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不毛都市メキサスシティ - #2 - 輪郭

 路上有毒塗料売りの男を殺した"警察官"は、とあるカフェで男と出会った。その男は三千年前に死んだミゲルと名乗った。

「ここは……空いているのか。その帽子は」

 三千年前に死んだミゲルは茶を載せた盆を震える手で持ちながらそう重苦しく言った。"警察官"が隣の椅子の上に置きっぱなしだった制帽をどかすと、ミゲルはそこに座り、重く長い息を吐くと言った。

「警官さん、あんた。名前は」

 "警察官"はジョージと名乗った。三千年前に死んだミゲルはむっつりと頷いた。

 ミゲルのねじ曲がった黒い癖毛に縁取られた中年の浅黒肌の顔には陰気な黒い目と陰気な黒い鼻の穴と陰気な黒い口が開いており、身につけた色数が多いゴテゴテとした沢山の偽民族調の装飾品や服装にはそれは映えなくもなかったが、反面頭の上にぽんと載せられた黒の山高帽だけはいかにも不自然かつ不似合いで、首から上だけの色合いからすればどこかの葬式がメキシコ人の顔を借りて陰気にものを見たり嗅いだり喋ったりしているようなひどい有様だった。

 カフェはそれほど広くない。カウンターと4席程度で、ほとんどが埋まっていた。天井は五十キロ立方体の赤茶けた地肌の上から"空色"に塗られていた。立方体の中でも以前のままの姿が保存されたいくつかのビル街区画ではなくもともと立方体内に存在した空洞を掘削、接続して居住空間を確保した狭苦しい開拓区画では閉塞感を和らげるためこのような処置が行われている箇所は多い。この"空色"は立方体の横穴から外界をかつて見たあるメキサス人が持ち帰ってきた色であったが、それがメキサスシティ周囲の不毛の地より立ち上る有毒蒸気を通して見た歪められた空の色であること、外界の住人がもしこの色パターンを見れば黴がまだらに生えた腐敗の進んだ生肉を鮮明にイメージするであろうことを知るものはいない。数少ない外界からの転入者たちは当然本来の澄み渡った空の色を知っているが、彼らが現地メキサス人から天井の"空色"について聞かされたときには決まって、それぞれの知的水準に応じて「へえ」だとか「ふうん」だとかのバリエーションに富んだ声色の一言を残すのみであった。

 三千年前に死んだミゲルは言った。

「……あんたらの皇帝はひどいことをしてくれたな。スペイン人以来だ」

 ジョージはどの皇帝だ、と聞いた。

テキサス帝メキシコ帝に決まってるだろ。こんな益体もないばかでかいを建てやがって……あいつらは知ってるのか? こんな角度では星辰には届かないんだ。何を考えているんだ?」

 ジョージはお前は本当に三千年前に死んだのか、と聞いた。

「どう言っても……お前に信じさせられる証拠はない。遠い。お前達からの理解からも、かつて生きた時代からも、空や星からも……何もかもが遠い。誰もおれのことはわからない……誰もだ。お前も。……おれもか? いや。おれはわかっている……」

 ジョージはお前はどうやって三千年前の死から生き返ったのか、と聞いた。

二皇帝の儀式のせいだ。本気で呪術をやれる人間なんてのはいない。どんな儀式をするのでも心の底からそれを信じられるものはいない。人間だからだ。儀式の先に求める実利的な何かを少しでも考えたとき、儀式はすでに神秘性は失われ取引になる。だが呪術のための呪術を本心からやり遂げようと二人の男が自らの心身を贄として取り組み、そしてその行為そのものを、どんな抽象でもないその輪郭それそのもの正しく捉えてしまったときに、世界そのものといびつながら繋がった彼らは、このように彼らの理想都市を作り上げたというわけだ。彼らは文字通り全ての民を救い上げようとした。対象にはかつてこの地に過去に存在したあらゆる人類が含まれる。そうしてこのに収まるだけの人数が選ばれ……おれは今この"理想都市"にいるのだ。蘇って」

 ジョージは、お前は今どうしたいのか、と聞いた。

「冒涜なんだよこのは。おれはあの皇帝達を呪術師として許せない。あれだけの力がありながら何故こんなものを? 知っているか? お前たちの時代に至るまでに封印し、あえて伝えられなかったいくつもの秘儀というものがある。おれはそれを知っているぞ。奴らの力を奪えるんだ。それでおれが正しくやり直す。おれはやり方を知っているんだ。手始めに奴らを探しだす。そして外傷をなるべく与えず殺してから、うまくミイラにしバッッッッ ビチャ ビチャ」

 個人に対する殺意を表明したので三千年前に死んだミゲルは頭部を即座にジョージに撃ち抜かれ射殺された。ミゲルの手からは何かの古めかしい呪具がバラバラと落ちた。少しして、伸び放題の白髪と髭の汚らしいカフェの店員がエプロンで手を拭きつつため息をつきながら寄ってくると、三千年前とついさっきにまた死んだミゲルの遺体を回収していった。不思議なことに、店員の胸には「テキサス帝」と書かれた名札がついていた。

 ジョージは訝しんだ。そして意を決して、

 「あんた、もしかして……テキサス帝なのか?」

 と聞くと、「テキサス帝」はジョージの顔を見るでもなく指で上を差した。そこには「カフェ テキサス帝」と書かれた看板が下げられていた。ふとあたりを見回せばジョージのことを、老女のテキサス帝老女の婿の壮年男性のテキサス帝壮年男性の娘のテキサス帝が見つめていた。

 娘のテキサス帝にジョージは近づいて言った。

「おれのことをパパって言ってみてくれないか」
「イヤ」

 ジョージは膝を曲げ、頭の高さをあわせてから、銃を突きつけて言った。

「おれのことをパパって言ってみてくれないか」
「パパ」

 泣かれても困るが、やはりしっくりこなかった。見た時からおれの「子供」はこんなみすぼらしくはないはずだろうという感覚がジョージにはあったが、得てしてそういう時はそのとおりになるものだった。
 振り返り、老女のメキサス帝へ、

「あんた、おれの妻だったりするんじゃないのか」

 と言ったが、老女は慌てて店の奥へ引っ込んでしまった。ジョージは苦笑し、食事の代金を払うと、店を出た。いつものとおり左右を確認し、脅威がないことを確認した。警察署から奪った銃弾はまだ十分にあった。

 空はいつもどおりの空色であり、彼は相変わらず一人であった。

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