父の日、


私が父親との最後の記憶は小学一年生の頃。
茨城県の上の方、線路が近くにあるアパート。
寝てて
起きたら母親は玄関の前で泣いていて
ドアノブはガタガタ動いてて、ドアの向こうから怒鳴り声と蹴る音がした。

子供を返せみたいなことを言ってて、私を取りに来ていた。
その後逃げるように、ずっと逃げるように生きてた。


父親の顔は覚えてないけど私の顔と似てるらしい。

よく祖母は

「あんたは父親に引き取られたら良かったんだ、全部似てる。憎たらしい」

と念じるように言ってきた。

今だって会社でふと鏡に映る自分の顔を見てこの言葉を思い出す。


父親との思い出はない。
父親はよく母親をボコボコにしてて
怒鳴っていて、私が大人になってカッとなって怒鳴る度やっぱりあの祖母の言葉を思い出す。


全部似てる。憎たらしい。

父親は長距離トラックの運転手だった。
家にいる時は母親をボコボコにして、それ以外はきっと仕事に行っている。
当時はそう思ってたと思う。

年長さんの時
父親のガラケーを開いたら知らない女の子が待ち受けにいた。
「このこだれ?」
と私が聞いた。
母親は私を見て泣いてた。

この次の記憶がさっき書いたアパートのドア越しの父親の怒鳴り声。

そして今私は人から怒鳴られると真っ暗な世界に入って戻ってきたら泣いて泣いて泣いてごめんなさい助けてと繰り返している。


今、父親の名前をFacebookで検索をかけるとアイコンは小さな子供を抱いたおじさんが出てくる。

Instagramだって見つけた。
子供と父だ。
私と同じ顔をしている、父親だ。

しかし年齢を考慮するとあの待受の子ではないだろう。
あの待受の子はミズキちゃんと言うらしい。
私と同い年くらい。

ミズキちゃんも私のような思いをしていたのだろうか。
それとも私よりまともな生き方をしてくれてるだろうか。
少なくとも父親は、子に恵まれた暮らしをしてるんだろう。


憎たらしい。

ーーーーー


今年の1月か。
私は真っ暗な中にいた。

怒鳴ってきたのは父親ではないけれど
父親と同い年の男。
他人の親。

頑張って
病気があって、怒鳴らないで欲しいと伝えたけど
理解してる
という言葉しか言わず
理解してるならやめてくれ
と頼んでもあの人は怒鳴り続けた。

その後私は起きたら病院で、
あんまり覚えてないけど憎い人がまた1人増えた。


そんな人間から、半年たった今日

「父の日だから寿司を食べにいこう」

と誘われた。
父親でもない人間に。
父親のいない私が
父の日を祝うために呼ばれた。

なんだろうか、この気持ちは。

とても、憎たらしい。
腹が立つし、これを受け入れなければならない将来があるなら、永遠に来なくていい。


悪意はないんだろうけれど。
それにしても今日は嫌な日だった。
とにかく嫌な日だった。
明日は仕事なのに。

父の日なんてもう何十年も意識していなかったけど他人から押し付けられる父の日なんて

父親に感謝する日なんて。

父の日が母の日より尊重されていないと感じる父親が多いらしい。
他所の家は知らないけど、私の生きる小さな世界には父親という存在が素敵なものには見えない。
愛されないのには、理由があるんだから。

私にだって、愛されなかったのには、理由があるんだろうか。

私の実のお父さん。
どうか私は人に怒鳴られる度あなたを思い出しますから、その時に離れられた感謝を感じますね。

愚痴、失礼しました

ふええええええええええうれしい!!!!ありがとうございました!