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✨ハーフの子供を産みたかったわたし✨


〜小学校6年生ぐらい〜

⁡部活の帰り道
幼馴染の子と話をしながら帰っています。

「カァー」「カァー…」
空ではカラスが鳴いています。

⁡太陽の色はオレンジ色になり
これでもかというぐらい光り輝いて
私たちを照らしています。

⁡わたしは、あまりの眩しさに
黄色い帽子をさらに深く被ります。
そして、色々な話で盛り上がっています。

「ねぇねぇ…
なみちゃをはさ、いつ結婚する?」
幼馴染の子が突然わたしに聞きました。

「え?わたし?…」
あまりに突然の質問だったのでちょっと動揺した。

そうか…結婚かぁ…。
たしかに、結婚はしたいかも…。

「うぅ〜ん… 」
「22歳ぐらいで結婚して、若いお母さんになりたいかなあ…。」

「子供は女の子かなあ…」

「相手は、海外の人で
ハーフの子供が産みたいなあ…。」
「だってさ、ハーフの子供って可愛くない?」
わたしは、目をキラキラしながら答えました。


「おぉ〜!」
「いいね!なみちゃんなら若いお母さんになってそう」
幼馴染の子はそう答えました。


おわり


これは、大切な“あなた”に贈る…
わたしの物語のほんの1ページのお話… 📖✏️


〜後書き〜

実は、22歳の頃に、幼馴染の子に再会するまで
この会話のことはずっと忘れていました。

⁡相手の方は、外国の方ではありませんが
22歳で結婚することになりました。
いやぁ…
いま思い返してみても早い…。
もっと、たくさん遊んでおけばよかったなと思っています🤫

そして、母からは…
「なみはずっと結婚できないだろうな…」って
思われていました。
それぐらい、このこの結婚が周りの人達にとっても
かなりの衝撃を生みました。
この話はまたいつか書きますね。

22歳の年に結婚をして
23歳の終わりに上の子を出産しました。

そして、今でいう“ワンオペ”でしたが
なぜかわたしは子育てをすることが
嫌ではありませんでした。

赤ちゃんって育てるのは本当に大変です。
だけど、ほんとうにかわいいんです。
わたしは、子育てを通じて
本当にたくさんのことを学ばさせていただきました。

わたしがいつだったか
夫に言った言葉があります。

それは…
“子育てを楽しむ”でした。
辛くて大変なときほど、それを忘れずに
ずっと子育てをしてきました。

簡単に言うんじゃない!
はい、分かります。分かりますよ。
言葉が話せない分、何を言いたいのかを
汲み取らないといけませんもんね。
そりゃぁ大変です。わかります。

だけどね
子育てが終わられた方ならわかるんじゃかいかな…。
その大変な時期って
終わってしまうと、短かかったなと感じるはずです。

また、わたしが上の子を育てていたときは
携帯がガラケーだったので
調べたくても簡単には調べれませんでした。

熱•咳•鼻水•発疹…
たくさんの症状が出るたびに
なんだ?なんだ?の連続でした。

だけどね
知らない知識を知ることが大好きなわたしにとって
このなんだ?なんだ?は、深掘りもできるし
腑に落とすこともできるし、たくさんの学びも得れるし…
それはそれで貴重な経験でした。

もちろん、病気になれば心配です。
重たい病気であればあるほど…
親ならば誰でも変わってあげたいと思うはずです。

だけどね
自分の子供がどんなことを経験して産まれてくるのかは
例え親であっても分かりません。

でもね、例えどんな経験をしたとしても…
そっと寄り添うことはできると思うのです。

だから、どうか…
その小さな手を離さないで欲しい…。

だから、どうか…
自分の足できちんと生きていけるように
親も子供も一緒に成長して欲しい…。
 
また、わたしの場合は、どうしても子育てを
経験したかったのです。
女の子を自分の手で育ててみたかったのです。
そして、子育てを通じて色々と学びたかったのです。

だけどね、学ぶことって
何も子育てじゃなくても学ぶことは
可能だと思っています。

そして、最後に…
どうか…
自分なりの学び方を見つけて欲しいと心から願っています。

そして
あなたがあなたらしく生きていけますように…。
そんな風に心から願っています。

はい、🤗
いつものように最後に言わせてくださいね。

⁡決して怪しい者ではないですからね😎

⁡そして
これからも書いていきます✏️

最後まで読んでくれてありがとう。
Yuzu.yuzu.. “なみ”

2022.05.16.  Instagramより


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