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「ペリー艦隊遠征記」(上)  (2009年 万来舎)


・ 本論に先立って序論が面白い。
① 本書はペリーの日記を始め乗員の日記や記録などを全て海軍命令で提出させて編纂したものである。編纂者ホークスは勿論、ペリーの意向を十分忖度反映すべく編纂したことであろう。
② 日本に関するそれまでの欧米諸国の理解像が見られるのも面白い。日本人の起源や政治上の機構、宗教、過去の日本と欧米人との接触の歴史、産物や産業、文化(音楽、絵画、印刷、工芸品)と教育、など広範な分野に関して整理がされている。オランダの情報が基本であろうが、意外とよく知っており正確でもある。全体的に、文明国としての評価をしている。
③ ペリー提督の断固たる姿勢が日本のそれまでの方針を一変させた(長崎以外で、親書を受領)のであり、日本開国の功績はひとえに米国のものだとする主張が率直に述べられている。


・ 航路は、大西洋→喜望峰回り→インド洋→香港→上海→琉球→小笠原→江戸湾。帰途は、太平洋を横断しマゼラン海峡を廻っての帰国。
各地の現地人の観察、滞在欧米人の状況、街や港の賑わいなどよく記録されている。画家が一人帯同されているので、各地の風景や現地人の風貌なども収められており興味深い。
・ 中国人一般の評価は、よくない。少なくとも琉球人との比較において、怠惰であり不潔で街も穢いと記録されている。


・ 琉球の記録はかなり興味深い。
3日間の調査隊を現地の反対を押し切って強行する。困惑しながらも案内をする中央の役人と歓待する地方人。米国人には、琉球役人の行動はすべて監視活動、スパイとして受け止められている。
・ 皇太后の病気を理由に王統の面会拒否を貫く琉球の摂政。のらりくらりの対応がそのまま記録されている。武器はないという伝説をペリー一行が信じたような話が吉村の小説には出てくるが、本書ではそれを疑う視点が記されている。
対価の支払いに固執するペリーと恩恵として拒否する姿勢の琉球。結局は多額の米国通貨を受け取る姿を揶揄している。
・ 琉球の支配体制の厳しさと貧窮している農民などの観察記録もある。


・ 小笠原諸島がよくぞ日本領として生き延びたという感慨を持つ。それまでの日本の施策がどうであったか知らないが、ペリー来航時にはアメリカ人を含めて欧米人が住んでおり、イギリスはかつて領有宣言をしたと記録されている。本書は日本の占有権を認めている。
・ ペリーは小笠原をカリフォルニアと中国との通商上の補給地として意味づける。そのために測量だけでなく、動物を放し、あらゆる種類の野菜の種を現地人に配布した。
・ 第1回の来航時の日本への印象は総じて悪くないという感じで書かれている。 ペリーの外交戦略、戦術の成功が日本開国をもたらしたという米国側の自負。
江戸湾に侵入。大統領親書を直接日本国王(将軍)の代理に渡すという強い意向。黒船の威嚇。ペリーそのものを大統領特使という行為の人間として位置付け、己にふさわしい身分の者にしか会わない。長崎開港を断固拒否。1回目の来航時には日本側の回答をあえて求めなかった柔軟性(もっとも食料などの補給問題が実はあった)も持ち合わせていた。


・ ペリー要求の3項目のうち、吉村昭は、通商交渉は本命ではなかったとその作品で述べているが、本書に引用されている大統領親書には最初の項目として貿易問題が取り上げられているので、明らかに吉村の誤りであろう。小笠原諸島視察も通商問題(もっとも相手は中国ではあるが)の延長線上の行動である。
・ 親書受領の日本側代表2名(戸田・井戸)が国禁を守るために終始沈黙を守って行動し、ペリーもまた日本の事情に配慮して同調したエピソードは興味深い。

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