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「キアヌに会いたい」と思ってしまった女性の日

「キアヌに会いたい」そんなこと2日前にはちっとも思っていなかった。思っていなかった、といえば嘘になるが、具体的に本気で会おうとは考えもしていなかった、といえばいいだろうか。

いつものようにツイートを何気なく見ていたら、よく知っている映画館の写真とこんなセリフが目に止まった。

「キアヌに会いたい人は明日18時前にツォーパラストへどうぞ。」

思わず「えっ」と声が出てしまった。さらっと何気なく書かれているが、これはもう行くしかないのではないか、思わずそんな気にさせてしまう何かがそこにはあったのだ。たまたまだとはいえ、ローゼンさんのツイートが見れたのも運がよかった。

3月8日は「女性の日」でベルリンは祝日だ。ドイツではベルリンの他に今年からメクレンブルク=フォアポンメルン(MV)州も祝日になった。「女性の日」にジョン・ウィック:チャプター4のプレミア上映を持ってくるのも粋なやり方である。ちなみにベルリンでは2021年に撮影も行われている。

この日は祝日で相方も家にいるので、ちょうど20時からウクライナから招待された劇団の公演を観に行く予定にしていた。時間的に許されるのは18時から19時半までである。それでギリギリ。仮に足を運んだとしても小雪のちらつく寒い中、震えながら待ってそのままちらっと姿を拝むことすらなく涙目でシアターに向かう必要があるかもしれない。こういうときは最悪のシナリオばかりが頭をよぎる。それとも、やはり公演と時間が重なっていなかったのも何かの運なのだろうか。

ただ、息子が昨日まで体調を崩して学校を休んでいた。そのせいか、少し風邪っぽい症状もある上、身体も怠い。さて、どうしたものか。そんなふうに思いながら友人のツイートに反応した。すると、どうだろう。キアヌ好きの友人たちが行ってこいと煽ってくれるではないか。

ここまで言われて「わかった、じゃ、行く」となったとして、実際に会えなかったらそれこそいいお笑いネタだよなぁ。しゃーない、笑われに行くか。最初から諦めすぎである。いつもの勢いはどこへやら。会える気なんてこれっぽっちもなかったが、それなら最後の1%に賭けてみようではないか。

子どもたちに「ママー、今日はどっか行く?」と今日の予定を尋ねられたので、「まずキアヌが来るといううわさの映画館の前で様子を見てから、少なくとも映画館の写真だけは撮って、その後にウクライナのシアターを観に行く、という感じかな」、と伝える。息子がすかさず「え、でもママ、キアム(キアヌだよ、キアヌ)にそんなんで会えんの?人いっぱいいるやろ?」と、容赦ない彼らしい指摘。ちょっとコーディネーターの血が入っているのか、考えが非常に現実的なのだ。そう、その通り。ただ、そこに行っただけで会えるような簡単なことではないのはわかっている。

日本の桜の花見くらいの気合いで臨まないと、レッドカーペットの側には近づけない。それくらいはベルリン映画祭で実際にレッドカーペットを歩く真田浩之さんにインタビューしたことがあるのでわかっている。撮影許可証があってこそのベストポジション取り。そうでなければ15分前にいったところで、人の頭しか見えないだろう。半ば言い訳のようなシチュエーションばかりを想像し、何をやってるんだと自分でも呆れるより他はなく。

そんななか「行かな後悔しそう」と肩を押してくれた関西勢の友人がふたりいた。「そうやんな、行くわ」。後悔、という2文字を目にした瞬間、決行のGOサインがはっきりと出た。そして、寒いのと観劇もあるので18時15分前くらいに到着するつもりで家を出た。人人人、やはりそうなるよなぁ、この時間だと。写真でも分かるようにJOHN WICKのロゴの入ったメインステージからほど遠いところにしか立てない。反対側に回ることも考えたが、一列目を確保できるようゲスト専用入り口付近で大人しくじっと待ってみることにした。今日は撮影用の許可証である「アクレディ」がない。関係者が紐でブラブラぶらさげている通行許可証のようなものである。

