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【#音楽】”コロナ・エラ”における音楽シーンの変化ってなんだっけ

久しぶりに戻ってきました(約1年振り!)。

昨年は仕事がかなり佳境に入っていたこともあって文章を書いたり、能動的に何かを発信する余力すらもなかったので、情報をただただ飲み込むことしかできなかった。

そういう反省もありつつ、仕事に慣れてきたということもあって、雑多なテーマを持ってして、備忘録的にかければなと思い舞い戻ってまいりました。

その反省や後悔(?)を踏まえて、noteの趣向を変えて書くことを続けていければなと思います。

前置きはさておき、タイトルの件について話を進めていこうと思います。センシティブなテーマではあるのを重々承知しつつ書き残そうかと。

”コロナ・エラ”突入。正直ビビってます。

今や全世界を文字通り覆い尽くし、圧倒的な感染力と「見えず」「罹っているのかも分からず」の性質を持ち、日々ニュース番組やTwitterのTLすらも染めてしまう新型コロナウイルス(COVID-19)。

日々、僕自身もかなり怯えてます。東京都の「緊急事態宣言」もあって、会社もフルリモートになりましたし(実際4月になる前からリモートになっていましたが)、家での仕事や作業にも少しづつ慣れてきたところでもあります。

”コロナ・エラ”で音楽が受けている影響って

多くの方も目にはしていると思いますが、ライブが中止になったり、フェスが中止になったり。経済的なダメージはもとより、音楽をはじめとしたエンタメ文化(あえて産業とは言わない)が失われてしまうんじゃないかっていう、かなり逼迫した環境にいるのは、一音楽好きとして肌で感じています。

実際、海外の悲惨な現状(これから日本もかなり大変なことになると思います)を見て、この光の見えない不安で暗い洞窟を「いつ」抜けられるかもわからない状態でアーティストが、表現者が何をオーディエンスに届けられるか、その価値が問われているのも事実なのかもな、とも思っています。

たとえば、アーティストがTwitterやInstagramのライブでオーディエンスが楽しめるようなコンテンツを発信したり(星野源とか)、悲しい哉、そういう「表現の方法」が一個アップデートされていく瞬間でもあるとすら思っています。

あるいは、「表現の方法」だけではなくて、「表現者」すら浮き彫りにしてしまうともいえると思います。こういう不要不急の事態になったときに、この現状やリアルを、時代感を生々しくも映し出せるアーティストこそがこれから(いやもう)来る”コロナ・エラ”においても存在し得るのだなということをヒシヒシ感じています。

そういう仮説のもとに考えていくと、ロック・ミュージックとか、そういう音楽はある意味、「平和」だからこそできる音楽なのではないか、とも思うようになったのも事実です。

時代感をエッジーに切り出せるミュージシャンであればこそ、その力強いサウンドや衝動は、深くユーザーの心に元気や活力をもたらし、時代を乗り切るための勇気を与えるとは思いつつも、(別に邦楽シーンがどうとかの話ではなくて、)「ロック風」な「うわべだけ」のミュージシャンは取り残されていくのだなぁ、と。

"コロナ・エラ"=”クアランティン・エラ”の音楽

そんな風に考えていたら、父からこの3曲をレコメンドされました。

で先に謝っておきますが、ロック・ミュージックのことを振ったのにヒップホップソングでスミマセン。

Drake - Toosie Slide

Turbo, Gunna & Young Thug - ”Quarantine clean”

GmacCash - 15 Days Of Quarantine (Official Video)

こういうときの初動の速さ、ほんとにさすがっす。

誰もいない街中を映したかと思えば、Drakeの「#おうち時間」のご紹介。「どんだけいい家なんだよ…」と思えば、GmacCashのなんともラフなMV。こういうある種のユーモアで元気付けてくれる彼らに感謝しながら、Turbo, Gunna & Young Thugの"Quarantine Clean"について。

あ、ちなみに別に曲について深く書くことはしませんのでご留意を。

"Quarantine Clean"という曲名にある「Quarantine」は、「検疫」を意味する言葉なのですが、語源が興味深いです。

quarantineはイタリア語で40日間を意味するが,1377年ペスト予防のためにイタリアでレバントおよびエジプトより入港する船を40日間係留したことから,検疫の意味に用いられるようになった。国内には常在せず,病原体が海外から持ち込まれた場合のみ流行する伝染病を外来伝染病というが,この外来伝染病の対策として検疫が行われる

こうした、隔離された世界のことを「クアランティン・エラ(=隔離世代)」と呼ぶ海外の人がいるということもあって、隔絶された人々の間で新たな価値観や、物の考え方が生まれようとしているのを感じました。

たしかに、どう自分がこれから「生き延びるのか」とか「何にお金を使うのか」、考える時間も増えたような気がします。

そしてそう考える時間が増えれば増えるほど、音楽にオーディエンスが「求めていたもの」は変容すると感じました。

さいごに

自分自身が生きるだけでも、家族や友人を守るだけでも大変なこの世の中で、「本当に勇気をくれるのは誰なんだっけ」という視点でオーディエンスは音楽を聴いていくのかなぁと思うと、僕自身考えや聴き方が変わってくるのかもな、と思いました。

別に高尚で、(昔のRATMよろしく)政治的意見がしっかりしていて、格式高い音楽が残るという誤解だけはして欲しくなくて。紹介している曲も、音楽の好きな人や畑が違う人からしたら「こんな音楽紹介しているヤツの耳や言葉なんて半端モンのクズだ!」とかそういう意見もあるなーなんて。

あるいは、バキバキに「この音楽聴かなきゃクソだ!」「チェックしていないなんてモグリだ!」とかそういう訳でもないです。

というよりかはむしろ、オーディエンスがそういう”耳”を持ったときに、愛され支持されるアーティストが、またこの春の陽気の中で、僕たちを楽しませてくれる、そんな日を心待ちにしながら、日々強く生き抜いていこうと思った、そんなnoteでした。


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