ダークグラスで世を捨てる
【ネタバレ】
✳︎この一文はネタバレを含みます。まだ観てない人は読んじゃダメ。おじさん言いましたからね。
ダリオ・アルジェントの10年ぶりの新作とあって見に行ってきました「ダークグラス」。「サスペリア」の美しい色彩美、不気味な音楽、残酷な描写。それらが渾然として夢のような、それでいて変に現実感のある作風。この味付けが、まるで吉祥寺の老舗居酒屋の焼き鳥の様に、魅入られた人だけ呼び寄せる。アルジェントは私の中でそんな監督です。
1960年代から2020年代と長きにわたってジャッロ映画を牽引してきた巨匠という評価ですが、80年代に中学生でレンタルビデオ文化全盛の中、リアルタイムにイタリアンホラーに接してきた身としては、当時はジャッロなんて呼んでいなかったし、あの頃の記憶では個人的にはイタリアンホラーの大物監督はルチオ・フルチでした。ゾンビ的な怪物が活躍するし、残酷描写はすごいし、話はよくわからないが地獄は確かにある!的な面白さがありました。
というわけで80年代からずっと私の中ではアルジェントはホラーというよりサスペンスというか、幻想譚、悪夢譚とも言える様な作風という認識なのです。何と言っても絵面が綺麗。残酷描写とのコントラストが計算されているかは分かりませんが、実に慎重に画面の中に映るものをコントロールした作りになっている。
例えば「盲目の人」「犬」「不快な虫や蛇」「黒の革手袋」など、今回のダークグラスでも、もはやアルジェントの様式美とでも言うような、同じモチーフが繰り返し使われていて、それがまた80年代的な印象を与えるのに効果的だったりします。それはまるで、そのモチーフを順を追って見せられていくことで観客が、久しぶりに訪れたかつての馴染みの居酒屋の焼き鳥の味を思い出すとでもいうような塩梅なのです。
画面作りはさらに自然体ながら意識的に行われていて、さすがアルジェントというべきかもしれません。例えば主人公ディアナがイタリアのどこに住んでいて、どんな街か、人々はどんな暮らしか、などは一切観客に余計な情報を与えない様に作られている。ディアナが映るシーンには多くの場合、植物のグリーンがおそらく意識的に配置され、無意識のうちに観客の目にディアナの口紅と植物のグリーンが補色の関係になる様に映されている。そしてこの補色が映し出されいるときは、おそらく犯人が近くにいる時という風に作られている。
作品の冒頭は日食ですが、この時点ではまだディアナは視力を失っておらず、やや目に違和感を感じてサングラスをかけているだけ。日食と聞くとその後ゾンビが大発生したり、鷹の団が壊滅したりするのを想像するわけですが、今作ダークグラスでは暗示的にそれが示されるだけ。これ何の意味があるの?ハッタリ?という指摘も各映画サイトで散見されました。
個人的な解釈としては、ディアナの目に映る赤と緑が日食によって黒になる。つまり今まで住んでいた世界が黒の世界に一瞬にして変わったのだという暗示ではないか?ディアナの「カウンセリング」は生活する上で必要不可欠ではあるが、宗教的聖地を抱えるイタリアでは喜ばしいことであるはずもなく、そのことで家政婦を解雇することにもなってしまうほど、宗教的倫理に反しているわけです。
日食の瞬間以降、ディアナは今まで直視してこなかった黒の世界、闇の世界に生活の全てを依存しており、その闇の世界とは善意の顧客もいれば、倫理など当初から持ち合わせていない、理解不能の人間も多く存在する世界だということを実感するようになる。これ、ネットの世界の暗示だよなと思いながら見ていると、さらにアルジェントが意識的に作っていることに気づきます。
ディアナは携帯を持って仕事には使っているけれど、SNSをやっている様には見えないし、そもそも家族も友人も描かれていない。どうやって今まで生活してきたのかも全く不明の女性としてただ存在している。これはアルジェントが今作をなるべく自然な形で極力寓話的に作ろうとした結果なのではないかと。ネットがない時代なのかなと思えば、きちんとNintendo Switchが出てくるし、チンはスマホらしき携帯で電話をかけてしまう。
しかも逃亡中に携帯を置いてきてしまうし、作中ネットを使用している人も場面も出てこない。これはあれですね、ネットの闇を闇として中心に持ってきてしまうと、今作で描こうとしているディアナが対峙している理解不能な男性たちという闇が霞んでしまうからなんでしょう。
川での水蛇ルーティーンもしっかりこなして「不快な虫・蛇」をクリアしてからのネレア大活躍で、多くの犬好きが拍手喝采の大団円となるわけですが、ラストシーンはディアナがネレアを抱きしめるところで終わる。なんか普通のサスペンスだなぁとお感じになった方もいらっしゃったかと思います。ですが…
作中ディアナがネレアを守護天使と呼ぶ場面がありました。そしてラストシーンでは「私から離れないでね」と語りかける。「サングラス」が太陽の強い光を和らげる様に、ネレアは守護天使の様に理解不能の人間がいる闇を和らげてくれる。だから「ダークグラス」なんですね。
吉祥寺の老舗居酒屋の焼き鳥のような、派手さはないけど良い映画でした。