裏長屋物語4

江戸の水路は、神君家康公以後、為政者となった武士たちが人々の生活を安定させるために、長い年月を経てつくられていった。基幹産業である農業を奨励するため、利根川の流れを変え、水害を避けるとともに耕地を増やしていった。そして、江戸の町は将軍を筆頭に旗本・御家人や参勤交代で全国から集まる大名たち、そして彼らの暮らしを支える商人や職人たちが集まる大消費都市となっていった。

人が生きていく上で欠かせないものは水である。飲む水がなければ生活は成立しない。そのため、江戸の水は玉川上水や神田上水が整備され、江戸に住む人々の喉を潤した。そのため、水は貴重であり、人々は協力して、水路の維持を行い、大切に使っていた。

空が白み始めた早朝、井戸端で女が水を汲んでいた。ほっそりとした腕がとても白い。汲んだ水で黒々とした長い髪を濡らし、顔を洗う。白い手拭いで髪や顔を拭うと、腕まくりした袖をもとに戻す。

「さきさん今日もお早いですね。」蔵之介の声だった。

「蔵之介さん、おはよう。ここでの生活は慣れたかい?」女の名はさきと言った。さきはしばらく前からこの長屋で一人で暮らしている。歳のころは27歳。当時の感覚では、ずいぶん年増と見られる年齢である。

「みんなによくしてもらって、だいぶ慣れてきました。仕事ですか?」

「ええ、今日も精を出すよ!」

さきは料理やで働いていた。一人で切り盛りしている。さきの両親が開いた店だ。神田でひっそりと営んでいる。父と母から受け継いだこの店を、さきは一生懸命守っている。父や母の人柄で贔屓にしてくれている客も多くいる。何より、みんなが笑顔になってくれるこの仕事が好きだった。

部屋に戻ったさきを見送りながら、蔵之介は井戸の水を汲み、水面に写る自分の顔をじっと眺めた。揺れる水面は自分の心象を表しているようだった。さきのお店は様々な階層の人間がいて、みなが温かいご飯を食べながら、笑ったり、冗談を言ったりして、楽しそうだった。生きることは働いて食って寝る。それだけだと客の一人は言っていたが、それが尊いとも言っていた。

その言葉が、蔵之介の心には強く響いた。蔵之介はそんな思いを断ち切るように桶の水で顔を洗い、それを3度繰り返して、手拭いで強く顔を拭き、部屋に戻った。

歴史を学ぶ意義を考えると、未来への道しるべになるからだと言えると思います。日本人は豊かな自然と厳しい自然の狭間で日本人の日本人らしさたる心情を獲得してきました。その日本人がどのような歴史を歩んで今があるのかを知ることは、自分たちが何者なのかを知ることにも繋がると思います。