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「大坪美穂 黒いミルク―北極光・この世界の不屈の詩―」感想

生きる色と死ぬ色、という作品たちだった。
戦争を感じたことのない世代に見に行ってほしい。

展示会情報

■大坪美穂 黒いミルク―北極光・この世界の不屈の詩―
会期:2024年4月13日(土)~5月26日(日)
会場:武蔵野市立吉祥寺美術館
開館時間:10:00~19:30
入場料:大人300円
アクセス:JR線•京王井の頭線 吉祥寺駅 北口より徒歩3分
展覧所要時間:30分

生きる色と死ぬ色

明るい色(生きる色)と暗い色(死ぬ色)の対比が美しくて禍々しくて、画家自身の葛藤が心に流れ込んできた。

自分が色の対比にはじめに注目した作品が「家族の肖像 a、b、c、d」。
子供の、成長して着られなくなった服が版画に使用されていた。真っ白のキャンバスに真っ黒の子供服の刷り写し?と、ところどころに淡い橙の絵の具が落とされていた。

着なくなった服=死の色(黒)で淡い橙は生きる色と解釈して「この人は生きると死ぬをすごく意識しているんだな」と改めて感じた。

そこから全ての展示を色の対比で見直すために展示場をぐるぐる回った。

《一輪の種のように》

向日葵は枯れて首を垂れるが、無数の種を抱えている。やがて種は地に落ち、芽を出し、またあらたな向日葵が大輪の花を咲かせるだろう。私たちは、明日への希望を失ってはならない。

一見大きな向日葵が枯れている暗い作品に思えたのだが、よくよく見ると端は暗く、真ん中は明るい色で塗られている。きっと中心の明るさは画家のいうところの希望なんだろうと解釈した。

《黒いミルク》

大坪は、いま、世界は「黒いオーロラ」のようなものに覆われようとしているのではないか、と語る。和紙でつくられた白い紙縒りは、蔓のごとく繋がり絡まり合い、ニュースペーパーでつくられた紙りは、私たちの眼前にオーロラ(北極光)のように降りてくる。無数の紙縒りと、それらがつくりだす影の複雑な形象は、私たちがいま置かれている状況を示すかのようだ。紙縒りの奥に静かに並ぶのは、大がパウル・ツェランの詩から着想し、ホロコーストを主題としたく黒いミルク>。人間の尊厳が失われてゆく光景は、もはや歴史上のできごとにとどまらない。しかし、布玉が一つひとつ異なるように、同じ染料で染めたはずの布の色が全て異なるように、個の存在の事実は、消えることがない。そして、ヌーラ・ニー・ゴーノルがあらわすように、私たちには、いかなる局面にあっても失われ得ない「詩」が有るはずだ。
展示室を出るとき、私たちはどんな一歩を踏み出すだろう。

まず目の前に飛び込んできたのが「黒いオーロラ」。

白と黒の「オーロラ」があり、それぞれが複雑に絡み合って天井を覆っていた。生きる色と死ぬ色で複雑に絡み合い構成されたオーロラはまさに生と死の複雑さ、葛藤を表しているようで圧巻だった。

奥には《黒いミルク》。

ホロコーストを主題として作られており、色とりどりであったであろう洋服たちが暗く染められ、ときに暗い紐で括られながら規則正しく陳列されていた。
生きていたはずの色を殺し、陳列させるといことが尊厳を失わせる行為を象徴しているのだと解釈した。
しかし解説にもあるように、
死ぬ色で染めたはずの洋服たちは完全には染まり切らず、さまざまな色をしていた。それが個としての主張を残すかのようで強く、美しく感じた。(撮影禁止なところが本当に悔しい)

まとめ

生と死について葛藤し尽くし、表現に命を燃やす大坪美穂の作品たちでした。

日本は今平和だけれど、世界ではAIまで使用した戦争が始まっていて、本当にいつまで平和に生きられるか分からない。

次世代を担っているのが私たちのような戦争を知らない世代だからこそ、こういった作品たちを見て戦争がもたらす残酷さ、生と死の狭間について胸に刻まなければならない、
そして警鐘を鳴らしていかなければならないと感じました。

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