ゴジラの記憶 #11 「ゴジラ対ヘドラ」
初見は、リアルタイムではなく30歳前後。確かレンタルビデオで観たのだった。
昭和の若者と言えばゴーゴー!映画やドラマで若者風俗を描くとき、決まって出てきたのがゴーゴークラブであった。これが後のディスコやクラブ、パラパラダンス辺りまで続いてると思うのだけど、そう言えば最近はそういうの、無いなあ。ダンス部等ですっかり市民権を得たからかもしれない。逆に言えば、当時は軽薄な若者文化の象徴として、ネガティブに描かれることが多かったと思う。
怪獣映画とて例外ではない。ゴーゴーやらにうつつを抜かす若い奴らはロクなもんじゃない、という共通認識が作り手側にあったのではないか。例えば1965年の「大怪獣ガメラ」。まだ悪役だったガメラが東京を襲い、警官がゴーゴークラブに集う若者たちに避難を呼びかけるが無視される。で、あっさりガメラに踏み潰される。いくらなんでも、んなこたない。例えば同年公開の「フランケンシュタイン対地底怪獣」。テレビでゴーゴーに熱狂する若者が映されており、突如謎の雄たけびをあげる。で、研究所でテレビを見ていたフランケンシュタインがそれを観て怯え、暴れ出す。私はいまだに、あの番組が何だったのか、わからない。
おそらく、これが当時の大人の見方だったんだと思う。何か、自分らの理解の範囲外で若者が熱狂している。それが訳わかんないし、少し不気味でもある。だから、怪獣に踏み潰されるし、フランケンシュタインだって怯えるのである。
しかし、この「ゴジラ対ヘドラ」は違う。こっち側の若者が主人公なのである。71年という時代を反映してか、出てくるゴーゴークラブのサイケさにも磨きがかかっており、その中で、ボディペインティングと見まがうばかりのピタッとした肌色のボディスーツを着て歌い踊る女性がヒロインである。これがまた、登場時はアングラで、ゲバゲバで、目つきもどこかトローンとして、何かキめているのではと、思わせる程なのだ。しかし、怪獣映画のヒロインであるから、実はいい娘。当然、ヘドラが来れば避難するし、車の運転は上手いし、子供にだって親切ないいお姉さんなのである。
そして極めつけは富士山麓100万人ゴーゴー大会!怪獣の出現で閉塞した世間をパァーッと明るくしようという事で主人公達が企画したが、準備不足がたたり、集まったのは100人足らず。でもせっかく集まったんだからということで踊るその姿はどこまでもポジティブだ。そこには、若いモンが破廉恥な事しやがって、とかいう蔑視感は微塵もない。若気の至りをここまで肯定的に受け止めている怪獣映画を、私は他に知らない。
でも、そんな世間の目を描いてないかと言えばそんなことはなくて、暗闇に佇み若者たちを眺める地元の村民たちにそれを象徴させているのだろう。しかし、その目つきはいかにも八つ墓村的というかジトーっと湿気を含んでおり、かがり火(アンプから音は出ているのだから電気はあると思うのだけど)の中で乱痴気騒ぎを繰り広げている若者とのコントラストが、より鮮明なものになっている。
ご存じのとおり、ヘドラは公害が生み出した、いわば高度経済成長の歪みを象徴する怪獣である。そのヘドラが核の申し子であるゴジラと戦う、非常にメッセージ性の高い映画なのである。坂野義光監督は、その向こうに富士山麓100万人ゴーゴー大会のような無鉄砲な若者のパワーを配置し、希望を見出そうとしていたのではないか。このおかしな世の中を変えることができるのは君たちなんだと、そう言っているように思えてならない。その割にこの映画の若者たちは空回りばかりしていて、何の役にもたってないことも含めてナウでハッピーなヤングたちへの温かい目線が印象に残るのである。
あ、勿論、「水銀コバルトカドミウム~」で始まる主題歌のインパクトやゴジラに空を飛ばせてしまう強引さがゆるぎないのは言うまでもないのだけど。
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