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町の本屋さん

「町の本屋さん」がその姿を消しつつある。少なくとも都心とその近郊を見る限り、書店は大型化、集約化の方向に進んでいる。
 自分がこどものころは、小学生向けに毎月発行される付録付きの雑誌を予約して、自転車を飛ばして本屋さんに取りに行く日は、とてもワクワクしたものだ。
 気がつけば、町の本屋さんはそんなノスタルジー漂う思い出の中の存在になりつつある。自分の自宅から近いところにあった小さな書店は、いまは歯科医に変わってしまった。
 紙の本や雑誌を手に取りたいと思えば、歩いて三〇分ほどの大きな乗換駅まで行かねばならない。それでも三〇分で済むのだから、自分などはまだまだ町の本屋さんが消えることによる影響は特に受けていないのかも知れないが、それでも、駅前に書店がない町なんて、それでいいのかなという漠然とした思いは常に抱いている。
 書籍や雑誌の出版ということで考えてみると、人々がSNSや動画配信に時間を取られている中にあって、紙媒体は結構しぶとく頑張っていると思う。新宿の紀伊国屋書店など、大規模書店の店内を歩いていると、小説、ノンフィクション、雑誌、評論などなど。魅力的な本が、それも新刊が、夥しい数、並べられていて、多くの人が手にとっている。
 ただ残念ながら、紙の書籍や雑誌が、これからもしばらく、あるいはずっと生き残るとしても、人々がそれらを手に入れる手段としての町の本屋さんは、この国ではすでにその役割を終えてしまったと思う。
 いつもの本屋さんでしか本が買えないなどということはもはや考えられない。自宅で自分の興味にあった本を、PCやスマホで検索して、注文、支払いを済ませ、自宅に届けてもらえる時代だ。街の本屋さんが生き残る理由があるとすれば、「立ち読み」、すなわち実物を手に取って、中身を確認できる場所としての存在意義。あるいは書店員と仲良くなれば、おすすめの本を教えてくれたり、取り置きを頼んだりできる利便性。ふらりと立ち寄って思いもしなかった本と出会える場所としての価値。そんなところかも知れないが、ネット社会と、大規模書店の圧倒的な経済性の前には、所詮勝負にならない。
 街の書店の経営者も、生活していくためには、事業として利益を出していかなければならないから、どんなに紙の本と書店文化を愛する人たちが嘆こうと、ネットで注文すれば自宅に届けてもらえる本を、彼らがわざわざ出向いて何冊か買ったとしても、それでも町の本屋が消えていくのは止められない。残念ながら受け入れざるをを得ない。
 それでも日本中に大型の書店しか残らないかといえば、そんなことはないだろう。
 規模が小さいことを活かして、店主の好み、テイストに合わせた書店が、様々な工夫を凝らして登場し、受け入れられていく。町の本屋さんは、進化していくのだ。そう思いたい。

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