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焼鳥の流儀

食べ物をいただく時に流儀などあるのか?
例えば、寿司をいただく時は手か箸か。
なんとなし、寿司は手でいただくほうがオツっぽい。

モヤっとしたことがある。
気の知れた仲間と焼鳥屋に行ったときのハナシ。

4人で入った店で、お任せ串の盛り合わせ10本というのを誰かが頼んだ。
はじめのうちは
「この店の味も初めてだからよくわからん。皆がきになる串をつまむにはちょうどいいチョイスか。」
と思って少しばかり話していると、少し間をおいて10本の盛りが届いた。

火の通りも考えてうまく焼かれていて、どれもがちょうどよい頃合いなのは一目見てもわかる程であった。
「あ、ここの店当たりだったんじゃないか----」と思った矢先
串からばらされていく焼鳥たち。

心の中でモヤっとした感じがした。

「焼鳥は串でいただくものじゃないのか?」

とまあ、そんな気持ちになっているうちにバラされていく焼鳥串。
気づけば皿一面には「鳥の焼いたやつ」が広がっていた。
結局その晩は何軒か飲み歩いたので、そのうちそんなことは忘れて2,3か月くらいした。
所用であの店の前を通ったので、ふと一人で入ってみるかと思ったときに「焼鳥バラバラ事件」を鮮烈に思い出した。

個人的には焼鳥は串のほうがうまいと思っている。
もちろん持論なので異論は大いに認める。

1.何よりも、食べる順番が決まっている焼鳥の串は形状がら上から順番に食べるのが相場である。
すこし試してみてほしいのは、店によっては「一番上と一番下で同じ部位なのに塩加減の違いがある」のだ。

2.空気に触れる部分が限られる
「焼鳥バラバラ事件」で無残な姿となった焼鳥はブロックの表面全体が空気に触れ、恐ろしいスピードで冷めていく。
スーパーで買った総菜コーナーの焼鳥を思い浮かべよう。あんな感じだ。
それが、串にささっているだけで表面積は小さくなり、温度の下がり具合は若干緩くなる。

3.肉汁がこぼれない
「焼鳥バラバラ事件」の現場跡地には大量の肉汁が残されている。
串のまま食べたときにはそんなものほとんど残らない。
これだけ言えばもう十分でしょう。

ネットでいろいろ調べてみれば、どうやら焼鳥を串から外すことに私同様に
モヤモヤを感じている人は少なくないようだ。
そして、私にこの文章を書かせてくれたのは、とある記述を見つけたからだ。

東京・田町などに店を構える「鳥一代」の店主が、『焼鳥屋からの切なるお願い』と題した記事をブログに投稿した。

中身を見てみれば、焼鳥屋の店主が「バラバラ事件をやってくれるな」と言っているのではないか。そして、その理由も焼鳥屋ならではの視点からちゃんと書かれている(これは興味があれば皆さんごらんください)。

もちろん、「金を出した以上はどういただこうがこっちの勝手」と言われてしまえば、元も子もないが、食を愉しみとする人は作り手のココロもくみ取ってナンボではないか。

焼鳥をいただく時、ちょっとでも「串のままいただく」という流儀を皆さんにも知っていただければ幸いである。

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