〈蛇の星〉-8
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アームストロング号の残骸の周辺には、枯死して石灰化した〈人柱〉で出来た灰色の肉の林が出来ていた。〈人柱〉の死骸同士を結ぶ死んだ触腕を切り払いながら、エリックらは前に進んだ。
アームストロング号に近づくにつれて、デミイシの言う〈悪い空気〉はだんだんとその濃さを増しつつあった。エリックは〈蛙〉にそれを伝えたが、彼は口笛一つ返しただけで、一切構わずに残骸をよじ登り始めた。
一方デミイシはアームストロング号の内部へ立ち入ることに気が進まないようだった。無言でエリックへ先へ進むように合図をすると、残骸に背を向け辺りを見張り始めた。その顔には緊張が浮かんでいた。
「デミイシ、大丈夫か」
「KだよK〈先生〉非問題事……K。構わないで。行ってて」
エリックはデミイシのその様子に気を引かれながらも、〈蛙〉の後に続いてアームストロング号の残骸内部に侵入した。
◆
〈蛙〉はエリックに言った。
「なあエリック立花さん。もうすぐ〈蛇〉と対面することになるわけだが、どう思う? 今どんなことを思っている?」
「何を……」
「なあに、聞きたいと思ったから聞いてみただけさ。興味本位さ。ハハハハハ。どうだい? 楽しみかい? おれ? おれは楽しみさ。どう思ってる? 昔から、〈蛇〉と夢の中でお話してきたんだろう? やっとお友達と会えるんだ、嬉しいんじゃないか? どんなことをお話するつもりなんだい?」
「おれは……」
エリックは無意識のうちに答えていた。
「おれは全てを忘れたい。何もかも。鬱陶しいお前のことも。アームストロング号のことも。おれがこれまでしてきたこと全てを。〈蛇〉ならそれを叶えてくれる。そう信じている」
「ハハハハハ」
それを聞いて〈蛙〉は無邪気に手を叩きながら笑った。
「そうだよ。それがあんたの言っていた〈ひとりになりたい〉ってことの本当の意味だ。あんたは逃げ出したいんだ。自分が作り出したこの世界から。後悔してるんだ。これまでの判断全てを。ハハハハハ。ようやくわかってくれたみたいで安心したよ」
〈蛙〉は再びあの奇妙な笑顔をエリック立花に向けると、言葉を続けた。
「安心した。本当に。おれは嬉しいよ」
〈蛙〉はさらに言葉を継いだ。
「おれもそうさ。おれもこの〈役割〉から逃げ出したい。だけど〈宇宙の決まり〉って奴はどうしようもなく強いもんだから、本当にどうしようもないんだ。ハハハハハ。二千年。何をどうしても死ねずに二千年だぜ。いい加減疲れたよ。ああ、おれも〈蛇〉にお話すればどうにかしてもらえるのかなあ? どう思う? なあ、どう思うよ」
「お……おれにはわからない」
「そうだよなあ、わからないよなあ。知ってたよ、おれもそう思うよ。ハハハハハ。面白え。最高だ。なあ、最後にもう一つだけ聞かせてもらっていいか」
「何だ」
「アームストロング号が落ちたとき、そこからどうやって生き延びたのか聞かせてくれよ。何がどうなってあんたは今生きてるんだ?」
「お……覚えていない」
「なぜ?」
「それは多分……墜落時のショックで記憶が……」
「ハハハハハ! うまいこと言ったなあ! あのさあ、普通に考えてみろよ、宇宙空間にまで出た宇宙船が墜落してきて地面に激突したんだぜ? 一体全体どんな生き物が何をすればそんなシチュエーションから生還出来るっていうんだよ」
「だがおれは今……」
「こうやって生きてるのが証拠だって? ほお? そりゃあ凄い証拠だなあ、おれはびっくりしちゃったよ、ハハハハハ……」
「おい〈金の蛙〉。なんだこいつは」
そう言いながらその場に現れたのは銀の鎖を腰に巻いた〈蛙〉と瓜二つの男だった。その手にはデミイシの生首が掴まれていた。〈銀の蛙〉は続けて言った。
「なぜ関係ない奴をこの辺りでうろちょろさせている? どういうことだ」
「ああ、かわいそうに! そいつはおれたちのボディガードだったのに! お前はひどいやつだなあ、〈銀の蛙〉。まあそいつ、もう用済みだからいいんだが」
〈銀の蛙〉はエリックのほうを見ると言った。
「そいつか」
〈金の蛙〉はそれに答えて言った。
「その通り」
エリックは言った。
「一体……」
「まあまあ、こいつのことはいいんだよ。こいつはおれの同僚だ。おれと同じ〈蛇〉の〈使い〉だ、〈蛇〉の奴隷さ。そんなことはいいんだ。とにかくおれに質問の続きをさせてくれよ」
〈金の蛙〉は、残骸の鉄板を引き剥がしながら言った。
「なあエリック立花さん。あんたが自分のことをエリック立花だって言うんなら、それじゃあここにいるこいつは……一体全体どこの誰なんだい?」
