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60歳からの古本屋開業 第8章 先輩からの仕事の話(3)さあ、企画書だ!

登場人物
夏井誠(なつい・まこと) 私。編集者・ライターのおやじ
赤羽修介(あかば・しゅうすけ) 赤羽氏。元出版社勤務のおやじ
秋山(あきやま)氏 夏井の元上司。天才的人たらし


通信教育の現状。

 このnoteを読まれている方々には、
「そもそも通信教育なんて、どうして必要なの?」
「誰がやるの?」
「今どき通信教育って」
という疑問をお持ちの方も多いかもしれない。
 しかし、まだまだ多くの方が通信教育を必要としている。
 これから新しいことを始めたいけれど、近所に習えるところなんてないし、一人で練習しても続かないような気がする、といった思いを持つ方。これが結構多い。特に小唄の場合など、よほどの都会でなければ近くに先生がいるわけもない。始めるならきちんとやりたい、という律儀な方にとっては通信教育が有力な選択肢となる。
 世代的には仕事をやめた、もうすぐやめるといったお年頃が多いようだ。
「そんな人、めったにいないでしょう!」
 またまたそんな声が聞こえてくる。
 その通り。めったにいません。
 でも考えてみれば、世の中、そのめったにいない人々に向けての商売が数多く成立しているものなのだ。
「村上春樹の小説が100万部売れた!」と言っても、日本人の人口から見れば「たった」100人に一人だ。それに比べ、通信教育は数百人に受講してもらえれば、なんとかいける。数千人ならば大成功と言われる世界。
 仮に受講者数500人を目標とするなら、日本国民の20万人に一人が「小唄を通信教育でやろう」と考えてくださればよいのだ。
 では、どうやって小唄の通信教育の存在を皆さんに知ってもらうのか。
 誰にも知られなければ、その500だって怪しくなる。
 そこで登場するのが新聞だ。今でこそ広告媒体としては斜陽と言われる新聞だが、実は、まだまだ優れた広告媒体なのだ。新聞の読者の中心は50~60歳以上。通信教育でターゲットになっている層と完全に一致している。つまり、ここに通信教育の広告を載せれば、確実にこの年齢層に情報が届くことになる。
 さらにその広告費。
 何十年も前から新聞社と付き合いのある老舗の通信教育の会社は、定価と比べると、びっくりするくらい安い値段で広告を出すことができる。その上、今や広告媒体としてすっかり立場を弱くしている新聞は値引きに応じることもあり、さらにお安く利用できる状況にあるらしい。
 そこで広告→問い合わせ→見込み客→入会と、昔ながらのノウハウを駆使して会員を募っていく。
 広告に対しての問い合わせが来た時点で、最終的に何人が会員になりそうかも統計上わかるようで、結構計画的にことは進んでいく。
 小唄に関していえば、すでに新聞広告の掲載は済み、読者からの反応(=資料請求の問い合わせ)がとてもよかったという段階にあった。

ざっくり、企画をまとめてみた。

「小唄を通信教育で教えていく上で難しいのは、その場その場で『そこはこうするのよ!』と(ちょっと小粋な年増の)お師匠さんなんかが、細かく指導することができないところですね。今回の場合、ネットになじみのない世代の方が対象になっていますから。スカイプなどで教えられればやり取りについての悩みも解決なんですが、まずこれができない。そこんところをどう乗り越えるかですね」
 会議は、そんなお互いの思いを確認するような会話から始まった。
 そしてまとまった企画は、
 ・小唄がよく歌われた時代の背景、世界観の魅力を十分に伝える。小唄がどれほど楽しい習い事であるかを伝えること。
 ・小唄をきっかけに、旅行や読書の世界も広がり、生活の楽しみが一気に広がることを伝える。
 ・教材ならではの繰り返し練習が可能な点。真似して繰り返すことで上達する、ということを大切にする教材にする。耳コピーで有名な唄を唄えるような教材にすること。
 ・男女別、声の高さ別に複数の音源を提供し、まず自分に合った歌い方を見つけること。
 ・そして最終的には、地元のお教室、先生につなげていくこと。
 こんなアイデアを存分に盛り込んだ企画書をパワーポイントで製作し(この辺は慣れた作業なので)秋山氏のもとに送ったのだった。
 その日から2週間後。
 赤羽氏とともに秋山氏の事務所を再び訪問することとなった。

