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暮らしの「通気性」

先日、ほぼ日の學校で、大好きな糸井重里さんと中田敦彦さんの対談がありました。

その中のやりとりで、糸井さんが

「私寝言で「通気性」って言ったらしいんですよ。」

「それ聞いたとき、俺いい寝言言ったなーっ。」

って会話にどことなく、妙に惹かれてしまいました。

寝言で、しかも「通気性」って言葉にそんな感性は自分にはないなーって。


でも「通気性」って、よくよく考えたら、全てにおいて大切ですよね。

靴の通気性、住宅の通気性、組織の通気性、暮らしの通気性などなど。

靴の通気性がなければ、蒸れて臭くなるし、足の衛生上も良くないですよね。

住宅の通気性も、快適な暮らしや建物を健康に維持していくには欠かせないでしょうし。

組織の通気性は、ずっと同じヒトで働いると組織も腐りやすいってよく聞きますよね。

新しいヒトを入れて、組織も通気性をよくして、循環させないとクリエイティブな組織にはなりにくいと言われています。


暮らしも同じだなって思いました。

毎日の同じ時間に起きて、同じ道で通勤して、同じ仕事を続けてって。それ自体は悪いことではないと思うのですが、そこに「通気性」のような新しい風のようなことを日々発見しながら、暮らせば、同じことでも楽しくなるのでしょうけど。

その「通気性」のようなものを、日々感じずに過ごしていると、なんか腐りやすくなりそうな気がします。

自分の実体験でも、楽しくて始めた仕事がいつのまにか、つらい仕事になっていたりだとか。。。


でも、その「通気性」ってアイデア次第というか、アートの部分というか、感性のようなものなのかなって思います。

日々の暮らしの中で、窓を開けるような感覚で、ご飯を土鍋で炊いてみたり、いつもと違う道を通って帰ってみたり、空をたまに眺めてみたりする、普段の何気ない当たり前の行為の一つに、アートの部分を付け加えることで、自分の中の通気性が少しずつ良くなる感じもします。

そんなアートの部分を付け加えながら、そして大切に暮らしていきたいですね。


私は、今から子供たちと公園までソリ滑りに行ってきます。

いつも車で行くところ、子供たちと歩いて向かいます。ソリを持って。

今日も、最後までブログを読んでいただき、ありがとうございます。

冬の山形より


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