母の生きがいと介護の喜び

 最近よく健康年齢が大事とかピンピンコロリが理想、そうなる前から健康に気をつけましょう!などという話をよくきく。

 まあそうなんだろうけど、私の母はそうではない。左半身麻痺の重度要介護者だ。3年前の夏、脳梗塞で右脳がやられてしまったのが原因だ。今までどおり普通にしゃべれるのはありがたかった。同じような人でも喋れなくなることもあるようだ。

 車椅子で生活をしているが、トイレも一人ではいけないし、車椅子からベッド、またはその逆の移動も補助が必要だ。家のお風呂は無理で施設の整ったデイサービスでスタッフさんに入れさせてもらっているが、そこでお世話になっている全員が入るので、そのお風呂はあまり入りたくないと言っている。家での介護は父と私の二人で行っている。

 毎日やっていた料理、洗濯、掃除、庭の手入れなどもできなくなった。たまに料理のやり方を聞くと待ってましたとばかりに親切にいやむしろうるさいぐらいにああだ、こうだと指示してくる。庭の草木も大切に育ててきており、今でもそれぞれの時期になれば花を咲かせて楽しませてくれる。父も私も草取りなどの手入れをほとんどしないので、雑草がはえていたり、草木が弱っていたりすると、色々うるさい。あと夜は灯りとテレビをつけっぱなしで寝る。暗闇と静寂が恐いのかもしれない。そんなふうに母の生活は一変した。

 脳梗塞になってからまる3年、最近になってようやく頭がはっきりしてきて色々考えるのか、元気がない、死んでしまったほうがええ、などと口にする。

 まあ気持ちはわかるし、元気に楽しく過ごしてほしいので、趣味だったカラオケをしてみた。「おもいで酒」を歌った。大声だが、音程はバラバラでうまくないが、そんなのお構いなしで、最後まで気持ち良さそうに歌った。たまたまその日、デイサービスでもカラオケを歌うことになったようで、ちょうどよかったと喜んで話してくれた。

 昔はカラオケ教室に通って楽しんでたのでカラオケはいいと思ったが、自分から進んでやりたいとは言わない。他に何か楽しみになるようなものはないかと、youtubeで演歌を聞かせたり、雑誌を読ませたり、日記をつけるようすすめてみた。その場は喜んでやるのだが、ちょっと違うのかなと思う。

 そんな努力とは関係なく、日々の生活は過ぎ、母の便秘問題がでてきた。何日たっても便がでる気配がまったくない。最初は牛乳を飲んだり、整腸剤を飲むことで出ていたが、やむ無く市販の下剤を使用することにした。

 下剤は効果てきめんででるようになった。しかし、いつでるかがわからない。飲んだ直後とか、こちらが構えているときに出てくれればいいのだが、便意は突然やってくる。母から呼ばれたときにはオムツの中に少しでていたりする。その程度ならいいのだが、後始末が大変で泣きたくなる場合もある。

 2ヶ月に一度、母は薬をもらいに病院に父といっている。私はテレワークがあるためいけないが、どうしても母の便秘を解決したくて、先生に手紙で相談してみた。その時は下剤をもらい、少しずつ飲めばいいと助言してもらったが、もう少しマシな処置を期待していたのでちょっとがっかりした。

 でも先生も気にかけてくれてたようで、その次に病院に行ったとき、タイプの違う下剤(マグネシウム成分で低刺激タイプ)を、処方してもらい、服用し始めたところ、普通にトイレで大ができるようになったのである。そのときは、母も、その補助をした私も、台所で片付け物をしていた父もやってきて、みんなで喜んだ。

 ああ、これでいいのだ。母に楽しみができたわけではない、ただトイレで用を足すことができただけなのだが、困難を克服したという充足感を感じることができた。毎日の母の生活におこる苦難にみんなで立ち向かい、克服し、喜ぶことが、母にとって生きがいになるのだ。父や私にとっても母の介護をする喜びになる。

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