「やはり遅かったか」。そんなことを思いながらふと横を見ると若い男性の姿が目に留まる。他の人は一体いつからここで待っているのだろう。「もうどのくらい待ってるんですか?」そんなことを何気に聞いてみた。「ここに来たのは1時間前くらいだけど、実はぼくバーデン=ヴュルテンベルク(BW)州からベルリンに8時間かけて来たんです。このためだけに。」

「えっ?8時間!?」思わず声が大きくなる。何を隠そうこの私、自宅からここまでの所有時間わずか30分ほどでしかない。その上、18時15分前を目処に到着したばかりなのだから。ちょっと待て、なぜその彼が私と同じくこんな隅っこの方にいるんだろうか。少しして気付いたのは彼が上半身をかなり傾けてしか移動できないこと。左足が悪いのだ。この足だとあの人混みの中、何も支えがないところで長時間待機するのは難しい。それでもここまで彼はやってきてキアヌを待っている。頼むよ、キアヌ、一刻も早く彼に会ってあげてください。お願い。

とにかく寒い日で普通に立っているだけで体が芯から冷えてくる。隣にいる彼もいろんな意味でうっすら涙目になっているのがわかる。と、ここで、カチッと変なスイッチが入ってしまったのだ。そう現場にやってきた瞬間に入る「仕事モード」である。

周囲を目を皿のようにして観察。ガードマンの位置と特にカメラマンの待機している位置を確認。どこからキアヌが入ってくるのかという動線が分かるからだ。それを確認して彼に伝える。「恐らくあそこから入ってきて右に曲がると思います。右手にメインステージがあるから。だから何とか彼にはここまで来てもらわなきゃサインをもらうのは難しいと思う。」(なんとかするから任せろ)職業病というものは恐ろしい。キアヌが到着したのも進むルートも予想通り。さてどうする、と考える暇もなく普通に彼に向かって声が出たのである。「仕事モード」だから。

「ミスター・リーブス!!ここにすでに8時間もあなたを待っている男性がいます!どうかこちらへ来てください!」

身も蓋もない。待っているのはみんな同じだからだ。そして厳密にいえば「8時間」というのはあくまでも彼の移動時間である。2回目に呼び終えたところで、キアヌの視線がこちらに走った。そこで確信した。間違いなく彼の努力は報われる、と。もらい泣きしそうになりながら(カメラマン失格)なんとかサイン中のキアヌを捉えたのがこの写真だ。これ以上は無理だった。本当は大声で呼ぶ代わりに動画も撮るつもりだったし、なんならツーショットでもしてもらおうか、なんて呑気なことを考えていた。自分のことだけを考えるのをやめたのは、キアヌのおかげだろう。そんなことを後にコーヒーを飲んで心を落ち着けながら思ったくらい。いや、キアヌというより、キアヌにサインをもらうために8時間かけて来たという彼の横に立ったのも何かの縁なのだ。

これがあのときの精一杯

ただただ、わざわざ動線を外れて右ではなく、まず左に来てくれたキアヌには感謝を伝えたかった。彼に向かって自然にすっと手が出た。(そういえば引力の話をしてくれた友人もいたような)

" Thank you so much, Mr. Leaves, I love you."

本人を目の前にすらすらと口から出たのはこんなセリフだった。これで大阪にいる友人の愛も伝えておけたはず。そして自然に出てしまった右手をキアヌが握り返してくれた。

サインを無事に受け取るのを見届けて、隣に立っている彼と涙目になりながら別れを告げ、シアターに向かった。気力を使い果たしてしまったので、このまま一直線に向かうのはなんだか危ないと感じ、一旦スタバに入ってソファーに腰を下ろした。「なんだったんだ。まさか本当にサインがもらえるとは。8時間もかけて来た甲斐があったよなぁ。握手かぁ。」

キアヌは思っていたより細身で背もそれほどは高くなかった。そして思った以上にオーラがすごかった。もう今年は大して何もやっていないのに、やり切った感が満載である。どうすればいいんだ。



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