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「音声配信」と言う言葉が嫌いだ

■「音声配信」と言う言葉に抱く嫌悪感

〇ネットラジオっ子には耳馴染みの無い言葉
 ネットラジオと言う畑で育ってきた人間からすると、昨今アツいと言われている「音声配信」「音声コンテンツ」と言う言葉が馴染めない。(これらの言葉の後ろにビジネスを付けられるのも好きではない。)
この言葉が広まるにつれて、世の中の人々からは、そのうち、「ネットラジオ」と言う言葉が馴染めないと言われそうだ。
 この言葉は、おそらくはラジオに限らず、幅広い音声による創作物を意味するから「音声コンテンツ」と言う括りになっているのだろう。

〇「音声コンテンツ」と言う言葉の広がりと位置付け
 「音声コンテンツ」と言う言葉を取り上げている大元の記事を読んでいると、記事の書き手は主に音声広告を取り扱う企業の関係者や企業コンサルティング経験者等が多い。音声配信のマネタイズ(収益化)が成功すれば、おのずとビジネスとしてうまみが出てくるから、音声がアツいムーブメントを起こしたいと言う動機が働くのは当然のことだろう。そして、記事を読んだクリエイター(音声がアツいムーブメント構成員とでも言いますか、収益化に熱心な配信者の方々)がよく記事をそのままラジオでネタにして話す。そんな印象を受ける。

 彼らが定義する「ネットラジオ」と言う言葉は、地上波ラジオ局がFM・AM電波ではなく、インターネットを通して配信するラジオ番組のことを指している。インターネットを通してパソコンやスマートフォン等で聴くradikoラジオクラウドのようなものが例として紹介されている。

 そして、一般人が配信する「ラジオ風」の雑談配信のようなものは「音声配信サービス」として位置づけられている。たしかに、音声配信サービスの例として掲げられているものの中身をのぞいてみると、必ずしもラジオに限定して創作物が配信されている訳ではない。音声により何か創作したものを配信する場所、と言うイメージだろう。SPOONRadiotalkstand.fmREC.等が例として紹介されている。
 さらには、この手の文献(書籍やネット記事)では、音声配信サービスと並べる形で、Podcastも別立てで定義されている。オーディオやエピソード、番組をインターネットを通して視聴出来るサービスのような形で位置づけられている。AnchorSpotifyApplePodcastGooglePodcastAmazon music等で配信されている音声の番組がPodcastの例だ。
かつてPodcastやネットラジオと言う言葉で親しまれていたものがいつの間にかまるで「音声配信学」等と言う体系的な学問があるかのような、こんな細かな分類になってしまった。

 この類型分けって誰が始めたのか。おそらくはこの手の文献の執筆者だろう。

先日、あるラジオで「音声配信者の方々」と言う形で一般人の配信者が紹介されている場面を聴いた時、同じような活動をしている私としては、自分のことを「音声配信者の方」として紹介して欲しくないなと思ってしまった。私のやっているものは音声配信サービスなのか、私はそんな言葉で自分の作品をPRしたことないけれども…。


■ 音声コンテンツがアツいムーブメントを斬る

〇はじめに
 今、音声コンテンツがアツいと言われているとよく耳にするが私はそうは思わない。
 私は、マーケティングを専門的に学んだ訳ではないため、この先の文章は飽くまでも長年配信に携わってきた者としての私見にすぎないことを予めご了承して頂いた上で読み進めて欲しい。

