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短編-暑すぎて気が狂った

「_………ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァ………_

 通りを駆け抜ける発狂した男の叫びがドップラー効果を伴って窓から飛び込んできた。なぜその男の姿を見てもいないのに、声を聞いただけで発狂しているとわかるのか? 当然だ。カイマンミツドリは同種の鳴き声を数キロ先からでも聞き分けるという。おれはカイマンミツドリだ。あいつもカイマンミツドリだ。おれたちは暑すぎて気が狂ったミツドリちゃんなのだ。その通りです。

「何笑ってんの」

 窓辺にもたれてくばたっているおれを見てタケコがそう言ったのでおれは鳥の鳴き真似をしてみせた。チュンチュン。何も反応がない。ピーヒョロとも言ってみた。やはり反応がなかった。呆れているとも言えるわけです。ウアアアアア!

「とても暑いです」「その通りですね」

 TVでは暑すぎて気が狂ったアナウンサーたちが全裸にネクタイを締めて何かとりとめのないことを喋っていた。映像は傾いている。多分カメラマンも発狂しているのだろう。出演者のネクタイは明らかに締めすぎで汗の浮いた顔はこの暑いのに真っ青になっていたがそれにも構わず彼らは何かだらだらとたわごとを喋っていた。

 気象兵器。馬鹿な話だ。アホどもはすぐにそういう話を信じる。

 チャイムが鳴った。見に行ったタケコが戻ってくる。

「トキオ、あんたにだって」
「だれがよ」
「なんかヒゲの偉そうな……」
「はあ?」
「『偉そうな』ではない」

 玄関のドアを押し開けて入ってきたヒゲの偉そうなおっさんが言った。

「わたしは偉いのだ」

 その通りだった。第八方面統括軍司令官であるこのおっさんに対しておまえなんて偉くないんだよ平社員がなどと言えるやつがいたら会ってみたい。司令官殿別名前の上司は続けて言った。

「貴様よくもあんなものを作ってくれたな? なんだ、嫌がらせのつもりか」
「なんのことですかね」
「気象兵器だ。気象兵器だよ! お前の仕業だとわかるまで長いことかかったぞ、このクソッタレが。落とし前はつけてもらうからな」
「はあ?」

 マジで見当がつかなかったのでアホ面でそう返した途端電磁警棒でビリリとやられヒゲの部下に簀巻きにされてさらわれた。その間タケコは騒ぎもしなかったし、それどころかいつも吸ってるタバコの臭いすらしてきた。なんてことだよ。ちょっとは慌ててくれてもいいもんだ、情ってもんがねえのかなあと、おれはそうしみじみ思った。

「確かに作りました。作りましたよこれはね。でもこんな使い方をされるとは……」
「お前が作ったのならお前の責任だ! お前がどうにかしろ!」

 司令部は発狂動物園といった状況だった。もともとがここに詰めている職員たちは普段から過重ストレス環境に置かれているわけで、その分タガが外れたときの勢いも凄い。あちこちで小銃がスネアドラムの如く鳴り響き、屋外で破裂する榴弾の爆発音がそれにデカいアクセントを加える。おれと司令官殿は鋼鉄製コンソールデスクの影でキレ気味に怒鳴り合っていた。

 司令官殿が言うには、おれがここにいた頃に作ったちょっとしたスペースおもちゃがこの局地的高熱環境を作り出しているとのことだった。おれとしてはより人工衛星のソーラーバッテリーをもたせて仕事をラクにするためにと自律システムをつけたクソデカい鏡を数百枚ぐらいブチまけただけのことだったが、そのシステムがどうも"例のあの国"にハッキングされてしまったようで、結果として増幅された太陽光が人工衛星ではなく全国の地表に降り注ぐようになり各地で最高気温を更新し続けているらしい。

 そもそもたった一人の技術官にそんなことを可能にさせていたガバガバ規則がおかしいのでは? などとお利口さんは言うだろうが、何を隠そうそう出来るように規則の改正案を作り上げたのはこのおれだ。なんでも出来るようになっておいたほうが仕事というものはラクになるものだよ。うわはははは。

 笑っている場合ではない。

「へいラーメン二つ」

 狂ってラーメン屋を開いた武官が自転車に乗ってやってきて(BMXめいたハンドルさばきでデスクからデスクを飛び渡っていた)おかもちからおれたちにラーメンを一つずつ渡した。割り箸袋には「発狂軒」。食った。うまかった。隣を見ると司令官殿も食っていた。おれに見られていたことに気づいたのか、急に素に戻った司令官殿はラーメンを放り投げるとラーメン武官に二千円を放り投げて帰らせた。

 司令官殿の目はいつの間にか涙で真っ赤になっていた。

「司令官殿」
「あのラーメンの味がな、20年前に食ったあの屋台のな……うおおおおん、うおおおお」

 このオッサンはもう駄目だ。発狂して泣き出してしまった司令官殿をデスクの影から蹴り出すと、おれはチュンチュンと鳴きながら司令部を歩いて出ていった。

 解決策はもうわかっていた。暑くなり始めてからもう32時間だ。こんな勢いで照射を続けていれば、直にシステムはオーバーヒートし崩壊する。そうすればどうなるか? 自律鏡はその動きをとめ、燃え尽きながら落下することだろう。

 要するにそれまでの間正気でいればいいだけの話だ。おれはピーちゃんだからその辺がわかっていた。

 だが、おお。この声は。真っ青な空を背景に、あのアスファルトを裸足で駆けてくる白いワンピースの坊主男は。タケコの生首を片手にこちらへ駆けてくる笑顔の男は。あのドップラー声は! おれのカイマンミツドリちゃんじゃないか。

 相手にもおれのことがわかっていた。おれにも相手のことがわかっていた。

 おれは服を脱ぎ走り出す。触れ合うまで3歩、2歩、1歩。そしておれたちは汗まみれで硬く抱き合った。これは運命の出会いなのだ。おれにはそれがわかっていた。おれたちにはそれがわかっていた。見ろ。タケコですらおれたちを祝福している。ありがとうタケコ。ありがとうタケコ。おれは涙を流して礼を言った。

 おれたちの愛はいつまでも続くだろう。おれたちのこの暑い愛は、熱い愛は終わらないのだ。空から鏡が降ってくるその時まで。

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