秋山氏の事務所訪問。

 もう何十回も来ている秋山氏の事務所は上野にある。
 秋山氏が事務所をこの地に決めた理由はとても分かりやすい。
 まず家から近いということ。電車で一本、通勤時間は30分、これは便利だ。
 しかし、作業に没入しすぎて、ウイークデイのほとんどはこの事務所に簡易ベットを持ち込んで宿泊し、奥様の待つ家には帰っていないらしい。
 次に、上野には旨い店がたくさんある、ということだ。
 秋山氏はとにかく旨いものを食うことに目がなく、しかも凄い大食漢。
 60歳後半を迎えているにもかかわらず、私の3倍くらいは普通に食べる。
 しかも旨い店をたくさん知っていて、そこは人たらしの天才であるだけに、すべてのお店の店主やおかみさんと仲がいい。
 それもそのはず。秋山氏の場合「ここは旨い!」となったら、とにかくその店に通い続ける。5日、10日と毎日、毎日顔を出す。愛想がよく、会話も楽しく、わがままも言わず、注文のセンスも良く、美味しい美味しいと出されたものを楽しみ、金払いも最高。
 そんな理想の客が毎日通ってくるんだから店の人たちも気に入らないわけがない。ほかの客には出さない特別なものも自然に出されるようにもなる。
 そんなゴージャスな毎日を送っているせいだろう。近年、秋山氏の身体はぐんぐん大きくなり、着ているシャツも2Lは確実。ただ、よいものを食べているだけあって、その柔和な顔の色つやは非常によい。
 そんな秋山氏にも小さな悩みはある。
「行きつけのすし屋が事務所のすぐ隣にあるんだけど、親父がいるカウンターの横にでかい窓があって外の歩道がよく見えるんだよ。店の前を通ると必ず目が合っちゃうんだよね。そうしたら寄らないわけにいかないし。でもね、たまには寿司以外のものも食べたいし。そうなるとね、わざわざ遠回りして反対側から事務所に帰ったりするんだよね」
 世間からは、かなり逸脱した悩みだ。
 こうした秋山氏の偏愛ぐせ、これは旨いものだけでは終わらない。
 愛は本(資料)にも向けられる。
 とにかく興味のある本は、すべて自分のものにして手元に置きたい。集めた資料(書類)も、いつでも引っ張り出せるように目の前にきれいにならべておきたい。
 まるで赤羽嫁と私をたしたような傾向を持っている。

 そのため最初すっきり広々していた事務所はたった数年の間に本と書類で埋め尽くされることとなった。両面の壁は窓部分以外は本棚。その本棚からT字でまた巨大な本棚が配置され、部屋を区切り、奥に机(と簡易ベッド)、手前に会議テーブルという配置。つまり会議テーブルに座ると、目の前の三方向が本棚、本と書類しか目に入らないという見事な風景となっている。
 本の冊数など数える気にもならないが、重さにして2~3トンくらいの紙が並べられているのではないか。
 今日もそんな事務所で本に囲まれながら打ち合わせが始まった。
「あれ? 秋山さん、また本棚増えました?」
「そうなんだよね、なんかね、ついね」
「電子書籍を何百冊も作って、ライブラリの運営までやってるデジタル化の専門家なのに、この紙の量は凄いですね」
「ほんとだよね、これでも随分自炊(購入した紙の本を自分で電子書籍化すること)してるんだけど、それでもこんな感じなんだよね」
 いつもの世間話を挟んで、企画の話へと移っていく。
「この前、夏井君からもらった企画、さすが面白いよ。あれで行く。あの企画とか構成案をいただいて、俺の方で提出用の企画書にしたのがこれ」
 そう言って見せてくれたのは、さすがプレゼンの天才秋山氏、それはそれは見事な企画書だった。
 秋山氏の企画書は「もう出来上がっている!」と思わせる見事なものだ。
 私たちが作る企画は、つい、というか、当たり前だが、「こんな企画、こんな面白いアイデアを考えてみました! いかがですか?」という内容になってしまう。わかっていてもそうなる。
 しかし秋山氏の企画書は全然違う。
 ページをめくっていくと、もう講座のカリキュラムや教材はすべて用意万端、「ほら、もうこんなに面白く出来上がってます!」「あとはゴーサインを出して予算が付けば、すべてこの通りに進みます!」という内容なのだ。
 もっと簡単に言えば「こうしませんか?」ではなく、「こんな素晴らしいものになりました!」という内容。
 これに秋山氏のトークが加わるわけで、もう相手はがっちりヘッドロックをかけられ、あとは「とんとん」とギブアップの合図を送るようにOKを出すしかない、そんな凄みのある企画書を常に作り上げる。
 今回の小唄通信教育の企画書も、まさにそんな内容だった。
「これなら行ける、始まるな!」
 いつもながら秋山氏の企画書に感動していると、
「これを出して、早ければ再来週くらいから教材作りの作業にも入らないとね」
と秋山氏。
「そうですか! ではこの作業をやりながら、新しい世代、若い方を小唄の世界に獲得するための企画もどんどん提案していきましょうね」
「いいね、いいね」
「先日、赤羽さんともいろいろアイデア出しして、これから企画はまとめていきますが、やっぱり若い人には動画やキャラが届きやすいと思うんです。小唄のサイトをいろいろ見てるんですけど、レッスンの動画や技術・歴史に関する文字による解説はあるんですが、小唄の世界観を伝えるような美しい動画がないんですよね。それと女性などに好まれるような小唄キャラ。これも作ったら面白いと思いますよ。試しにAIで小唄猫のキャラを作ったから持ってきました」
 小唄を唄う色っぽい猫師匠の絵などを見せながら、話はさらに盛り上がるのだった。
 小唄の未来は明るい。

 それから3週間。若者向けの小唄企画をまとめながらも「その後、どうなったかな~」と思うだけの日々が過ぎていった。
 もう企画の提案は済んでいるだろうけど、通教の会社も即決というわけにはいかないから時間もかかるだろう。でも、まあそろそろかな、などと考えはしたものの、こちらから「その後どうですか?」「早く教材作りましょう!」と連絡するのも何だなー、などと思いつつ、時間だけが過ぎていったのだった。

※記事上の「小唄の通信教育」というものは実在しません。あるいはまた実在のものとは全く関係ありません。また記事上の「小唄の協会」は実在しません。あるいは実在の団体とは全く関係ありません。

(つづく)


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