小説 涅槃湯 04
魂の行方
ダンは夢のなかで久しぶりに妹、微笑む未海の眼差しに触れた。
彼女が自殺未遂のはてに植物状態になってから三か月が過ぎようとしていた。
十二も歳の離れた妹で、東京の美大を目指して入学試験を受けに来たときは、彼女をアパートに泊めたことがあった。久しぶりに食べた妹のパエリアは相変わらず不味かった。
未海は美大に見事合格し、夢だったデザインの勉強を始めた。引っ込み思案だが、兄とは似ても似つかない可愛らしい容姿で、勝手にミスコンにエントリーされていたと聞く。その後も、キャンパスライフを謳歌しているようだった。
未海が入学して二年目の春、不意に警察から連絡があり、病院に駆けつけた時には昏睡状態だった。急に途絶えたラインを不審に思った女友達が、アパートの一室でぐったりした彼女を発見したのだ。そ彼女はそして、一度も意識が回復しないまま空しく帰郷することになった。
けれどもダンは、夢で見た未海の屈託のない笑みを思い出すうちに、彼女はまだ死んだわけじゃない。いや、必ず目を醒ます。そんな確信が湧いてくるのだった。
医師によれば、回復の見込みはほとんどないそうだ。天眼マシーンに一縷の望みを託すのは、あまりに無謀だろうか。天眼マシーンなら、未海のまだ活動している脳幹にアクセスできるかもしれない。当たり前だが、医者も両親も取り合ってくれなかった。だが、デス・ラボに問い合わせたところ非常に乗り気である。
ある日、ドイツの脳神経医学の権威、ヴァルツ博士が両親のもとを訪ね、流暢な日本語で未海の意識を回復させる唯一の道であることを説得するまでは。
ヴァルツ博士は、日本での研究活動がながく、日本の大学で教鞭をとり、またデス・ラボの顧問だった。
病院側の承諾を得て、未海がデス・ラボの天眼マシーンにダンとともに乗り込むのにさほど手間はなかったのである。
数人の助手の手で妹がマシーンのハッチのなかに消えるのをみとどけて、ダンもまたマシーンのゼリー状のベッドへと身体を沈めた。
む、む、む、む……。
そこは地底の巨大遺跡だった。ダンは手元のランプの灯りを頼りに、未海を探したが、どこにもいない。やむを得ず目前の石の階段をどこまでもくだった。ここは仮想空間に設けられた、膨大なあの世の研究室なのである。
もっとも、仮想空間とはいうが、ブレイン・マシン・インターフェイスは他者の大脳の深部、すなわち深層意識ともつながることのできる超仮想空間なのだ。
広いホールにでると、石組の門柱の前に出た。門柱の上部には目玉を剥いた獅子面が彫られている。おおきく開いた口が入り口になっているのだ。内部は光の届かない暗がりを呑み込んでいた。奥から唸り声が響いてきた。茶斑のやせ犬が現れ、ウォン、ウォンと吠え立てた。犬は眼が四つあった。
「コラコラ、お客さんに吼えるんじゃない!」
栗色の縮れ毛、彫りの深い目鼻立ちに、髭面の巨漢が、ハリケーンランプを手にして犬の後ろから現れた。水色の横縞Tシャツにバミューダパンツといういでたちだ。
「いらっしゃい」
愛想のいい声だった。
「珍しい犬ですね」
「可愛いだろう。閻魔王が飼っていた犬たちの子孫なのだ」
「名前は?」
「スー」
「スーくん、よろしく」
「はゝゝゝ。メスだよ」
髭面の巨漢が太鼓腹を揺すって笑う。
彼の名をヴァスバンドゥという。彼こそ知る人ぞ知る、倶舎論の著者にしてヨーガの達人である。人間は死ぬとどうなるのか? 霊魂はあるのか? そのような疑問に、どんどん答えてくれるあの世の専門家である。じつは人工知能とヴァルツ博士が結ばれたアバターなのだ。ダンの妹、未海は植物状態にあり、彼に言わせれば、未海の肉体は抜け殻で、彼女は幽体、すなわち意生身の状態にあり、彼女を探すには幽体の彷徨うあの世をあたる必要があるということだった。
