見出し画像

不毛都市メキサスシティ - #3 - パウロ

 ジョージは五十キロ立方体外の横穴から横穴へと張り渡された綱梯子を登り頂上を目指して移動していた。もう随分前から目の前のと次のとその次あたりの綱梯子だけを見ていた。後ろに顔をやってもひたすらに見えるものははるばる広がる有毒大気のおぞましい蒸気雲と地平線らしきものばかりで、あまりの遠大で勇壮な退屈さの光景に気を失いそうになるからだった。
 ジョージは脱いだ警官上衣で顔下半分を覆いそれをもって防毒面としていたが当然それで害気を防げるわけもなく、次第に目・鼻・喉に細かく刺すような嫌な痛痒感が高まっていった。面売りもいないでもなかったがそれは別に「妻」でも「子」でもなんでもないので進んで声を交わす気にはなれなかったしそもそもそいつが売っていたのは効果のない偽物だった(ので犯罪であるから銃で撃って殺した)。

「おおい、おい。おい。おい」

 右方向からの男の声に目をやれば誰かが横穴から顔を出していた。それはパウロと名乗ると続けて言った。

「おい。そこの登り人。道を尋ねたい」

 ジョージがパウロの横穴を覗き込むとそれは五メートルほどで閉じた狭い洞窟でどこにも通じていなかった。置かれた一基の携帯カンテラで紫色に陰影濃く照らされた内部には様々な書類や登山用具や洗練された実験器具らしきものが効率的に配置されており、パウロの身につけているのもそれと調和しないでもない滑らかな表面かつ質素な装飾の全身騎士鎧であった。

「どこへ行きたいんだ」
「"メキサスシティ"の中央官庁街へだ。渡すべき書簡を持っておるので」
「誰へだ」
何。何だ。何? 書簡を読むのは書簡を読むべきだれかであろう。何だ。何を聞いている? まさか登り人がそうなのか?」
「登り人?」
「さっき登っていただろう。壁を」
「おれは今登っていないな。おれは今座っている」

 パウロは頷いて言った。

「座り人よ」

 口だけで苦笑すると騎士鎧の右拳が飛んできた。それには思いの外硬さと重さと素早さがあり、意識を取り戻したジョージは少し前に比べていくらか足元が覚束なくなった右上奥歯とパウロの左拳に取り上げられた拳銃を認めると身を起こしながら粛々と名を告げ、会話を先に進めるために改めて聞いた。

「読むべきものにしか渡せない書簡ということか」
「当然だ。読むべきのところへ読むべきは運ばれる。しかしながら逆の場合も世界にはある」
「逆? どういうことだ。運ばれないこともあるのか」
何。違う。何だ? 違う逆だ。のところへが運ばれるのだ。そちらのほうがより尊く得難い経験である。我々は悲惨であるからして」
「悲惨?」
「そうだ。余は大アメリカ悲惨帝国外交騎士としてここにあり、この地に立つ全ての者に『大アメリカ悲惨帝国への十分の一税の支払の案内』と『任意の方法による即死刑の判決』の双方を通知すべく、"メキサスシティ"代表者との面会を希望するものである」

 大アメリカ悲惨帝国(THE GREATLY MISERABLE EMPIRE OF AMERICA)とは西暦3999年の南北アメリカ大陸全土を支配する『根本的に我々は自らの意思や行動を完全に統制出来ない永遠に悲惨な存在である』という理念を掲げた悲惨主義国家である。この国は"悲観的なアナベル"(2549~2569)が十九歳で世界の行く末を儚んで一年間を掛け著した書「これから先の四千年についての信頼できない預言書」の根本的に実現不可能な内容の実現を国民に課すことが国家運動の基礎となっている。彼らは国家の繁栄ではなく効率的に世界に悲惨主義者を生み出すことこそを目標としているのである。
 ある日悲惨主義者達はどのような人間の奥底にも「人類みんなのちからをあわせればできないことなんてない」という認識が埋め込まれているようだとの恐るべき発見をした。それが出来ていないから世界は今こんなことになっているのであって、その悪しき認識を打ち砕く絶対的な方法を見つけるべく彼らは熱狂的に研究・探索を行った結果この名著を発見し、それを取り入れ悲惨主義運動の実践としたのである。
 悲惨主義国家に住む人々はブロック構築された都市に住み、決められたブロックから一歩も出ることなく一生を終える。徹底的に日常の行動は監視されており、学校や職場では理解不能で荒唐無稽で実現不可能な目標を日々与えられ、取り組む。そして打ち砕かれる。また目標が届く。その繰り返しにより、
 (段階1─否定段階1)こんなことを続けて何か得られるはずがない
 
(段階2─否定段階2)本当はこんなこと以外にも重要なことがあるはずなのに
 (段階3─疑念段階1)どうして世界はこんなふうなんだ?
 (段階4─疑念段階2)みんなで協力すれば現状を打破できることに気づいているはずだろう なぜそれが起こらない/起こっても失敗するんだ?
 
(段階5─疑念段階3)そもそも前提が間違っているのか? 我々は自分たちが考えているような意味での「みんなで協力」ということが可能なほど完全に意思の統制が取れている存在ではないのか?
 
