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イニシェリン島で世を捨てる

【ネタバレ】
✳︎この一文はネタバレを含みます。まだ観てない人は読んじゃダメ。おじさん言いましたからね。

久しぶりに何か書きたいと思う映画を観てきました。マーティン・マクドナー監督、コリン・ファレル主演の「イニシェリン島の精霊」。

すでにゴールデングローブを受賞し前評判が高かったものの、あまりに地味なイメージのせいか上映館は少なめ。観に行った仕事終わりのレイトショーでは公開翌日で私を含めおじさん2人というさびしさでした。地方ではRRRとかの方がうけるよね。そりゃそうだ。

では観てきた直後の印象を書きます。

ざっと観る限り4層くらいのレイヤーを緻密に構成したマーティン・マクドナーの最高傑作だと思います。第1のレイヤーは多くの方が指摘しているようにアイルランド内戦という内部のコンフリクトの表出、メタファーであるという階層。「小学生のケンカかよ」とか「観たけどよくわからん」という解説をしている考察動画の方なんかはこのレイヤーを観ていると思います。

第2のレイヤーは作中の議論に多くの時間が費やされている人生の主題についての階層。善良であるが凡庸であるパードリックに、本当はコルムは「お前の人生の主題は何だ?」と問いかけたいのです。優しさと人生の主題の対立は、実はパードリックの優しさを否定したくないコルムの優しさによって、逆にパードリックの混乱を招いていく。「これでおあいこだな」とこの対立を終結させたいコルムに対して、いいやこれは終わらないと答えるラストは、パードリックに「諍い」という主題を与えて終わるわけです。

第3のレイヤーは劇作家マクドナーの描きたいテーマ「作劇としての関係性の変容」です。マクドナーが最もやりたかったところだと思いますし、この超地味な企画に出資を募る際に、おそらく企画書で特段に強調されたレイヤーではないかと思います。事実、第1のレイヤーでのみ鑑賞している観客には戦争って怖いよねーとか言いながら実のところさっぱり何だか意味がわからない。緻密な演技合戦より絵面の派手さがまだまだ重要視されるハリウッドで、逆に読み解きと美しい自然、圧倒的な演技力の俳優陣で勝負するというのは新しいのかもしれません。この関係性の変容は周到に演出され、コリンの眉毛によって完成している。とてもスムーズです。絶縁され指を投げつけられてからのパードリックは追い詰められ苦悩する。けれどロバのジェニーを失ってからのパードリックとコルムは完全に形勢が逆転していく。ロバは愚か人としての暗喩ですが、逆にコルムの犬はダンスが踊れるくらいの賢さの暗喩でもある。この関係性の変容は対ドミニクにもあって、パードリックの善良さがコルムによって失われるとドミニクも去ってゆく。ドミニクもまた善良であるからです。大変緻密な演出で、観ている人はその変化があまりに緩やかでひっそりとしているので気がつかない。上手いなぁと思いました。

最後のレイヤーは寓話としてのアイルランドの神話性の階層だと思います。spirits of inisherin ではなくて、banshees of inisherin なんですよね。バンシーはJRPGではお馴染みの精霊ですが、死を告げる泣き女。作中で登場する老婆がバンシーだという指摘が多いですが、私はそう思いません。アイルランドの古い言い伝えにはバンシーはMかOで始まる家に憑くというのがあり、作中の老婆はマコーミック夫人。彼女はバンシーに憑かれた家のイタコとしての存在なのだと感じます。たった一度だけ作中に泣き女が現れますが、それは投げつけられた指を見て泣きながら島を出る決意をするシボーン。死を直接的に予感させるのは実は妹だという演出。2人死ぬとの予言はシボーンにとってまるで住む世界の違うドミニクと、善良で凡庸であるがまるで住む世界が違う兄、パードリックなのだと思います。ジェニーが死ぬ事で善良であった兄は死んだとも読み取れる。シボーンを見送るパードリックの奥に誰だか分からない人物が写りますが、あれがドミニクだという指摘もあるでしょう。しかし、私にはあれこそがイニシェリン島の精霊であると思えてなりません。
傑作です。おすすめします。

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