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時には、諦めることを、自分に許す

人は、同じこの世界に生きているようだけれど、
実は、それぞれが見ていることや、考えていることから創り出された、”自分が、当たり前と思っている世界” の中で、生きている。

自分と似た考えの人たちといる時は、同じ世界で生きている感覚を持てるけれど、

「え? それは、おかしいんじゃない?」と思って、一生懸命説得しようとしても、理解してもらえない時、
「この人は、自分と違う考えの世界で、生きているんだなあ」
ということを感じる。

そして、自分が当然と思っている世界も、相手からしたら、理解できない世界なんだろうなと思う。
そういうことを、思い出させてくれる。

理解しあえないけれど、一緒に取り組まなければならないテーマがある時は、どこかで妥協しあえる地点を探さなければならない。

会社のような組織であれば、組織の目的を実現するために、妥協点を見出すことになるけれど、

ご近所で、お互いの違うニーズを、どのように共存させるか、というテーマの時は、どれだけお互いが、相手のことを理解しようと努められるかに、かかっている。

「お互いに、理解しあおうよ」という呼びかけに、応えるつもりのない人に、いくら理想を説いても、難しい。
その難しいことに、引っ張られて、たくさんのエネルギーを使ってしまうと、疲弊してくる。

「時には、諦めも、必要だね!」と、諦めることを自分に許して、
自分のエネルギーを、大切なところに集中しよう、と思った。

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