朝廷側の権力と賊の活躍が入れ替わっている話があります。


東征出発

ここからは、ヤマトタケルの東征についての話です。私の考えでは、アシタカ顳記(セッキ)はヤマトタケルの東征、主に東征の東北からの帰路(アシタカが西に向かう)から構成されていると思っています。

まず、東征に祭祀、景行天皇はエミシについて以下のように述べています。エミシは「恨みは必ず復讐する。矢を頭髻(タキフサ=髪を束ねたもの)の中に隠し、刀を衣の中に帯刀する。」

恨みは必ず復讐する。これは、祟り神に呪われたアシタカを戦略兵器として西に送り返すひいさまの策略と同じですね。呪われたら、呪い返す忌返しです。

また、髪を束ねているのはアシタカの村人の特徴ですね。アシタカは村を出る際に、このマゲを切り落としています。

また、刀を衣に帯刀するするのは、アシタカがカヤからもらった小型なのことです。

ヤマトタケルは、西征から帰ったあとすぐに東征を命じられます。ヤマトタケルはこのブチャブリに「父は、わたしに『早く死ね』とお思いなのだろうか? 西方征伐より帰って間もない私に、今また、兵卒も与えられず東方へ行けとおっしゃる。父は、わたしの死を願っておられるのか…」と行っています。これは、ひい様が呪われながら死にゆくアシタカをひい様が送り出したのと同じ場面です。

また、この際、ヤマトタケルは伊勢で倭姫(ヤマトタケルのオバ)より草薙剣をもらっています。これはカヤからもらった、小刀ですね。映画同様、ヤマトタケルはこのもらった草薙の剣を美夜受比売(妻)に預けています。

倭姫は困難の時はこの剣を使いなさいと授けますが、ヤマトタケルはこの剣を旅の途中で置いてしまい、そのため、敵に敗れてしまいます。


東征からの帰路

エミシの地域から大和へ戻る途中、八槻の郷で戝を矢で射抜いている。この話は、アシタカが村を出てすぐに地侍に出会い、矢で侍の腕を撃ち落とし、首をはねるシーンです。このアシタカを見て、侍はアシタカを鬼だと呼んでいます。朝廷に下がない勢力(エミシ)=土蜘蛛、鬼と呼ばれることを表しています。
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日本武尊が東夷を征伐し、この地で八目の鳴鏑の矢で賊を射殺した。その矢の落下した場所を矢着(やつき)と名付ける。別伝は、この地に八人の土蜘蛛がいて、それぞれに一族がおり皇民の略奪を行っていた。日本武尊が征討に来ると津軽の蝦夷と通謀し防衛した。日本武尊は槻弓、槻矢をとり七つの矢、八つの矢を放った。七つの矢は雷の如く鳴り響き蝦夷の徒党を追い散らし、八つの矢は土蜘蛛を射抜いた。
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槻の郷の位置


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ヤマトタケルは、七掬脛(ナナツカハギ)を膳夫(カシワデ)にしましたと言う話があります。七拳は拳七子分って意味の言葉。案に「長い」ってこと。脛はスネのこと。ナナツカハギで「脛が長い」ってことで、分かりやすく日本語で書くと「足長さん」ってことです。

足が長い人に食事を作らせた。。。アシタカは、ジコ坊に雑炊を振舞ってもらいます。足が長い人=ジコ坊の長い下駄のことがと思います。

またナナツカは武人でもあります。。引用:k「ナナツカのツカは「長さ」で「ハギ」は防具のこと。よってナナツカハギで、長い防具のとなる。でも、ここでのナナツハギは当然、防具ではなく「人名」。そういう武人がいて、その人物を膳夫…つまり料理人として連れて行ったよ、ということです。」https://nihonsinwa.com/page/1144.html

武も優れているジコ坊に似てますね。

ヤマトタケルの遠征の目的は、鉄の産地などを主要目的地にした交通路の確保でした。ここでアシタカは、祟りが神の後を追ってきたが、平地に出て見失ったと語ります。それに対し、自己防は、この辺りを見ろ、ここも少し前までは村だったのだ。地滑りだかなんだか、村が亡くなったと説明しています。=当時この辺りの交通路が遮断されていたと言うことです。



引用:https://ameblo.jp/kotatukun/entry-11444145974.html
ジコ坊さん、アシタカの椀を見て、「雅な椀だなー」と行っています。よく考えるとエミシの椀が「みやび」であるのは不思議なことですね。「みやび」の意味は「宮廷風であること。都会風であること。」アシタカの村も時より、大和側の人間を遅い、金品を奪っていたのかもしれません。


この時点でジコ坊は、アシタカがエミシであることを見破っており、エミシの話をします。赤鹿(シシ)に乗る勇壮なエミシ。東の田舎っっぺーなのに雅の椀を持っていることに疑念を抱いていますね。

