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「悲劇のヒロイン病」

たぶん、記憶力がいいほう。
日常的に、感情を伴って映像のように呼び起こされて、一人映画館のようなことをしている。

言ってしまったことも、言われたことも、やってしまったことも、悪いことばかり、意識していないとあっという間に頭を占めていて、その度に、ああ、「悲劇のヒロイン病」だと俯瞰する。

昔はそんな「悲劇のヒロイン病」から抜け出せずに悶々としていたけれど、最近自分の成長に気づいた。

あのときのあれ、よく考えてみれば、優しさか?

そう、冷静に考えてみたら、当時は本当に傷ついたけど、冷静に考えたら、あれとかあれ、優しさじゃんと思えるようになった。

そして半分くらいあれは悪意だろうなということもあるけれど、そういうことはあまり思い出さないように、優しさだけを感じ取れる都合のいい頭になってきた。

昔は真実だけ見ようとして、それがどんどん歪んでいって、勝手に引き篭もって、辛くなってたのかもしれない。

大人になって、自分の都合のように考えるという処世術がついて、すごく楽になった。

「悲劇のヒロイン病」はそれを生業にしていない私には必要のないもので、むしろ忙しい今、そんなものに罹っている場合ではないのだ。

「しっかりしなさい私」と喝をいれる夜でした。

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