マザーテレサとモテたいギャルは同じ

ああ、何か書こうかな。そんな気分です。

ものを書くにあたって大事なのは何を書くのかではなく、
なぜ書くのかに重点を置くべきであると思う。


だからと言って「目的意識を持つべき。」
といった古臭い梅干しのような事はいうつもりはないし、いう権利もない。

だが、人間の頭の中には猿がいてダラダラしたがる。
目的意識を持つという指針をマストのように打ち立てなければ、
猿に舵取を任せるような難破船になってしまう訳である。


ここまでざっと200文字。
ひとまずここまで読めたあなたは読解力が相当にあるでしょう。
とても感謝です。


自己紹介させていただくと私はただの凡人であります。
しかし祖父は政治家のようなものをやっていて
親戚や父は会社経営などをしている実に恵まれた家庭で育ちました。

しかし優秀な親族に比べて、馬鹿息子である私はそんな志はありません。
ただ自分の人生の幸福を最大化したいだけなのです。
ですが、そんな私だって私も若い頃は(2年前)
マザーテレサなどに感化され海外ボランティア等など経験したものです。

しかしながら、それらの行為によって
実利的に相手国の方には何ももたらしていません。

ただ「マザーテレサの気持ちや心に近づいた!」
という自己満が膨らんだに過ぎないのです。
だからと言って自虐的になってるのではないですよ。

誤解を恐れずに言うと(この表現使ってみたかった!)
人生はいかに自己満できるかゲーではないでしょうか。



私が思うにマザーテレサの奉仕行為とモテるためにダイエットする。
と言う事は本質的に同じである

確かにマザーテレサがした行為は尊いし、
端から見れば聖人君主のように映るでしょう。

しかし、マザーテレサの奉仕行為もまたマザーテレサにとってみればまたダイエットのような自己満なのではないでしょうか?


マザーの人生にとって、施設を建てること、
目の前の死にゆく人に愛を注ぐ事、
つまり人のために尽くすのが自分の使命であると信じたのではないでしょうか。


マザーのファンには叱られそうですが、、、
その使命というのは単なる自己満の思い込みに他なりません。
話が神聖すぎるがあまりそう感じづらいかもしれませんが。

人は人によって「これがしたい。あれがしたい」と言った
使命、願望など。ひとまとめにすると欲望に従って生きている。
これは変えようがないし、ねじ曲げるものでもない。


マザーは単に奉仕するのが気持ち良かったのだ。
人間の欲望のうちに過ぎない。

だからこそ、それはギャルのダイエットのようなものなのだ。

その使命はみんなちがってみんないい。小学生の時に習ったではないか。



そして一番私が伝えたい事は
「使命に関しては、優劣をつけるべきではない」

マザーのような誰の目にとっても応援できる使命もあれば、
ダイエットしてモテたい。
といった殆どの人からすればまあどうでも良い事もあります。


しかしマザーら当人らからして考えれば
この周りからの批評こそが最もどうでも良いのです。


なぜなら人生の幸福の最大化が当人にとって最も重要なのですから。


たまたまマザーの人生は幸福を得るために貧しい人を救う。
と言う全能感に酔いしれただけ。


おまけに神から啓司を得て
活動を始めたという逸話もあるなら、
幸福度を高める人生にとって尚更スパイスじゃないでしょうか。


一方そのギャルは
たまたまコンプレックスを強く感じる繊細な子だったから、

周りと比べてしまって太ってないのに痩せたがる。

そんなギャルにとっての使命を果たしさえすれば、
目を合わせてくれない最近できた大好きな彼氏?が
こっちを見て可愛いって心から言ってくれる。

友達と映った写真を自分だけ加工して
罪悪感に蝕まれることもないし、
友達からの陰口に涙することもない。そう信じてるのだ。


マザーが自身に課した使命と向き合う中で、
時には想像もできない程辛い経験もあったでしょう。
しかし、それはやはりダイエット中に風呂上がりのバニラアイスを我慢する苦しみと本質的には同じなのです。


なぜ、私が使命に関して優劣をつけたくないか。

それは他者の使命と自分の欲望を比べて落ちこんで欲しくないからです。



私の近しい人物に幼少期に離婚して母親と二人暮らしを始めた子がいました。
彼女は母親しか頼れる存在がいなかったと言います。


そんな中彼女の母親は次々と新たに彼氏を作り、
その愛を他の男へ注いでいくのです。

当然、彼女は悲しみます。
世界でたった一人の母親からの愛情を十分に受け取れず、
どうすれば母親に愛してもらえるかを考え続け、悩んでいきます。


そんな彼女は悩みがいかに自分のことしか考えてないのか
世界にはもっと困った人がいるはずのなのに、


私の願いはなんて自分勝手なのかと絶望します。


彼女が自分の願いや苦しみを他者の行いや環境と比べて
落ち込む必要はあるでしょうか?

その人の痛みや苦しみはその人だけのもの。

誰にも否定する権利はない。

自分自身が苦しんでいるなら、苦しい、辛いって言って良いんだよ


だからどんな願いだったとしても


他人と比較せず胸を張って欲しい。



つらつらと書きながら、物を書くという事について考えてみたが、
やはりものを書くと言うのは人生の縮図のようなものかもしれない。
何か指針を立ててそれに進んでも良いし、
やっぱり猿に舵を取らせてダラダラするのもまた楽しいかもしれない。

自分さえ楽しければ良いのだ。

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