「ところで、ヴァスバンドゥさん。霊魂って見れるんですか」
「霊魂は、意からなる身体、意生身と言われ、極めて繊細なマテリアルで組成されているために肉眼では見ることができない。ふつうは同類同士か、深い禅定に入ることによって見えてくる」
「なんだ、見れないんですね」
「まあまあ、あわてることはない。ブッダやその弟子たち、ヨーガ行者たちが、霊眼でアクセスしたとされる膨大な霊魂の生態データは、この倶舎論アーカイヴのなかにいくらでもある。これをアーラヤ識(意識の蔵)と呼ぶ。我々はそうしたデータに、どうやったら君たちのような物質的知覚能力しかもたない者たちがアクセスできるのか、研究に研究を重ねて苦心惨憺したあげく、我々ヨーガ行者が普段行う大脳へのアクセスを人為的に再現することに成功したのだ。それは、君たちの認識器官をいったん遮断し、その状態の中で我々が得たアーラヤ識のデータを、君たちの意識の最高中枢である視床下部に直接送り込むのということだ。もっともこれだけでは、再び大脳皮質が活動を始めると、視床下部にダウンロードされたデータには再びアクセスできなくなってしまう」
「どうして?」
「大脳皮質は膨大な情報を時々刻々と処理している。そこに視床下部にダウンロードされたデータを解凍すると、脳はあっというまにフリーズしてしまう。つまり大脳皮質には自動的に情報を制限する装置が組み込まれているのだ」
「へえ……」
「とにかく、大脳皮質が担う思考機能のレベルを人為的に抑制することで、視床下部のデータを安全に、かつ視覚的に解凍することに成功したのだ」
「よくわかりません……」
「簡単に言うと、われわれも意生身となって、アーラヤ識の世界を観察するということさ」
「それなら分かります」
二人は地獄めぐりのときと同じく意生身となって、郷里に近い大学病院を訪れた。霊魂は意生身の感覚器官を通してしか見ることができないのだ。斑犬のスーも一緒だった。スーは人の死を嗅ぎ分けることができる。平べったい大きな鼻を鳴らすと、誰かが死ぬという。
スーが不意に脚を止め、四つの眼を細めるとクゥクゥと平たい鼻を鳴らした。
見上げれば、病棟の窓から、ふわっと浮かび上がったのは、幽かに乳白色に発光する雲の塊であった。その病棟からは親族の嘆き悲しむ声が漏れてきた。ヴァスバンドゥ曰く、雲の塊は霊魂だということだ。
「気の毒に。あの霊魂は動物に転生してしまうのだ」
「どうして判るんですか?」
「よく見ると、尾っぽのついている霊体じゃないか」
ヴァスバンドゥは言う。
「死後の意生身はつぎに生まれ変わる生命形態を先取りする。人に生まれるならば人の形をし、犬や猫に転生するものはその形をとる。これを中有、中陰ともいう」 「まさか妹が生まれ変わるというこはないよね?」
「可能性はある」神妙な顔つきでヴァスバンドゥは続けた。「完全な脳死状態に移行した場合だが」
「なら早く探さないと」
中有は、漢訳で識神と訳される。識神に対応するパーリ語はヴィンニャーナ(識)である。ただしパーリ仏教には中有という概念はない。死と再生の間に中間はなく、いっきに転生するとされる。もっともこの場合でも、天人、餓鬼、地獄の亡者は意生身、意識から作られた身体として再生する。中有はガンダッバ、香陰とも呼ばれる。ガンダッバは楽神の意味もあるが、紀元前八世紀ごろの古いインド文献によれば死後の魂を意味している。
スーがまた鼻を鳴らした。ダンは周囲の窓を見まわした。どこにもそれらしき影はない。ヴァスバンドゥが空を指差した。
「かれは天界に生まれる」
そこには両腕を広げて、まっすぐ天空へと飛翔する光り輝く霊体があった。
ふたたびスーが鼻を鳴らした。平たい鼻の先に目を遣ると、窓から赤黒い炎に包まれて墜落していく霊魂があった。
