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お風呂上がりに、久しぶりに、母に髪を乾かしてもらいました。

後ろからわたしの髪の毛をかき回す手は、わたしが自分でやるのよりもすこし雑で、でも乾くのは、いつもより早いです。

髪の毛を乾かしてもらいながら、これはよく思うことなのですが、わたしはきっといつまでも、母の子供でしかないのだな、などと考えていました。

わたしが十代という、明確な子供でいられるのは、あとほんの少しの間だけです。

はたちになる。大人になる。

わたしは、ちゃんと、大人になるのでしょうか。

少なくとも、小さい頃に想像していた「はたち」という像と、今のわたしは、とてもかけ離れているように、思います。

はたちにもなったら、わーっと叫びたくなるくらいに自分の感情が制御できなくなることなんてなくて、字はとても綺麗に書くことができて、なんでもそつなくこなせるようになると、そう思っていました。

わたしははたして、ちっとも成長していません。まだ、毎晩母に髪を乾かしてもらっていた、あの頃から。

自分の感情は、最近益々手に負えなくなってきているし、字は相変わらず汚くて、生きるセンスの無さを日々実感している、そんなふうです。

十代、という肩書きが、はたち、になります。肩書きががらりと変わるのに、中身のわたしが変わらなくて、いいのでしょうか。

わたしには、肩書きに囚われすぎるきらいがあると、そういう自覚があります。そうだとしても、「はたち」というものに、わたしは少々及ばなすぎるのではないかと、思ってしまうのです。

わたしが考え事をし、散歩をし、写真を撮り、詩集を読む、その間に、時間は信じられないスピードで過ぎて、環境も変わっていきます。追いつけないのです。ずっと。みんなのスピードについてゆかれないのです。わたしはいつも置いてけぼり。わたしだけ、ずっと、まだこんなに子供です。

いっそ、大学みたく、明確な単位を取り切らないと大人にならないようにしてほしいです。そうしたら、知らない間に、肩書きだけ先に大人になってしまうことなんて、ないのです。


そんな夢見ごとをつぶやけるのも、あとほんの少し。

わたしはこの先、どうやって生きてゆけば良いのでしょうか。まだ答えは、見つかりそうにありません。


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