〇そのデータ本当に信用出来る…?
 音声コンテンツがアツいムーブメントに賛同する人々の話を聞くに、外国市場が伸びているということを理由の1つとして挙げている。たしかに、アメリカ等では車での移動中、30分~60分程度の出勤時間中にラジオやPodcastを聴く習慣のある人が多いようだ。
 しかし、あらゆるものがアメリカナイズされている現代であっても、日常的に移動時間等にラジオを聴く習慣を持つ日本人が多いかと言えばに必ずしもそうとも言えないのではないだろうか。
 周りでラジオ聴く習慣のある人間をあまり見ないと言う声も聴いたことがあってか、そんなにラジオ聴いてる人の数が多いとは思えない。(めちゃくちゃ聴かれているのだったら、ラジオの聴収率が、0.・・・なんてコンマ単位の数字で出ないだろうし…)
 2020年2月のビデオリサーチの調査によると、首都圏に住む人間で、1週間のうちにラジオを聴いた人は54.0%(2018年から0.3%増加)、平均1日1時間45分(2018年の2時間から15分減少)、1週間で12.5時間(2018年の13.4時間から0.9時間減少)だそうだ。
 数字を見ると一見多いように思えるが、このデータは交通網が発達しており、主たる移動手段が電車となる首都圏在住の人間に絞った調査結果であり、日本人が平均してラジオを聴く習慣が多いと一概には言えないだろう。聴いている層もは35歳~69歳が多く、世代交代の波もまだこれと言って押し寄せてないように思える。(『ビデオリサーチ 2020年2月度 首都圏ラジオ調査 結果まとまる』(株式会社ビデオリサーチ,2020年))
 データを眺める限り、日本人もアメリカナイズされて、ガラッとラジオが聴かれる環境が整ったとも思えない。
 外国で流行りのものが遅れて日本にやってくることはありがちなことではあるが、日本人のラジオ熱に大きな変化も無さそうな現状で、文化も生活様式も異なる外国で需要のあるものが、どこまで日本の生活の中に溶け込んでいくかは未だ未知数な段階にあると言えるのではないだろうか。

〇「ながら聴き」を「楽しめる」環境を作ることが先決
 次に、新型コロナウイルスにより、生活様式が一変したと言われている2020年(5月に比べて、徐々に生活が元通りに戻って来て、相変わらず朝は満員電車な都心ではあるが…)StayHomeでおうち時間が増えたことにより、ながら聴きに適した音声コンテンツの需要が高まっていると言うのが理由の1つとして掲げられている。実際radikoの聴収率は2020年3月時点で880万人(記事によっては900万人)と言われている。(『音声メディア市場は急拡大へ ポッドキャスト/ラジオ/音声配信/音声広告の最前線 GAFAが本格参入した音声領域の現状と未来|ロボスタ 』)

 1人1台スマートフォンをポケットに入れて街を歩いている現代では、移動時間や家庭での家事のお供にラジオを聴くと言うことも不思議なことではなく、実際ラジオ番組でもリスナーの数は増えていると言う話は耳にする。
 確かに全体的にリスナーは増加傾向にはあるが、地上波の大手ラジオ局の看板番組ですら製作費を削りながらやっとの思いで少しずつ増えて来たリスナーに向けて放送している現状で、一般人のやっているラジオまでマネタイズ(収益化)の恩恵を受けられるのか。自分でビジネスの仕組みを作っている人々はともかくとして、恩恵を受けるための仕組みを作るには、今の段階では、グッズを製作したり、広告プランを製作(これは、10年前に私が所属していたネットラジオ放送局で実際に行ったことがあるので、何を今更騒いでいるんだという感覚が強いですが…)したり、限定コンテンツを有料で配信したり、オンラインサロンのようなものを作ったり、と言った形で、今流行りの「自助」と言うものが必要だと思う。

 昨今、テレビと言うメディアがつまらなくなったからこそ、多くの人々がYouTubeと言う媒体に流れ、YouTubeは、テレビと対等どころか、テレビ以上にアツいコンテンツ市場に成長した訳だが、音声にそれがそのまま当てはまるとは思えない。
 だって、地上波のラジオの方がまだまだ面白いものを作っていると個人的に思うから。未だにネットにおける音声に関しては「素人が作る良さ」のようなものを「楽しむ」段階にあるのではないだろうか。需要を享受してくれる母数を増やすには、まずは、マネタイズ(収益化)よりも「楽しむ」ことが出来る場所、環境を作っていくことが大切なのではないか。

