美しさは何に宿る
yuzuです
ある記事が目に止まりまして
その内容に少し思い耽る時間が長かったので
持論として残しておこうかと思います◎
記事の内容は
ある女の人がVIOを脱毛する必要があるか無いか
を某論破王とdebateするという内容
朝イチ、ニュース記事を見ていて
見出しにやられた感がありながらも
内容を見てしまった私
ぶっちゃけ内容は下の下だと思いますが
なんだかそこから私の妄想が
一人で走り出してしまいまして
検索していたのがこちら☟
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髪五尺ときなば水にやはらかき
少女ごころは秘めて放たじ
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与謝野晶子の乱れ髪
なんで、その記事を見ていて
与謝野晶子?となるかもしれないのですが
私的には、そのdebateの中で
「なぜVIOは否定するのに脇は脱毛するんですか?」
という質問に対して
「脇はよく見えるところだから」
というお返事だったからです
そもそも、身を守るために
毛があるのだからVIOはするべきではない
と言っていた彼女の意見はその発言により
破綻したな、と私は思ったのだけれど
私的には、そもそも女性の美しさとは
(特に私は日本人なので)奥ゆかしさや恥じらい
みたいなものも含まれるし宿ると思うのです
と、言うわけで
はじめから恥ずかしいと思うのならば
隠して出さなければいい
と思うのが持論です
脇の毛を脱毛する、というのは
自分の中で
〝脇に毛が生えているのは恥ずかしい〟
と思っているからで
それを周りが恥ずかしいと思わせる
空気を作っているからだと思うんですよネ
もうそれは世界的に脱毛が当たり前となった今
仕方のないことかもしれませんが……
特に業界の人だと余計にですね
例に漏れず
数年前に私も手を出していましたし
いろんな理由から必要なところ以外の
毛は無くなったら楽なのに
と思うことが沢山あります
まぁでもそれももう色んな意味で
不毛な話だなぁ、と客観的に見てしみじみ思いました
伴侶となる人以外には
肌を見せないのが当たり前だった文化は
素敵なものだなぁ、と思ったので
与謝野晶子の言葉が頭をよぎりました
(内容までは覚えておらずでしたが)
今回の話でいくと
その人以外に肌を見せることがなければ
毛について否定されることもなく
もしも愛してくれる人が毛がどうこうと
言われるのであればきっとその人は
伴侶となるべき人ではなかった、と
諦めもつきますからね
そして先ほども言った
恥じらいや奥ゆかしさが毛なんて
リカバリーすると思っているわけです私は
(変な癖を語っているわけではないです)
所作であったり
その女性(ヒト)が創り出す雰囲気が
女性(ヒト)としての真の美しさを作るのだと
思っています
そしてそうゆう人になりたいとありたいと
思っています
ショートカットの私からすると
ドライヤーやトリートメントや
美容室もなかった時代に
丁寧に長い髪をお手入れしていること自体
そのお手入れしている姿自体が
とても美しいと思います
想像するだけでウットリ
こんな便利な世の中でも
私はショートカットなもんで
他のところを磨きたいと思いますが!
人間なんて体中毛穴があって
頭からなんてたっくさん
毛が生えているのにも関わらず
ある記事でここまで思いを馳せてしまったので
記事にしました✎
上記のような言葉も
一時期流行っておりましたね〜〜
分かるような分からんような
それでは、また
(終わり方分からなくなった)
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