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不毛都市メキサスシティ - #1 - 智慧

 かつてひどい流行り病に苦しんだある地域の人々が、その地の神に祈るため、一生懸命に神の木像をたくさん建てたのだという。だがそれは報われずに、関わった者は全員死に、離れて世を恨みながら暮らしていた罪人だけが一人救われた。

 この話の教訓は何か。いくら夜中に綺麗に見えるからといって、木像に放射性物質で色付けをしてはいかんということだ。わかるかな。知恵が大事ということだよ。罪人はかつて事故の責任を押し付けられて、この地へ流れてきた放射線技師だったんだ。だから彼には色々な放射性物質の危険性がわかっていたし、また、日頃疎ましく思っている人々に、あそこの廃工場には実はそれはそれはきれいな塗料があるんだよ、内緒だけどね、ということも教えられた、というわけだ。

 だから改めて言っておく。騙されぬよう、また必要であれば出し抜けるよう、日頃から知恵を、それも新しい知恵をどんどん取り入れていくことが大事なんだ。このメキサスシティではな。

 ああ。わかるか? おれがその放射線技師だよ。だからここでこういう商売やってるわけだよ。どうだいこの塗料。綺麗じゃないか? お得だよ。

 テキサス帝とメキシコ帝の二人の誇大妄想患者の間で発生したテキサス州会議事堂二階男子トイレでの使用済み歯ブラシを凶器とした決闘及びその結果実施された呪術儀式により、メキシコ帝の右眼球に突き刺さった歯ブラシの柄及びメキシコ帝の断末魔の悲鳴を引き金としてテキサス州及びメキシコ全土は地下千メートルの深さまで蒸発した。生存者はいなかった。

 突然のことに政府がうろたえる間もなく、かつてのテキサス州ウェブ郡ラレド市近辺を中心として、かつての国境をまたぐように、猛烈な勢いで轟音とともに各辺五十キロメートルの土地が正確に正方形に隆起した。

 いくつもの横穴からかつてのテキサスやメキシコの住民たちが這い出してきて言うことには、「ここはもはや、メキサスシティなのだ」ということだった。立方体内部や表面にはかつての区域や建物が十分に保存されている区画もあった。奇妙なことに、彼らの年齢は一瞬前のそれとはどうも違っているようだし、以前の印象からすればどうにも理解し難い異様なことを繰り返し喋り続けていたのだが、突然発生した広大な空き地に関する経済的問題に比べれば、個人の健康はそれほど大した問題ではなかったので、ひとまずのところそれは置いておかれた。

 かつて蒸発した地域が完全に不毛であるどころか、生存に適さない有毒な蒸気が絶え間なく立ち上っていることがわかってからは、優秀な官僚制度の素早い法整備及び運用解釈により、もはやこの地は公的にその存在を認めることが誰にもできなくなってしまった。

 それでもこの五十キロメートルの立方体に人は住んでいた。人が住んでいたので、当然警察官もいた。

 いや違うんだよ。聞いたほうがいいよ。そりゃあこの青白く光るブツは危ないよ。危ない。それはもう危ないよ。だけどな? ここはメキサスシティなんだ。もうあのクソ田舎とは違うんだよ……おおテキサス帝万歳、正方形の正しさよ、おれを引っ張り上げてくれてありがとう……そう、メキサスには呪術があるんだよ。お前さんもわざわざあの不毛の何百キロをこのキューブ目指してやってきたんだからわかってるだろうけど、ここの呪術はマジなんだよ。マジのやつ。呪うやつよ。

 そこの角の婆さんがいるんだけどよ、これ持って見せてみればいいよ。何百ドルペソだか忘れたけど胸飾りを売ってるはずだ。それつければアンタ、どんだけ放射線受けようが……ハハハ。もう塗りたくってビカビカになれるよ。間違いなし。

 あの時あれがあればよお。

 ああ、呪い品は人にあんまり見せつけないほうがいいぞ。嫌いなヤツもいるからな。あいつら、脳とかに色々埋め込んでるけど、その手術のための清浄空間作るのに呪術利用してるっていうの、記憶消してなかったことにしてんだから大したもんだよな。合理的っていうの? 便利な脳してるよ。本当は何も考えてねえんじゃねえかな。

 お買い上げ? はい毎度。じゃ早めに行ったほうがいいよ。溜まる前にね……。

 ……。

 ……。

 ……よし行ったな。

 あ、もしもし? あ、おれです。そう。一人。いや完全にソロ。武器なし。白髪。大男。コートの……見えた? そうそれ。それです。多分もうそろそろ放射能酔いで倒れるんで。はい。いつもの流れで……。

 あれ? なんだ。切れたな。おかしい。なんだろう。あれ。あれえ? あんたさっきの……。忘れ物? 

 あれ。何だそれ。いやあデカい銃だな。すげえや。おい。おい何。おいやめろ!

 警察官はいるにはいたのだが、ある一人の警察官については、誰にも認められていないという点ではかつての二皇帝とは何ら違いはなく、要するに彼は誰でもなかった。それでも彼は恐れられていた。

 彼には決して触れてはならないというのが、彼の通ったあとの地に広まる知恵だった。

 メキサスシティ隆起の頃、彼は警察署にいた。以前の記憶はおぼろげであったが、ここがどういう場所であるか、警察という組織が何であるかは理解していた。近場に制服を着たままの警官が倒れていたので、装備を全て奪い長いことになる放浪を始めた。

 いつしか身につけている警官の制服が、彼の空虚な自己同一性の中核を占めるようになった。そしてまた身につけているものを見て人々も彼が法の執行者だと思い接してくるものだからますますそれは強化された。ということで彼は彼独自の倫理に従って人を裁き始めた。

 時折彼の会話の中に交じる「妻」や「子供」という単語について、人々は適切に反応を避けた。彼は覚醒してからもそのイメージだけは強く覚えており、またそれに強く惹かれていたが、彼にとってのそれが具体的になんであったのかまでは、どうしても思い出せないのであった。

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