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身曾岐で聴いたALWAYSを忘れない


みなさんゆずは好きですか。わたしは大好きです。どのくらい好きかというと、この世界の中で一番好きです。世界中どこを探したってゆず以上に素晴らしいアーティストはいません。17年ファンをやってるわたしが断言します。異論は認めます。

出し抜けに宗教っぽいことを言ってしまった。ゆずっこを17年もやってると色々なことがある。ファンと喧嘩したこともあるし、運営のやり方にムカついたことも。

人生で初めてチケットはあるのに行けなかったライブがある。2016年の"ゆずのみ"だ。20周年突入記念と題したこのライブは東京ドームで2日のみしか行われなかった特別な周年イベントの皮切りライブだった。ゆずっこなら誰だって参加したいライブだった。

行けなかった。当時ブラック企業に勤めていたわたしはどうしても仕事を休めなくて、行けなかった。泣く泣く母にチケットを譲った。そうしてわたしはしばらくして仕事を辞めた。

そんなことで、と思うかもしれないけれど、唯一の生きがいであるゆずのライブに行けなくなったらわたしはもう生きていく意味なんてなにもなかった。

寝る時間も数時間しかなく自律神経を乱してどんどんおかしくなる精神で、毎日を死んだように生きていくことになんの意味があるのかわからなかった。わからなかったから、死ぬか仕事を辞めるかの2択で、わたしは仕事を辞める選択をした。

あの日からわたしはずっと後悔してきた。だから、もう例え仕事であろうとゆずのライブに行かない選択をすることだけは絶対にやめると心に誓った。それは自分が自分でいるための選択だった。


2022年、ゆずにとって"BIG YELL"以来4年ぶりのアリーナツアーが開催された。
それが"PEOPLE ALWAYS with you"だ。
"YUZU TOWN"が延期になってそして中止になり、オンラインで開催され、有観客ライブが開催できずに過ぎた2年をわたしはゆずとゆずっこと一緒に過ごした。

PPLツアーの前の年、2021年にゆずは2年ぶりに有観客ライブとしてホールツアー"謳おう"を開催した。まだまだ流行病が猛威を振るう中、本当に開催することが正解なのかファンも不安だったし、なにより本当に開催して良いのかゆず自身も不安だったことは初日の悠仁の涙から察するに容易い。

それでもゆずはやってのけた。一公演一公演不安だったと思う。終わるたびにホッとしたと思う。ホッとしたのも束の間次の公演への不安を感じたと思う。それでも何事もなく無事に最終日を迎えた。


2年ぶりにゆずに会えたあの瞬間を忘れない。温かいお湯に浸かった時の安心感に全身が包まれるような感覚をわたしは忘れない。2年間忘れていた気持ちを取り戻したあの瞬間を。

わたしにとってゆずは"推し"という概念を超えている。生きる糧だ。生命維持装置だ。大袈裟なんかじゃない、実際にそうなのだ。ゆずがいなかったらこの世なんてなんの価値もないとすら思う。ゆずがいない世界なんて興味ない。そんなものないのも同然なんだから。


未曾有の出来事の連続で誰もがなにが正しいのかわからないまま、ライブをすることは悪いことかのような風潮の中、それでもライブは不要不急ではなく、絶対的に必要なものだったんだと気づいた。

ライブに行けなくなった年、原因不明の蕁麻疹に悩まされて皮膚科に通い続けた。薬の副作用で毎日眠くて必要以上に寝た結果、運動不足とストレスが重なり暴食が増えて当然6キロ太った。ライブにも行かない、人にも会わない、自分にどんどん無頓着になっていってまた生きる意味がわからなくなった。それがゆずに会えたあの2021年の8月にわかった。今この瞬間のために生きているということを改めて感じることができた。


きっと興味のない人はたかがライブって思うかもしれない。ライブがなくても確かに生きていくことはできる。だけど、生きているだけだ。そこに心なんかない。ただ息をしているだけ、心臓が動いているだけ、ただそれだけ。そこにゆずがいて初めて心が動く。感情が芽生える。今日も生きていてよかったと思う。そう思わせてくれる稀有な存在が"ゆず"だ。


もうライブに行かない選択はしないつもりだった。それが、今年の8月に破られた。ついに流行病に罹った。それもこの世で一番嫌いな人間のせいで。本公演ファイナルに参加し、さあ追加公演だ!とあんなに楽しみにしていたライブに行けなかった。2日も。