次は、ヤマトタケルが東征の帰路、信濃の国に入る描写です。

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日本武尊(ヤマトタケル)は言いました。(東征で東北付近は平定したが、)「信濃国(=北陸)・越国(=長野県)のみが、少し未だに化(オモブケ=王化=大和朝廷の影響下になること)に従わない」
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この国は山高く谷幽(タニフカシ)。翠(アオ)い嶺(タケ)が「万」も重なっています。人が杖を使っても登ることができません。巌(イワ)が険しいので、石の坂道を巡らしていて、長い峰は数千(チジアマリ)あり、馬は頓轡(ナズミ=立ち止まって)して進まない。
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これは、烏帽子御前が統治するたたら場のこと。侍がたたら場を討伐してきたように、エボシ御前は、朝廷に従っていない。

この信濃国の描写は、エボシたちがコメを買いに遠征している時に、モロに襲撃された場所ににています。以下のシーンでは、険しい崖で牛飼いたちが牛を引いていますが、牛は嫌がって登ろうとしません。たたらばはそれだけ険しい山の上にある共同体=コミューンなんですね。


こぼれ話ですが、私は、サンは当時生理中だったと思っています。ヤマトタケルは妻の一人、美夜受比売が生理中なのをおして婚(まぐ)わったとされています。このことから、サンは生理中だったと思います。最初アシタカがサンと出会ったとき、サンが血だらけでモロの血を吐き出してたのは、生理のメタファーだと思っています。

うーん。なんか逆にもののけ姫の話をヤマトタケルの逸話によせすぎかな。。。自分で思いました。


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西碓日坂に登り立ちて、三たび歎かして「あづまはや」と詔りたまひき。かれ、その国を号けて阿豆麻(アヅマ)と謂ふ。
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群馬県碓氷群・安中市の碓氷峠ヤマトタケルが妻を思って「吾妻はや」と叫んだ描写です。血だらけのサンを見て「我名はアシタカ」と叫んだ描写と似ていますね。


引用:https://togetter.com/li/1542875
ここはちょうど、関東平野を抜けて信濃の国に入るところです。現在では、群馬県高崎市と長野県軽井沢の中間あたりです。



ヤマトタケルは、遠征の後半、信濃に入り(足柄峠の神奈川・静岡県境説もある)で山神の鹿を殺して、白い犬神に導かれる。山上の鹿がシシ神。白い犬神はモロ。

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山の神がヤマトタケルを苦しめようとして、白いしかになって王の前に立ちました。王は怪しいと思って、一つの蒜(ニンニクと言われる。臭いに厄除けの能力)を白い鹿に弾き飛ばしました。すると目に当たって(山の神が化けた白い鹿を)殺してしまいました。
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ちなみに、ヤマトタケルは神を殺していますが、日本神話では、神=妖怪・化け物として登場します。畏敬の念と言う言葉がありますが、神に対し、おそれる心・敬う心どちらも持っているのです。
シシ神はこの深い森の神様ですが、甲六はシシ神を化け物の親玉と呼んでいます。

信濃坂(シナノノサカ=現在の長野県下伊那郡那智いかにも、鉛玉で撃ったのに似ている。


時間関係が前後しますが、ここでヤマトタケルは犬神の白いオオカミに出会います。(本来は、山神シカを殺す前の話です。
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道に迷って、(信濃の深い山から)出る場所がわからなくなりました。すると白い狗(イヌ)が自ずからやって来て、王を導こうとする様子がありました。それ犬に随って行くと、美濃に出ることができました。
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もののけ姫では木霊がアシタカをシシ神の森へ案内しています。
日本狼って灰茶色なのに、モロ一族が白いのが気になってた。烏帽子御前がシシ神を殺したが、伝聞をへてアシタカが殺したことになってもおかしくない。

ヤマトタケルは東征から大和に帰る際、イノシシの神と戦って呪いを受けます。その呪いの痛みはヤマトタケルを苦しめ、後にが原因で死亡する。アシタカもイノシシの神と戦い呪いを西(大和)に向かいます。

また、この猪神と戦ったあと、呪いに苦しみながら道がわからなくなりますが、強引に進みます。そして、酔ったような感覚になりますが、その山の泉の水を飲むと酔いが覚めます。この話は、アシタカががシシ神の泉で傷が癒え、目覚めたシーンになっているのでしょう。ちなみに甲六も泉を通ったあと、傷が治ったー!って叫んでます。(完治したわけではなかったのですが)

行きしなの話で、少し時間関係が前後してしまいますが
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「この野原に大きな鹿が甚だ多いです。吐く息は朝霧のよう。足は茂った林のよう。(野に)行って狩りをしてはどうですか」その野に放火し焼きました。
王は騙されたと知って、すぐに火打ち石で火を起こして、迎え火で焼いて難を免れました。王は「完全に騙された」と言いました。すぐにすべてのその土地の賊衆(アタドモ)を焼いて滅しました。それでその土地を焼津(ヤキツ)ちいいます。

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ヤマトタケルによって、人を困らせる山の神は倒され、ニンニク(蒜)を体に塗ることで、山越えが可能になりました。
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ダイダラボッチが倒れて、深い森が消滅した。

ヤマトタケルの功績とは交通路の確保ではないか 
https://nihonsinwa.com/page/1141.html

ヤマトタケルは日本全国を制圧した優秀な皇子なのに、天皇になることができずに死んでしまっています。優秀な皇太子が天皇にならずに死ぬという不幸はアシタカと言う将来村の長になるべき人間が死の呪いを受け旅立ってしまう話と一致します。


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