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雑談の効用~要約するのを止めて、情報量を上げよう!

こんにちは。『あの人がいた時は、何か楽しかったね。』と言ってもらえるような存在になりたい、OZ-WARASHIです。

日本のデジタル活用やIT活用の遅れが言われて久しいですが、一方で改善される方向にあるという事も聞かれませんね。最近ですと、こんな記事もありました

なぜなんでしょう?

スマホやPCは行き渡り、wifiもそれなりに整っていて、社会も一応安定していて、めぐまれた環境にあるはずなのに‥。

高度なデジタルの仕組を使わなくても、(20年くらい前の)エクセルで十分だし、古いスマホで十分。5G必要なの?単に通信屋さんが売上伸ばすために必要なスペックなんじゃないか?という声も、結構よく聞かれる話のような気がします。

これって、何なんだと考えてみると、結局、持っているデータや使おうとしているデータが、今の最新スペックで無くても良いくらいに少ない、という現実が原因なのではないでしょうか?

つまり、日常生活(会社、組織、学校、地域、家族)で発生するデータが、1)元々少ない
  あるいは、
2)どこかで減った

の二つがありえると思います。

1)元々少ない は、少子化とかあるいは個人が発信する量が少ないとか、活動量が少ない、これはあると思います

2)どこかで減った これは推測ですが、会議ではまとめた意見だけが求められて、論点不明確な発言や繰り返しの表現などは排除されたり、そういう言い方をする人は排除されたり‥。これって、会社とか学校とかでよくある風景ではないでしょうか?

また、外れ値というか、全体の傾向を見る時に不都合なデータは、人間があらかじめ削除し、きれいにしたうえで、分析機器とか計算機に入れて、望ましい結論を導き出す、とか。

さらに直接的に、今使っているPCスペックの能力に収まるように、生データを圧縮や一部削除する(昔の西暦を末尾2桁のみで管理していた、いわゆる2000年問題)というようなことが長年行われた結果、今あるデータや生み出されるデータ量が、常時少ない(あるいは昔の情報機器のスペックレベルを越えないように調整されてしまった)事が原因なのではないでしょうか?

もし、そうだとすると、これは社会的な要因に基づく構造的なもので、ただ外国に追いつきましょうと声かけする程度では、変わらないと思います。

で、日常レベルでできる事としては、会話の時の情報量を上げる、つまり雑談のような、繰り返しとか一部論理破綻とかも許容されるような発信の場面とか、会議では極端な考えとか未熟な考えも含めてデータ化するスタイルに変更するとか、データを生み出す生活習慣を作り出すなどの、積極的な取組が不可欠と考えます。

そうすることで、生データが増加し、どれだけ増加しても、今の最新の情報機器やAI技術等を駆使すれば、計算とか意思決定に支障が出る事はなく、むしろ検討対象のデータが増える事で、より適切な判断やより豊かな社会が実現できるのではと思います。

こういうのが、DXという事なんだと考えます。

子供の時に、友だちと語り合った時の、あの感覚、皆覚えているあの感覚をこそ、いま取り戻したいものですね。


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