「彼は阿鼻地獄行きの中有だ」
「火達磨だ」と言って、「本当なら、病院はいつも火元ですね」
ダンは腕組みした。
「はゝゝゝ。火事の夢を見たことがあるかね。それで目が覚めたら枕が焦げていたらことだね。寝たばこでもしていたら話は別だが。
倶舎論に似たような問答がある。例えば一匹の雌犬の胎で、火に包まれながら地獄に墜ちる胎児がいた場合、どうして母犬は炎に焼かれないかという。それは地獄仕様の感覚器官を得たものだけが、地獄の炎を体感するからさ」
深夜の病院の窓からは、つぎつぎと霊魂が現れる。ダンは昇天もせず、墜ちもせず、地上に近い上空に浮かび上がって、あちこちとさまよう霊魂を見た。自在に空中を猛スピードで移動し、鉄やコンクリートの壁などは素通りしている。
ヴァスバンドゥがいった。
「中有は一種の超自然能力を持っていて、意のままに高速で地上を移動するのだ。大都会の摩天楼も彼らの飛翔を邪魔できない」
「いいな。自由に飛べるのか」
「イヤイヤ、ところがあまり楽しい時間とはいえない」
「どうしてですか?」
「たとえば多くの霊魂が、ふだん味わえた食べ物が得られないので、それこそ餓鬼のようにあたりをうろつく。あの世じゃ、コンビニも自販機もないからねえ。これが本人にとってみれば死にそうなくらいつらい。もう死んでいるのだが」
「すると餓死することもできない」
「ハヽヽヽ。中有は食香(じきこう)と言って、香りを食べて力を得る。だがそれも生前の行い次第だ。人助けなどの徳を積んだものは良い香りの食べ物を味わうが、普通は悪臭が満ちる食べ物にしかありつけない」
「死んで肉体がないというのは辛いことだ」
「そう。好き放題に貪ってきた者の死後の苦痛たるや想像を超えたものだ」
「いったいどれくらい中有のままさまようのだろう」
「七日という説もあるし、四十九日という説もある。ただ死者にとっては人間の時間などほとんど意味がない。夢の中の時間のようなものさ。絶え間なく烈しい閃光や大音響に苛まれ、孤独さ、惨めさと極度の不安感、追われるような恐怖感から必死で逃げ惑う……。そこで、とにかく早く生まれ変わりたい。そのように切望するのが中有さ」
ヴァスバンドゥはダンをとある郊外の雑木林に案内した。
「死霊たちの幻覚が作りだした風景を見てみよう」
そこは大暴風雨のなかだった。低く垂れ込める暗雲が乱れ飛び、稲妻が炸裂した。雑木林の上空には、淡く光る霊魂たちが無数に舞っていた。必死で身を寄せる場を探し回るが、なかなか落ち着ける場所が無いようだ。ついには疲労困憊して、荒れ果てた造成地に繁茂するブタクサに逃げ込んだ。草叢のなかは温かい。そこで漸く眠りにつく。
ある霊魂は猛吹雪に襲われて立ち往生していた。妄想だから現実の季節や天候などは意味をなさない。夏の盛りでも、凍てつくような極寒の吹雪に晒される。どこに隠れても、みるみるうちに降り積もる豪雪に飲まれそうになる。やがて、遠くにぽっかりと空いたちいさな洞をみつけ、必死にその中へ逃げ込む。また有る霊魂は、軍隊が迫るような号令や喧噪から逃げ惑い、くたびれ果てて竹林の藪に身を隠す。
「このような幻覚は母胎に入るまで続く。もっともどんな幻覚かは見るひと次第なのだ」
「というと?」
「福徳ある者たちは、花園に覆われた庭園や光に満ちた宮殿に登るというビジョンを見る。天界に誕生する霊魂は、清浄で光に溢れた環境に惹かれていく。天界では母親となる天女の膝の上に、忽然と誕生する」
「妊娠とか出産もなく?」
「ないのだ。これを化生という。化生とは意識から成る身体、意生身として生まれることだ。だから生物学的成長を必要としない」
