7/13 建築日誌
昭和前期における伝統表現の継承
この時代のモダニズム建築家は、帝冠様式の建築を強く批判し瓦ぶきの勾配屋根は中国由来として「日本的ではないと」定めている。
今日、身の回りであふれている建築は自分しみじみと感じるような情緒的な景観や風情があるからといってそれが日本的であるとは限らない。
このインターナショナルの時代にこれが日本的であると日本人が言うにはそれだけの知識を持たないと恥になる。本当の日本的なものとは神社、茶室、などの無装飾、簡素さ、素材の直截的表現である。
西洋の建築「構築的・物質的」
日本の建築「空間的・行為的」
である。これには自分も共感する。例えば海外は広場などが中心となりコトはそのような広場や建築というモノが動かしている。日本では道に偶発的に発生し、建具などによりフレキシブルに変わる空間は住む中で、木造という軸組の中で日本人が手に入れた感覚である。
これはのちに日本が唯一端を欲したメタボリズムという建築運動にも絡む。
1950年代に日本
さて、1950年代に日本のGHQ独立などを背景に「日本的なもの」を求める動きができる。現在もそうだが画一されつつある世の中のヴァナキュラーでの動きは繰り返されるのではないのかと私は考える。世の中が厳しくなった時新しいスタイルは前に流行った時代の問題を解決する万能薬のように見える。それは建築に限らず、人の思想の中で常に求められる。
丹下健三は古民家の田の字プランや町家の通り庭形式の中で「空間の典型化」を見る。つまり、人が住んでいる間に無意識に収束していく形は日本人が獲得した方法的成果なのだと述べた。これは空間の融通性、無限定性などがミースのユニヴァーサルスペースと類似するためである。
海外の建築は当時憧れであったと感じる。しかし、時がたち時代によってRCの構造を持ちながらも日本人が獲得してきた時代の本質を組み込むことは画一的な時代にあらがえる方法だと思う。
先見の明を考慮できなかった日本のこれから
1960年代に「世界デザイン会議が開かれ」建築家たちがメタボリズムグループを結成する。メタボリズムとは経済が発展していく中で都市に人口が増え不変のものと可変のものを分離しつつ新陳代謝するように状況に合わせて変化するイメージである。これはメタボリズムの更新可能性を増・改築が容易な日本の木造建築やその空間に見いだされることが多かった。
戦後のインフラは発展のスピードの中で場当たり的になってしまった。
車社会の発展、人口爆発が都市のインフラのなかでその対応を急がせるあまりデザインや機能の点で見落としてきたことは多い。そのうえでまずこれからの分散型都市構造、スマートシュリンキングは注目せざるを得ない。東京中心の政策による都市を過密にした経済発展は破綻する。このままでは地方都市はやせ細っていく。それは国に頼るのではなく地方でクリエイティブな人材を呼び込みイノベーション力を高める努力をしなければならない。
インフラと時間のスケールで対極をなすのが情報技術である。
インフラが難しいのは作るにも建ったあとにもその時間と費用のスケールが大きいがゆえに、慎重に考えていかなければいけない点にある。
一方、昨今話題になっているように情報技術の発展は目覚ましい。
インフラが立て終わったときに時代とのずれが出ないために柔軟に対応できるインフラが、建築的スケールを落とし込む中でできないのかというのは自分の今一番興味がある話題である。
また、温故知新というように昔の遊水地などの知恵が人口が増えて対処する中で新興住宅になってしまうことで災害を受け、意外と古い集落は山肌に立って災害を免れる。人々が暮らしてきた中で育てた知恵は住環境を考えるうえで、特に戦時中などの機械に頼らないパッシブな知恵を取りこぼしているのではないかと感じる。そのような知恵こそが過去の建築家が日本的なものを空間に見たように表層ではなく本質に触れる中で重要なのではないのか。
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