本公演に4回行けたから、とかそんなことどうでもよくて、またしてもチケットはあるのにライブに行けない状況が起きた。そんなこと言ったって状況が状況なのだから仕方ないし、そんなこと言ってる場合じゃないのは百も承知です。ライブに行くことは健康であってこそであることも。だけど、そんなこと関係ない。ライブに行けなかったという事実はここにある。


あんなに楽しみにしてたゆずに会えない。悔しくて悲しくて泣いた。泣いてもゆずには会えないのに。


そもそもこのご時世でライブに行けることがどれほどありがたいことなのかはわかっている。本公演に4回も行けたことこそ奇跡のようなことだったことも。それでもやっぱり行けないことは悔しい。ライブのために今までを生きているのだから、目の前からそれが全て消え去ったらどうしたって悔しい。


そんな悔しい気持ちを抱えながら完治して迎えた身曾岐神社。2019年ぶりの身曾岐神社でのゆずのライブ。大好きな杜の音。

PPLツアーでゆずは「PEOPLE」の収録曲「ALWAYS」を披露しなかった。「ALWAYS with you」として、「ALWAYS」と既存曲「with you」のリミックス曲を披露した。「ALWAYS」という曲は、オンラインでDAY1"YUZUTOWN"、DAY2"ALWAYS YUZUTOWN"として開催されたライブのDAY2"ALWAYS YUZUTOWN"の最後に新曲として披露してくれた曲だった。


この曲はライブが軒並み中止になり、思うように活動ができない日々が続いた悠仁がどうしたらいいかわからない状況でもがいてる時、見上げた空があまりに綺麗で、ファンのみんなに見せたいと思ったことからできた曲だ。


わたしはこの曲が大好きだ。きっとゆずっこならみんな大好きだと思う。ゆずっこを想って書いてくれたこの曲。ゆずとゆずっこの話でもあるし、悠仁と大事な人の、厚ちゃんと大事な人の、そうしてゆずっこの大事な人の曲でもある。みんなが会いたい誰かを想って聴く曲だと思う。

それを、"ALWAYS YUZUTOWN"で披露してくれたことに意味があった。あの時聴いた「ALWAYS」をずっと心に刻んで生きてきた。


だから、PPLツアーで披露しなかったことに少し戸惑ったけれど納得していた。今回のアリーナツアーは最小限でもできたけれどあえてそうしなかったとゆずがいうように、わたしは初日のさいたまスーパーアリーナでゆずを見た時からものすごい気合と本気を感じた。それはステージのセットもそうだし、一曲目にアルバムにない新曲「君を想う」をぶち込んできたことにものすごい気概を感じた。


言い方は悪いけれど「ALWAYS」はライブができなかったことで生まれた曲だ。立ち止まって再確認する曲だけど、前に進むための曲ではない気がしていた。だからPPLでのアレンジはものすごく納得がいった。


とはいえ「ALWAYS」を生で聴ける日がないことに寂しさを感じていた。


そんな訳だから、身曾岐神社で「ALWAYS」を聴いた時、わたしがどれだけ嬉しかったか。

"YUZUTOWN"がなくなったこと、オンラインで見た"YUZUTOWN"にいつまでも生で見れなかった悔しさを感じたこと、有観客ライブをやると聞いて戸惑った気持ち、2年ぶりに会えた時の嬉しさ、武道館で会えたこと、アリーナツアー、そして追加公演に行けなかったこと。全ての感情が一気に押し寄せて気づいたら嗚咽していた。ライブで泣くことはあってもあそこまで咽び泣くことはなかった。自分でもよくわからない感情だった。


能楽殿に映るライトとゆずの歌声、鳥の鳴き声、虫の声、すべてが重なったあの日の「ALWAYS」をわたしは多分一生忘れないと思う。

死ぬ時に見る映像はきっとこれだと思った。アリーナツアーでは一曲目だった「君を想う」を最後に、杜の音は終わった。あの日の余韻にいまだに浸っている気がする。ずっと醒めないでほしい夢みたいな時間だった。


あの日ゆずがゆずっこだけに聴かせてくれた「ALWAYS」を心に刻んでこれからも生きていく。いつもありがとう。

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