古来より仏教では誕生の仕方を四種に分類している。人や獣など母胎から生まれる生物は胎生である。鳥類は卵生、蛆や蚊などの蟲類は湿生という。湿生というのは、屍、腐敗した水など湿気から生ずるからだ。地獄の住人は化生だ。すでに成長した姿で地獄に現れる。倶舎論によると、胎生と卵生の霊魂は遙か遠方であっても、未来の両親である男女の夜の営みを察知して、瞬間的に移動してくるという。そして男性として生まれる者は母親に非常に惹かれ、父親を憎悪する。また女性として生まれる者は父親に愛着を感じ、母親に嫉妬を感じる。首尾よく受精の場に居合わせた霊魂は、その受精卵が自分だと考えて漸くほっとする。しかし両親が避妊をしていたり、その日の体調などのために受精が不可能であったりする場合はいったんお預けとなる。なかなかチャンスが巡ってこない場合は、あきらめて他の両親をさがすしかない。すでに激しい生存競争が始まっているのだ。ことに今のような少子化の時代は大変だろう。
「両親の奪い合いか……」
「親というものはありがたいものさ」
「地獄の亡者にも親がいるんですかね?」
「親はいない。地獄の亡者は化生だからね。大人のまんま地獄に墜ちる。ただ地獄の環境に惹きつけられるのだ」
「地獄でしょ?」
「そう。ある者は身を切るような寒風や冷たい驟雨に悩まされて、熱地獄の火炎が暖かそうにみえる。反対に身を焦がすような熱風や火炎に悩まされたものは、寒冷地獄からの風を涼しく感じ、好んでそこに墜ちていく。生前の仲間を発見して、そこに強く惹かれていく者もある」
「飛んで火にいる夏の虫か」
「どんな境遇でも、幻惑によって惹かれていく。胎生と卵生の生物に生まれ変わる者は、交接する雌雄に惹かれていくが、神や地獄の亡者に転生するものは環境に惹かれる。昆虫など湿生の生物に生まれる者は腐敗した匂いに惹かれていく」
ふたたび病院にもどると、斑犬のスーが盛んに鼻を鳴らした。死びとたちが大病棟のあちこちからぽつりぽつりと浮かび上がった。ジーンズの若者、恰幅のいい背広の男性、小学生の女児、子供を抱いた母親、白髪の紳士。みな蒼白い顔色で無表情だ。押し黙ったまま宙に溶けるように消えていく。
「新米の亡者たちだ」
「何処へ行くんだろう」
亡者たちの国は餓鬼界にある。餓鬼界は地底五百由旬(三千五百キロ)を過ぎた閻魔の司る国に有るとされる。餓鬼とは梵語でプレータと呼び、亡者を意味する言葉だ。古代よりインドではプレータは祖霊供養によってピトリという祖霊の一員とならなければ救われない。縁者の供養がなされないと餓えた亡霊となってしまう。
パーリ仏典の餓鬼事経によれば、激しい執着や怨念によって生まれるのが餓鬼の世界だ。パーリ語ではペータという。供養がなされない限り、亡者たちは猛烈な飢餓感を癒やされることなく人の世を彷徨う。だんだんと生前の面影は無くなり、骨と干涸びた皮ばかりになる。喉は数珠が浮き出たように痩せ、落ち窪んだ眼だけが燠のように赤く血走る。そのような亡者たちも縁者の供養によって天界に昇るとされる。餓鬼たちは、黄泉の国のみならず人間世界とともに生きているのだ。ただし餓鬼は餓えた鬼ばかりではない。本来は亡霊を意味するプレータには、神々のような威厳と能力を備えた死霊たちが存在するという。
「ところで妹にはいつ会えるのかな?」
「まあ、そんなに焦りなさんな」とヴァスバンドゥは医者のように腕組して目を細めた。
「彼女が幽体の状態のまま、どこへ彷徨っていったのか、すべては彼女の心の状態によるのだ。すべての存在は心が先行し、心が作りだすとブッダは説いている。いわば仮死状態にある妹さんを探すには、さまざまな心の状態が作り出す仮構の世界をくまなく追っていかねばならない」
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