そこには宇宙飛行士の死体があった。その胸のネームプレートには、〈エリック立花〉と刻まれていた。
「……」
〈エリック立花〉には答えることが出来なかった。〈蛙たち〉は続けて彼に言った。
「さあ。答えてみろ。あんたは誰なんだ。誰があんたなんだ? ほら。答えてくれよ。おれたちに答えてくれ。今この場で。この瞬間に……」
〈エリック立花〉の脳裏に駆け巡るのはあの時の瞬間だった。出発。〈遭遇〉。〈洗浄〉。ルーク鈴木の叫び声。ジョーイ。脱出。コントロール不能。そして〈蛇〉……。
この記憶は本物だ。〈エリック立花〉はそう信じていた。
では今この手のひらに生まれた〈喉〉と〈舌〉は何なのか? 〈エリック立花〉にはわからなかった。全身から生えつつあるこの触腕は何なのか? 〈エリック立花〉にはわからなかった。自分は一体〈何〉なのか? 〈彼〉にはわからなかった。
そして〈彼〉は全身の〈喉〉と〈舌〉で、触腕を震わせながら叫んだ。わからない。わからない。わからない。わからない。おれにはわからない。
そして〈蛇〉は〈彼〉に言った。お前こそが〈エリック立花〉の〈役割〉を引き継ぐものである、と。
そして〈人柱〉は〈全身〉で叫んだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。なぜだ。
そして〈蛇〉は〈それ〉に言った。私がそう定めたからだ。受け入れよ。私がそう求めたからだ。受け入れよ。
そこで〈エリック立花〉の意識は途切れた。最後に聞こえたのは〈蛙たち〉の笑い声だった。
◆
「要するに〈エリック立花〉ってのは、〈蛇〉にとっての新しい〈駒〉なのさ」
〈金の蛙〉は、目覚めた〈エリック立花〉に語りかけた。
「おれたち〈蛙〉じゃあ、〈敗北〉からは逃れられないって悟ったみたいだな。二千年もこき使っておいて、まあとんでもない方針転換だよ」
〈銀の蛙〉は〈エリック立花〉に語りかけた。
「お前の〈先代〉もそう。初めは〈蛇〉に逆らっていたが、結局は命令に従って、宇宙飛行士になり……」
「そして〈洗浄〉を引き起こした。〈蛇〉の大将が何を考えてこんなことをさせたのかはおれたちにはわからないが、まあ今でも計画どおりってことらしい」
「ハハハハハ。とんだ迷惑だ」
「ハハハハハ。その通りだ」
「おれはどうすればいい。おれはどうすればいいんだ」
〈エリック立花〉は呟いた。〈蛙たち〉はそれに答えた。
「そんなこと、もうとっくにわかってるんだろう? あんた、〈蛇〉の言葉を受け入れたんだろう? また〈エリック立花〉の姿に戻ったのがその証拠さ。自分でもうわかってるはずなのさ」
「お前たちはこれからどうするんだ」
「おれたち? おれたちはこれでお役御免みたいだな。そう伝わってきた。やっと終わりだ。せいせいする。ハハハハハ。長かったなあ、本当に」
「死ぬのか」
「ああ。やっと死ねる」
〈蛙たち〉は言葉を続けた。
「最後にひとつだけ。きちんと後任の目星は付けてある。そいつらをうまく使うといい。きっとおれたちよりかは扱いやすいはずさ。あともう一つ。あんたもおれたちも〈蛇〉の奴隷だが、おれたちには自由意志が無いわけじゃない。あんたは〈先代〉から、その〈役割〉だけでなくパーソナリティも受け継いでいるはずなんだ。要するにあんたは〈エリック立花〉そのものなんだよ。そう信じていいんだ。そのうえで、自分の信じる通りに、やりたいようにやってみろ。それもきっと〈蛇〉の目論見通りなんだろうが、それでも何もしないよりかはマシさ。多分な。きっとそうだろ?」
「ああ」
「ま、おれたちは諦めちまったんだけどな。あんたは頑張ってみるといい。それじゃあな、〈エリック立花〉さん。せいぜい頑張ってくれよ。それじゃあな。さよならだ」
そう言うと、〈蛙たち〉は声も無く灰になって消えた。後に残されたのは、金と銀の鎖だけだった。
〈エリック立花〉は、しばらくその場に佇んでいた。そして踵を返し、歩き出した。デミイシの死体を跨ぎ超え、〈墜落地点〉の只中に進んでいった。
今の彼には、今の自分が何をしたいのかが、完璧に理解できていた。
◆
それ以来、〈エリック立花〉の姿を見たものは居なかった。
集団自殺を目論んでいた〈宇宙カルト〉は〈六人の正気団〉により平定され、〈宇宙カルト〉は解散した。
そして〈廃物街〉は、〈八番目の理想郷〉へとその姿を変えた。
そこでは、全ての人々が〈救われて〉いた。誰もがみな完全に〈幸せ〉だった。
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