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機嫌のよさを保つ技術

21世紀にはいって20年がたった今では、「機嫌のよさ」を保つための方法というのが、そろそろ常識になっているのではないか、と思う。

機嫌の悪い人というのはかなり迷惑だし、時代遅れの存在になりつつある。そう思いませんか?

20世紀後半までは、日本でもアメリカでも、ある一定の社会的地位を持つ人には機嫌の悪さをむき出しにすることが許されていた。

昭和の時代には「雷おやじ」という存在もあった。昭和40年代くらいまでは多くの家庭でお父さんに絶対的な地位が(一応は)付与されていたので、お父さんが子どものように癇癪をぶちまけることにも、家族のストーリーに沿った意味があった。

でも家族のかたちも変わり、多様性が尊重されるようになった今では、機嫌の悪さを振り回して役割を演じることはもうOKではなくなってきている。

気に入らないコンビニの店員を怒鳴りつける客も、部下を感情的に叱り飛ばす上司も、おそらくは自分がそこでカンシャクを爆発させる権利を持っていると信じているのだろうけれど、相手が同じストーリーを理解してそのプレイにつきあってあげないかぎり、それは単なるハラスメントにしかならない。

他人に怒りや不満をぶちまける人だけでなく、強い不安を持っていたり、自分自身をひどく攻撃している人も、実はかなり迷惑な存在だ。

たとえ自分に向けたものであっても、憎悪や攻撃の念は世間にダダ漏れして、まわりの人を傷つけている。

わたしはこれを知ったときに本当にびっくりした。自分を責めることがほかの人を傷つけるなんて、24時間ほとんど休みなしに自分を攻撃しつづけていた10代のころには、考えたこともなかったから。

不安や緊張は伝染する。どんな気分も、まわりに影響を与える。人間のあいだでは言葉よりも感情のほうがすばやく正確に伝わる。もちろん、ひとの感情の変化に気づきやすい人や気づきにくい人はいるけれど。

言語ができたのは進化の過程でかなり最近のことなのだから、これは当然だと思う。言語が発明される以前、ヒトは長い間、情動でうごく動物だった。最初のヒト社会は、きっと感情をつたえあうことでなりたっていたのだろう。

緊張している人と対面すると人は緊張するし、楽しそうにしている人を見るとホッとする(心が病んでいるときには幸せそうな人を憎んだりすることもあるけれど)。

わたしは40代も後半になって、かなり安定して毎日機嫌よくヘラヘラしていられるようになってから、まわりにもニコニコしている人が増えてきた。

不機嫌に不幸せに生きることは、まわりの人にもその不幸を配って歩いているということだ。わたしはずいぶん多くの不幸な感情をばらまいてきたものだ、と思う。

ドロドロした感情の軋轢のドラマに生きていきたい人もいるかもしれない。それはそれで良いのかもしれない。でも私自身は、自分のいたらなさを笑い、世の中の不条理に落ち込みながらも出来る範囲でヘラヘラ機嫌よく楽しく暮らしていくことのほうが、不機嫌と不幸を避けがたい災難のように思ってイライラしたり不安に陥ったりしながら暮らすよりも、ずっとお得だと考えている。

自分を機嫌よくしておくための方法、メソッド、地獄脱出のためのマニュアルは、ほんとうにたくさんある。

最近では企業でも積極的に福利厚生に取り入れらている「マインドフルネス」もメソッドの一つだし、無数のセルフヘルプ本が同じゴールをめざして無数のメソッドを提供している。高額なセミナーもあれば、YouTubeの無料番組もある。そもそも仏教の教えも究極の心の平安を教えているし、スピリチュアル系のグルたちも皆基本的には同じようなことを言ってるし、認知療法やアドラー心理学もたぶん類似の方法を提供しているのだと思う。

19世紀までは、こういった心の状態や精神の扱いに関するメソッドは、宗教と哲学の独壇場だったのだろう。欧米ではキリスト教会が精神にかかわることをほぼ独占的に請け負っていて、近代的自我が出現したあとでニーチェさんはそれを神なしに自力でやろうとして爆発した…のだと思う。

20世紀の半ばから、アメリカ西海岸を中心に仏教やインドのヨガ行者の思想など、西洋にとってはあたらしい思考体系が輸入されて、カウンターカルチャーやドラッグカルチャーと融合しつつ、独自の進化をとげていった。

お手軽な思想とバカにされつつも、60年代の西欧のカウンターカルチャーに輸入された東洋思想が残した遺産は大きいし、それが心理学と融合して、現在のさまざまなセルフヘルプメソッドとして進化を遂げ、現在の文化のなかに溶け込んでいる。

雑なまとめになってしまうけれど、あらゆるメソッドに共通しているのは、

機嫌よく生きる姿勢を自分で「選ぶこと」
そのために自分の内面を点検し、自分と一体化してしまっているストーリーを解体すること
それを「習慣にすること」、生き方にすること

……ではないかと思う。

それを実現するための情報がよりどりみどり、フルオープンで公開されているいまの時代にあっては、機嫌よく暮らすためのスキルは、とても手にはいりやすくなっている。わたしも、できることならもっと早く、20代になる前に知りたかったし身につけたかったと思う。

自分のことを知る技術は、小学校から必須科目として教えるべきだと思う。賛否両論のある「道徳」なんかよりずっと実効性があるし重要なトピックだ。


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