(段階6─到達)もしかして……
 の「悲惨の6ステップ」を各世帯に一人ずつ配備された悲惨騎士の思想補助も程よく受けつつ順序よく踏んでいくことで立派な悲惨主義者となるわけである。体制の反抗の試み(とその失敗)ですらも悲惨主義啓蒙への養分となることが極めて巧妙な機構となっていた。
 技術の進歩も不毛な努力の最中にないではなかった。そのため、「信頼できない預言書」の内容をもしいつか本当に実現可能なほどの異常概念や異常技術が大アメリカ悲惨帝国内で発明されたのなら、彼らは逆に過剰なほどの自信と傲慢さを溢れさせ世界へ牙を剥くのではないか、という声が上がったこともあるが、それを聞いた悲惨主義者たちからは「そんな日は太陽が冷え切るころまで訪れないだろう。あなたがたはあの本を読んだことがないのか? きっとそのはずだ。そうでなければありえないことなのだ。救けてくれ」とだけ震える字で書かれた手紙が帰ってきた。
 本来であれば鎖国された大アメリカ悲惨帝国からめったに通信が漏れることはないが、この手紙については「十分に悲惨である」との承認印を押されて、数十年ぶりに国外へ送られたのだという。

 パウロは言った。

「この都市の出現とともに時空間異常が検知されたため遡行調査したところ、お前たちのいう"メキサスシティ"はお前たちのいた時間からこの3999年のアメリカ大陸まで転移したことがわかった。お前たちは現に3999年のアメリカ大陸にあり大アメリカ悲惨帝国の法の支配下にある。わかるか」
「まあ。進めて」
「よって協議の結果お前たち全員は大アメリカ悲惨帝国の民としての十分の一税の支払権利と転移時の当地テキサス・メキシコ両隷属州の蒸発虐殺事件の当事者としての過失認定により任意の方法による即死刑が課せられた。だがそもそもこれを告げるべき代表者がわからぬ。よって余が派遣されたのだ」
「なるほどわかった。でもどうなんだろうな。おれが聞いたのは今の話だけで、そもそもお前がいう……」

 一瞬後にジョージはかつてアメリカ合衆国でニューヨーク州リバティ島と呼ばれた土地にいた。薄青黒い空の霧立ち込める世界を振り返ると、かつて彼が自由の女神として知っていた巨大な銅像と思わしきものがそこにはあった。

 ただその手には「信頼できない預言書」が持たされていること、また顔は黒い布でベールのように覆われ、それには白抜きで「悲惨を世界に知らしめる(Misery Enlightening the World)」と書かれていることが大きな違いであった。
 ジョージは口を大きく開けながら言葉を続けた。

「……大アメリカ悲惨帝国とやらが本当にあるのかどうか……」
「ここにある。これがそうだ。そしてジョージよあれを見よ」

 騎士鎧の手が指す方を見ると、パウロのような騎士鎧に無理やり小さな小屋に押し込まれる男の姿があった。少しして出てきた男は着ていた服を手に抱えており髪は剃られて、全身の肌にはびっしりと入れ墨が入れられているようで、新たに首に嵌められた鉄輪から伸びる鎖を騎士鎧に引かれてまたどこかへ移されていった。ジョージは言った。

「これはもしや」
「そうだ。"メキサス"で余を案内できなかった者どもだ。彼らは未啓蒙であるからしてまずは肌で預言書を理解させる必要があるのでそのようにしその後模範的な市民とすべく自信喪失教育を行う必要があるのでそのようにしその間の教育費用をその後適度な労役に従事させその対価をもって回収する必要があるのでそのようにし当然彼らは模範的市民として大アメリカ悲惨帝国のため自ら進んでその対価から十分の一税を納めるであろうからそのようにしまた最後に任意の方法での即死刑が宣告されているので任意の方法で任意のときにそのようにする」

 一瞬後にジョージは再び紫色カンテラで輝く先のない横穴の洞窟にいた。パウロは言った。

「この業務はとてもよいものである。"メキサス"の混沌を見ればわかる。代表者などいないのであろう。代表者がいればもっと統制が取れているはずであるからして。だがそれでも大アメリカ悲惨帝国は要求する。代表者との面会を。よい。我らは何も達成できない。我らは無能力だ。我らは悲惨だ。どこまでも。この"メキサスシティ"は人類の悲惨さのよい症例だ」

 パウロは勢いよく立ち上がると言った。

「さあ友よ共に行こう。そしてこの無知蒙昧なる都市の代表者を探すのだ。そして人間の悲惨さを、余は今、そなたは近く来たるべき将来に、確実に実感できるのである」

 ジョージは落ちてきた洞窟の隅に落ちている大アメリカ悲惨帝国の1ドル紙幣を見た。そのよく見た肖像画の首にも、先程見た鉄輪と同じようなものが嵌められていた。
 ジョージは言った。

「こんな未来だと思ったよ」

 それを聞いてパウロは、立派な悲惨主義者であるなとうなずきながら感心した。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?