(5)振袖の終わり
成人の日といえば振袖ですが、振袖は着物の中でも最も華やかで、ゴージャスで、この上ないものです。しかし、その振袖も今ではまともなものをお召しになっているひとはほとんどいなくなってしまいました。
成人式といっても、ほとんどがレンタルで済ますようになってもう長い時間が経ち、その日のために振袖を娘のために誂えることはあまり聞くことがありません。
レンタル業者はできるだけ安い振袖で高い値段で貸したいために、振袖のクオリティがどんどん落ちてしまい、今では振袖と呼ぶにふさわしくないものばかりです。
生地はペラペラで、お菓子の包装用紙のようだし、正絹であればましなほうでポリエステル生地にプリントという内容です。
図案も本来の振袖に使われるようなものでなく、フリー画像で和柄を取ってきたようなもので、あれを振袖と言ってレンタルしている業者は良識はないし、それを振袖だと思ってレンタルするほうも着物の知識はありません。
そういう振袖とも言えないようなものばかりになって10年以上は経っているので、親の世代もつまりは本物の振袖を見たことがないからそうなります。そして、自身も振袖はレンタルの世代です。
しかし、そんなペラペラの振袖でもレンタル料は高く、レンタルでなく販売価格であればプライス的にはなんとか釣り合うといった内容でしょうか。
ともかく、振袖は死んだも同然で、現実的に京友禅の職人たちにもまともな振袖の発注はとても少なく、産業としてはもう終わったと言っていい状態です。
どうしてこういうことになってしまったかを考えると、まず振袖のように滅多に着ないものはレンタルで済ませばいいじゃないかと親が考えるようになったからです。
昔はレンタルでもまだまともな友禅を貸していましたが、振袖として成り立っていないようなものが平然と作られ、レンタルされるようになったのはそうした親の考えが積み重なってスタンダードな価値観となり、それを誘導するように業者が利益獲得のために進めてきた結果です。
それほど着ないものだからレンタルでいいというのは合理的ではありますが、逆を言えば、親の世代が自分の娘の振袖にたくさんのお金をかけることに価値を置かず、ハレの日をしっかりと着飾ってやろうという強い思いがなくなってきたということです。
もちろん、景気の影響もあります。高い振袖など買う余裕がないというのも事実でしょう。ただ、今の親世代の価値観だと、たとえ景気が良くなって金銭的なゆとりが出たとしても、それを振袖に使うことはないでしょう。
あとは呉服業界も悪く、30万円で売れる品物を振袖だからと言って100万円で売って大きく儲けることを続けていたから、振袖は高すぎるというイメージを植えつけてしまいました。その結果、振袖を誂えることを敬遠し、レンタルで済まそうという流れになりました。
そうしたことが重なり合い、今のような惨状になったわけで、振袖と呼ぶに値しないものを知らずに着てしまっていることから、観光地でのレンタル着物の風景につながっているとも考えられます。
それは成人式での振袖レンタルから観光客向けの着物まで貸衣装業者が提供する本来の着物とは別物のようなものが主流になってしまい、着物とはそういうものだという認識が広がりました。
これも時代の流れと言えそうです。様々な要因が絡み合って、結果が出てくるものです。少なくとも振袖が今のようなニーズになったということは、本当の京友禅の振袖そのものが過去のものになったと言えるでしょう。
時代のニーズがなくなれば、いくらすばらしいものでも淘汰されるのは当然ですから、これを事実として受けとめるしかなさそうです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?