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記憶ゲーの日本教育|第二回

 母国語の文字を読み書きできるようになれば、そこから先は無限大ともいえる知識にアクセスが可能になります。

 漢字検定3級程度の識字能力を持てばほぼ不自由はないでしょう。ここまでは考え得る教育の在り方として大前提で共通するはずです。

 問題はその先で今回のお話の「核」にあたります。



🔽前提はこちら


最低限必要な教育を常に厳選する

 これをやるのをサボってませんかね。

 日本人のアイデンティティである文字教育を、多いからといって減らせと言いたいわけではありません。

 例えば、常用漢字外の文字を学ぶのは各々の趣味でいいはずです。

 魚や鉄道、バスや掃除機に至るまで、それぞれまだ10歳にも満たない子供がとんでもない知識を披露してくれたりします。

 日本の皇室に関する日本書紀からなる歴史は、将来皇室を納税者として支える意味から知る必要はあるだろうというように、子孫を繋ぐための性教育を含めて意味がなくては、時間とお金を掛ける意味がありません。

 根拠なく、なんでもかんでも学習指導要領に含めていませんか?

 やたら数百年、数千年も昔の年表を具体的な数字まで含めて、教育を受ける子供すべてが果たして覚える必要があるのでしょうか。

 歴史の年号なんて研究次第でちょくちょく変わるもので、そんな曖昧なものに貴重な一分一秒を割かせて嘆かわしく思いますがいかがでしょうか。

敗戦国としての日本を学ぶ

 縄文土器や埴輪、土偶など日本独特の歴史について触れるのは良いと思いますが、あまりに時間をかけすぎるのもなんだか本当に教えるべき近代史に触れさせたくない、そんな意図を感じざるを得ません。

 敗戦から一世紀に向かうに当たって、日本の占領国であった米国も一度手にした日本への強大な権力をそんなに簡単に手放しはしないでしょう。

 現在の日本国憲法が、前文から違和感のある文体なのは原文の英語を和訳させ、それをそのまま採用したからだということは有名です。

 ということは、有名な憲法九条も当然そうなりますが、朝鮮戦争の勃発でGHQは自衛隊の前身である警察予備隊を組織させました。

 つまり、これらすべては時の米国の意図であることがわかります。

 わたしたちは、自分たちの身を守るためにも、どうやって少しずつ米国から何を取り返していくのかを考えて実践していく必要がありそうです。

 なぜなら、北朝鮮、中華人民共和国が、ロシアとウクライナのように一線を越えることは絶対に無いと誰も保障できないからです。

 それとも、あなたが保障してくれますか?

日本人を蔑む外国人はいる

 かつて日本は米国に親しみを見せながら、その裏で真珠湾攻撃という結果的に卑怯な奇襲攻撃を仕掛けることになってしまい、大きな恨みを買いました。

 現代の米国人は日本人に対してそのような姿を見せませんが、当時を知る米軍退役軍人のお年寄りはなおも「Jap」と強く嫌う人がいます。

 ウェブサイト上でもサブドメインに「jap」を使い、クレジットカード情報を盗み取る情報商材サイトが存在しています。

 PCからアクセスする場合は、ウイルスを回避しつつ安全に気を遣いながら見る必要があります。

 スマートフォンではURLがわかりにくいので、うっかり本家のサイトと勘違いして口座番号や暗証番号を入力してしまったりする恐れがあります。

自分を守るために

 各国との日本人の関係や歴史を知っておくのは、海外に渡航する際や、その国のサービスを利用する上で非常に重要です。

 日本の敗戦にまつわる近代史は、政府にとって都合が悪いかもしれませんが、自分たちの命を守る上で非常に重要な判断材料になります。

 例えば、中華人民共和国の現在の体制になるまでの歴史などは知っておいて損はありません。

 民間人だからまさかと思って入国したは良いものの、スパイ容疑を掛けられて拘束されるなんてことは思ったより簡単に起こることです。

前提のある教育

 個人の趣味に任せていい知識と、生きていくために必要になる知識、これらを厳選することを、最低限怠ってはいけません。

 そうした、あえて名をつけるなら「前提のある教育」を提供したにも関わらず、本人の理解が追いつかないか諦めたか、不幸にして命を落としたとしても国は必要以上の責任を取る必要がなくなります。

 例えば、塩素系洗剤と酸性のクエン酸を混ぜれば塩素が発生しますが、これが危険なことは現在の教育でも知られているはずです。

 しかも空気より重いためにいつの間にか充満します。

 第二次世界大戦でも使用された非人道的な毒ガスとして有名な塩素は簡単に人の命を奪ってしまいます。

 しかし、結果はまるで網の目を潜り抜けた魚のように、教えられていないという人たちがそこそこ存在するのが現実でしょう。

 これは、無駄と思えるものと命に関わるものをごっちゃにして機械的に教えた結果、すべてが無駄なように認識されてしまっている可能性が高いはずです。

 最低限自分の命を守るための教育、各々の好奇心によって研究を深めるための教育、今日よりも明日を良くするための教育というように、前提のある教育を実践していかねば、せっかくやる意味がありません。


 国民一人一人にかけるコストが教育によって生涯にわたり安くなれば、その管理や運営に必要以上に費用をかけなくてもよくなるため、必要以上に税金を徴収する必要がなくなる可能性が高くなります。


 国民だけでなく、国も賢くありたいものです。




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