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ベルリン廃墟ツアー③ソ連軍兵舎跡

夏休み最終日。今日は朝から廃墟ツアー仲間の友人と少し遠出をした。公共交通ではアクセスしにくい場所にあるので、友人の旦那さんの運転する車に乗せてもらった。

道すがら、どこかで目にした風景が飛び込んでくる。この辺りに来たことがあるような。距離的にも方向的にも同じような場所なので不思議もないだろう。地図で確認したところ、やはりそうだったようだ。何もないところなのに、見覚えがある、というのも不思議な話だ。

目的の場所は割と街中に普通に残っていた。こんな広大な敷地がそのまま放置されているのだから、ベルリンの郊外にもまだ開発の伸びしろがあるということだ。ここにもそのうち近代的な住居ブロックが建設されるのだろうか。

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壁紙の剥がれた壁にソ連時代の新聞が貼られていた。日付は1987年1月27日。イズベスチヤ(Известия)というロシア語で「報道」を意味する日刊紙である。ソ連政府の政府見解が発表される公式紙であった。

2005年に政府が保有していたガスプロムによって買収されてしまったため、それほど大統領を批判する記事も掲載できなくなったはずである。

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こちらはプラウダ(Правда)。イズベスチヤとは対角にあるソ連共産党の機関紙。日付は1989年11月20日。逆さまに貼り付けられているので、読むために使われたものではなさそうだ。壁紙を補強するために使われたのだろうか。

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今日は階段で上まで登ってみることにした。壁の塗料は剥がれ窓枠もずれている。窓ガラスが壊されているのはどこも同じだ。

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屋根の構造が面白い。天井もかなり高い造りになっている。

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反対側の階段にはまだ手すりが残っていた。

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最上階には温水と暖房の設備らしいものが残っていた。建物の中を3人で移動中に、「パーティーはどこでやっているか知っていますか?」と割と年配の二人連れに話しかけられた。

実際、こういうロケーションでパーティーが頻繁に行われているのだ。比較的ベルリン市内からも近く、ロケーションとしてはもってこいなのだろう。ここも今の状態のまま永久に残されるということはないので、パーティー会場や撮影ロケーションとして使えるのも時間の問題ではないかと思う。

こんな風にベルリン市内ではさすがに目にすることのなくなった廃墟が、郊外に出るとまだ若干手付かずのまま残っている。

ここもかなり規模が大きいので再訪するだろうし、次はどこへ行こうかな。本当はそろそろ旅に出たいタイミングなんだけれど。



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