〇「顔が見えない分、内容で勝負出来る」は大間違い
 最後に、「顔が見えない分、内容で勝負できる」から音声がアツいと言われているが、これに関しては、長年プラットフォームで活動してきたプレイヤーとして「果たして本当か?」と疑問符が付く。
 正直、自分で放送局を運営していた時期、放送している番組の質は地上波に劣らない内容のものを放送していたという自負はある。しかし、大して聴収率は獲得出来ずに結局閉局するに至った。
 ネットのコンテンツは、内容が良いものでも人目に触れずに終えてしまうことが多い。一方、人目に触れているものでも内容はそれほど、と言うものも多い。結局、票を持っている人が一番目立つ構図は他のメディアと大して変わらないと思う。
 故に、番組の質そのものと言うよりは、配信者同士の認知度を高めて身内票を獲得してみたり、昨今の「バズる」ではないが、何か人を気を引くために派手で過激なことをしてみたり、バズるためのノウハウのようなものを話してみたり、そういった配信をしているクリエイターが音声コンテンツでの人気者ですとメディアで例として取り上げられがち。決して内容一本、チオビタドリンクで勝負出来る世界ではない。

 2010年から音声の活動をしている一配信者のここ10年間の肌感覚でしかないが、良い内容のものを作っている人ほど…と言う感じだ。

 創作を継続しているうちに、折角、良いものを創作していても人目には触れず、受けるべき評価を受けられず、挫折してしまう。そして、いつの間にか創作の意欲が無くなり、自ら場所を去ってしまう。そんな人が多かったように思える。
 そう言う人々を数多く目の当たりにしてきたからこそ、軽率に「音声がアツい!」とは主張できないし、集団運動のようにアツいアツいと言って、マネタイズ(収益化)を先行して欲しくないという気持ちが強い。
 だって、最終的にお金にもなるんじゃないかと希望をもって入ってきた人々が良いコンテンツを作っても、思うように評価されずに去っていく。そんな報われない未来にはなって欲しくないから。
 もっと長い目で見て、場を育て、本当に中身で勝負出来るような世界になって欲しいと思っているから。
 自ら表現を発信して、受け手からのリアクションがあると言う最低限の循環が機能しなければ、それこそ、音声活動と言う場所から人が消えてしまう可能性だってある訳だから。
 今の場所が衰退していくことのは、今後もラジオを続けていきたい私からしても困る。

 まだ表現の場としても成熟しきっていない場所なのに、成熟させることによるうまみを獲得出来ると言う人々が先頭に立って音頭を取っているように思えてしまい、必ずしもアツい、アツいと声高に唱えて行けるものだとはどうしても思えない。

 土が育ってもいないのに、バイヤーたちが「たくさん種をまいて、この畑には立派な作物が成るよ。だから、みんなも種をまこうよ。」と言ってるようなものではないか。

 土を肥やし、畑に種をまき、作物が実ったら収穫する、まずは自分で食べたり、近所の人に配って楽しむ家庭菜園、音声は未だそのレベルにあるのではないだろうか。果たして市場に売りに出せるものが育てられる場所なのだろうか。それだけの仕組みを設けるだけの畑が成長しているだろうか。

 1つの畑で上手に収穫できるサイクルが出来るようになったから、作り手はもう少し多くの種をまこうと言って畑を拡張していくのであって、まだ狭い面積の畑にたくさん種をまいても美味しい作物は採れるものではない。それどころか、土は痩せてしまう。

 音声コンテンツがアツいと言う記事を読む度に、肥えていない土壌を目の前に、多くの種をまけば、この畑には立派な作物が実ります。と、バイヤー(商売人)から言われているように思える。

肥えていない土に種をまけば、実る作物は貧相なものになる。

 まずは、自分に出来る範囲で、土を耕さないと、と思いながら精進を重ねる日々だ。

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