動物にも衣食住?
人の生活には、衣食住が欠かせない。
人間が人間らしい生活を送るために必要なもの。
それが「衣食住」
これについてこの間ちょっと考えることがありました。
それは、
人間以外の動物は「衣食住」をどのように考えているか、
ということです。
赤ん坊なんかで考えるとわかりやすいけど、
赤ん坊って服を着るのを嫌がりますよね。
これから外に出るっていうのに、
服は着たくない、みたいなことをアピールしたりします。
(いや、アピールではないのかな?)
これって、
大人の人間になってからもこういうことがあるのかというと、
まあ、なかなかそういうことはないですよね。
「さあ、これから会社行くぞ!でも服は着ないぞ!」
なんてことはないわけで。
この、服を着る、という感覚は、
非常に人間らしい感覚なんじゃないかなぁ、
なんて思ったんです。
じゃあ、食と住はどうなのか。
もちろん、動物も人間も食事をとります。
が、
人間以外の動物には、
「食事を楽しむ」
という感覚は、きっとないんじゃないかな、
と思うんです。
とにかく生きるために食べる。
普段日常的に僕たちが、
「生きるために食べる」
なんてことをするかっていうと、
あんまりそういう感覚はないと思うんですよね。
もちろん、
間接的には「生きるため」なのですが。
「よし!生きるために食べるぞ!」
なんて考えることって、
あんまりないんじゃないかな、って思います。
そう考えると、
僕たち人間というのは、衣や食をただ生きるためにしているのではなく、
楽しむためにもしているんだ、ということがわかってきます。
と同時にそれは、
「より人らしく生きるため」
でもある、とも考えられます。
つまり、
一般的な動物と比べた時に、
「今、生きている」と感じられる基準が、
人間と動物ではかなり違ってくるのではないか、
ということです。
と、ここまで考えた時にふと気づくのは、
「果たして動物は、自分自身が生きているということを知っているのだろうか?」
ということです。
人間は、
自分自身が生きている、ということを自覚しています。
(もしかしたらそれごと勘違いであるという可能性もなくはないですが)
それに対して、
動物というのは、
もしかしたら自分自身を、それごと自然現象だというふうに
感じているのかもしれません。
いや、それすらも感じていないのかもしれません。
ただ、自分が存在しているということも知らずに、
自然という本能の赴くままに生きる。
それが動物なのかもしれません。
人間はどうでしょう?
人間はきっと、
自分自身が今ここに存在しているかどうかを認知できなかったら、
とてもつもない不安に襲われることと思います。
と、ここまで考えると、
今度はまた、では人間の本能とは?
というようなことを考え始めてしまうわけです。
あーーー、自分が何を考えているのか、よくわからなくなってきました。
なので、衣食住にもう一度話を戻そうと思います。
住ということに関してはどうでしょう?
野生動物もそれなりに、
快適な住まい、というものを求めるように思います。
またもしかすると野生動物の中にも、
住まいにおけるヒエラルキやステータスのようなものを、
と、ここで時間切れになっちゃいました(笑)
続きはまた今度にでもー。
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