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それぞれの答え


仕事を終えてTwitterを開いたら、大好きな芸人さんが解散していた。


あと2週間後には結成15周年の全国ツアーも始まっていたはずで、もちろんそのチケットは取っていたし最初は冗談かと思った。たまに芸人さんがやる、ちょっとした悪ふざけが過ぎる類の。
あまりにも『そうはならんやろ』なタイミング過ぎて、
ご本人たちからのお知らせを読んでも
なんでいきなりこんな冗談を?としか思えなかった。

だけどそういう冗談をやるところから対極にいるのが
私の大好きなお笑いをやる2人だった。


相方の子どもが産まれたというお知らせをしていて、話している本人の横で産まれていない方が「本当に良かった……」と泣くし
交通事故に遭ってライブに間に合わないドッキリには
ドッキリなんかい!という怒りではなく、本当は怪我していないことを「良かった〜!」とまず喜ぶような


そんな2人から醸し出されるゆるくて淡々としたしゃべくり漫才。
そんな唯一無二のコンビが解散してしまった。


推す側は無力だ。
そこにいてくれるから、チケットを買って会いにも行けるし配信も観るし更新されるYouTubeを楽しみにすることもできる。

ファンの力は大きいという言葉をよく、界隈関係なく目にするけれど

そこに推しがいなければ、私たちは何も出来ない。


部屋に飾ってある数年前に行った単独公演で一人一人に手渡してくれたサイン色紙も、
YouTubeを開けばトップに出てくる彼らのチャンネルも
チケット購入サイトの履歴に並ぶ彼らのコンビ名も
解散というTwitterのトレンドも
アカウント名から消えたコンビ名も
9月2日のスケジュールに入れた全国ツアーの予定も

全てが悲しみスイッチをONにするきっかけで、一つ一つが自分の真ん中に深く刺さって抜けない。

自分の中にある彼らへの想いをすくってもすくっても
砂時計の砂のようにさらさらと零れてしまって
手のひらには何も残ってくれなかった。

解散って、なんだっけ
今年、M-1ラストイヤーだったなぁ




翌日、コンビの片方が出るトークライブがあった。
正直1人で舞台に立ってるその人を見たら解散の事実を突きつけられる気がして迷ったが
もしかしたらその姿を見ることで、何かの答えが見つかるかもしれないとも思った。

すがり付くように私はチケットを買った。

ここからはあくまで私の感じたことになるけれど

配信が始まって、舞台に出てきたその人を見て私はいつの間にか泣いていた。
案の定1人だったからではなく、あまりにも傷ついた人の顔をしていて、とてもとても弱って見えた。

なんで本人が誰よりも私たちみたいな顔をしているのか、
ガツガツと前に出てきてワーワーと喋る芸人さんとは違う
例えるなら秋の夕暮れみたいな、ゆるくてあったかい他の芸人さんとは一線を画すいつもの雰囲気はどこにもなくて、
舞台上で今にも泣き出してしまうんじゃないかと心配になるほど弱っているように見えた。

「解散するんだろうなということは実は前もって知っていた」というようなことを他の芸人さんが仰って
でも発表するタイミングがあんなに急だったことは誰も知らなかった、むしろ本人たちも前日にいきなり知ったようなことを本人もお話されて

なんだかそれを聞いたら、急に心の中にあった「どうして」が少しずつ消化され始めた。


きっと私たちには知り得ない色んなことがあって
本当のところ何があったかはいつか語られるかもしれないし、金輪際私たちには明かされないかもしれない。


でも解散に対してからっとしたものではなく少し湿度を感じる、だけど一つ一つお客さんに向けて言葉を選びながら話している姿がそこにあった。


その姿を見ていると、私は2人のお笑いが大好きだったけど、たぶんこの人も自分たちのお笑いが好きだったんだろうなとなぜか思っていた。

それがとても救いだった。



こう感じたのは私だけかもしれないし
もしかすると全くご本人の意図とは違うかもしれないけれど
こういう時はそれぞれの解釈で、自分の気持ちの落とし所を見つけるのが大人としての正しいやり過ごし方だと思っている。



2人の出囃子は、斉藤和義さんの空に星が綺麗という曲で
初めて聞いた時からスマホに入れていて
解散のニュースを知った後に改めて歌詞を文字で読んで、
またちょっと泣いた。

今も心の奥でざわつく  あの気持ちは変わっていない
でも...

あの頃の僕ら今 人に頭を下げて
笑ってはいるけれど
目に見えない涙こぼれるね


口笛吹いて歩こう  肩落としてる友よ
いろんな事があるけど  空には星が綺麗
誰も悪くはないさ  きっとそういうもんさ
口笛吹いて歩こう  空には星が綺麗

空に星が綺麗/斉藤和義


おふたりがこれからも楽しくお笑いをやってくれますように。
私たちの前に立ってお笑いをやっていてくれる限り、応援していく覚悟を、私は作りました。
なぜなら、まだおふたりのお笑いを見たいから。


推す側は無力。
でもそれは私たちから見たものであって、ご本人たちから見ると少しくらいは力を宿しているんだと思っていたい。



コマンダンテ、15年間本当にお疲れさまでした。
休養中の安田さんが早く戻ってきてくれることを祈っています。

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