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「いびつな魂」第三章

※あらすじと第一章と各章へのリンクはこちら


第三章 霊媒師らしいけど

 

1 

  テストの結果が返って来た。家に帰って部屋の勉強机の上にテスト用紙を並べると、そこに書かれたテストの点数を眺めて、わたしは思わずにやけた。叔父さんに早く知らせたくて電話を掛けると、すぐに出てくれた。

「ああ、真知ちゃん、ちょうどよかった。今度の土曜日に、霊媒師に会いに行くんだけど、真知ちゃんもおいでよ」

 ん? れいばいし?

「テストの結果が返って来たんですけど、いい点がとれたんです。数学が……」

 叔父さんの言葉をさらりとかわして、自分の言いたいことを伝えると、叔父さんは、よく頑張ったね、すごいね、とたくさん褒めてくれた。その会話がひと段落すると、

「それで、どうする? 霊媒師」

 話が戻った。全然かわせてなかった。テストが終わったらどこかに連れて行って欲しいとは思ったけれど、こういうことじゃない。わたしは小さくため息をついた。

「何のために行くんですか?」

廃墟に取材に行った時に憑かれでもしたのかな。まさかね。

「潜入取材だよ。霊障に困っている本物の客として会うんだ。白石さんも一緒だよ」

何だ、それならおもしろそう。途端に興味がわいてきた。取材なら作家を目指す身としては見ておきたいし、白石さんに改めてお礼も言いたい。

「白石さんにも会いたいし、行きます」

「決まりだね。楽しみだなあ」

遊びにでも出かけるような弾んだ声で叔父さんはそう言った。本当に仕事のためなのかな。ただの趣味じゃないの。

 

2

 土曜日、叔父さんのマンションの最寄り駅に電車で到着すると、ホームでわたしを待ち構えていた叔父さんが電車に乗り込んで来た。そのまま街の中心部へと向かう。

「真知ちゃん、おはよう」

「おはようございます」

霊媒師に会うのがそんなに楽しみなのか、叔父さんは目に見えて浮かれている。座席に座るわたしの前でつり革につかまり、鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気だ。でもなぜかいつもより髪はぼさぼさで無精ひげをはやして、無駄にワイルド系。珍しい物でも見るようにひげを眺めていると、それに気づいたのか、

「僕は霊障に悩まされているという設定だから、疲れている感じを出したんだ」

得意げにそう言った。疲れているというより怪しいおっさんにしか見えない。高校生が変な大人に絡まれているように見えやしないかと、気になって電車の中をそっと見回しても、乗客はスマホの画面を見つめているか、目を閉じているか、両手をだらりとさせて疲れたように立っているだけで、誰一人としてこちらを見ていなかった。気にする必要などなかったと、そのまま二人で話をしながら電車に揺られてしばらくすると、広いホームのある大きな駅に着いた。

「さあ降りよう。白石さんと改札口で待ち合わせなんだ。霊媒師の事務所はここから少し歩いた所にあるよ」

行きかう人の波にもまれながら改札を出ると、壁にもたれて待っている白石さんが見えた。わたしたちを見つけると、軽く手を上げながらお辞儀をする。この前のジャケットとは違う、シャツとふわりとしたスカートのラフな服装がかわいい。

「こんにちは、白石さん。この前はありがとうございました」

 わたしはさっそく白石さんに話しかけた。

「いえ、たいしたことではありません。それにしても、お二人ともずいぶん仲よくなられたのですね。よかったです」

この前と同じ無表情で淡々としゃべるところが、裏表がなく実直な感じがして、わたしは好きだ。白石さんとそこで立ち話をしていると、早く行きたくて仕方がないのか叔父さんが目に見えてそわそわし始める。

「先生、先に打ち合わせを。真知さんはどういう設定ですか」

「あ……」

何も考えていなかったのか、叔父さんは言葉に詰まった。男女の大人と子どもだと、親子関係が一番かなあ。わたしは二人の子ども? でも白石さんは若すぎて、わたしと並ぶと親子というより姉妹くらいの年齢差しかなさそうに見える。

「叔父さんと白石さんはどういう設定ですか」

「白石さんが僕の妹という設定だよ。真知ちゃんはそのまま僕の姪でいいか。嘘をつくときは本当のことを混ぜておいた方がぼろは出ない」

策士のようなことを得意げに言うけれど、姪がついて来るって変じゃない? 妹なら心配でついてきたで言い訳はすむけれど、姪が叔父の心配をしてついて来るのは怪しまれそう。
白石さんも同じことを思っているのか、腕を組んで考え込んでいる。

「真知さんも霊障があるという設定はどうですか」

「それだ!」

それだじゃないよ、叔父さん。なんだか面倒くさいことになってきたな。お祓いだと言って体をばんばん叩かれたら嫌だなあ。

「二人とも僕に敬語は使わないで。それから真知ちゃんは真子っていう偽名にしよう。僕は岩井修司、白石さんは岩井礼子、予約してくれたのが白石さんだから挨拶は白石さんにまかせるよ。後は適当に僕がしゃべるから二人は合わせて」

そう言うと、叔父さんはスマホで地図を見ながら歩き出した。駅の大きなロータリーを抜けて、建物が立ち並ぶ中を三人でしゃべりながらしばらく歩いていると、叔父さんが「ここだ」と言って十階以上ありそうな立派なマンションの前で足を止めた。

「ここなの?」

信じられなくてわたしは叔父さんに問いかける。霊媒師ってこんな高級そうなマンションに住めるほど儲かるの、そんな疑問が湧いてくる。

「そうだよ。どう真子、何か感じる?」

ふざけたように叔父さんが言った。

「感じるわけないよ」

マンションを見上げていても、首が痛くなるだけだ。

「さあ行こうか」

叔父さんは髪の毛をもっとぼさぼさにさせるためか手で頭をワシワシかいてから、マンションのエントランスに向かった。そこにある機械に白石さんが部屋番号を入力して、インターホンで相手とやり取りしてから、三人で中へと入って行く。

エントランスもエレベーターホールもシックな雰囲気で高級感はあるものの、無機質で温かみを感じない。何だか場違いな所に来てしまったようで落ち着かず、そわそわしながら二人について行き広いエレベーターに乗り込むと、叔父さんは最上階のボタンを押した。

「最上階に住んでいるの?」

「うん。天に近い方が霊を成仏させやすいらしい」

「なにそれ」

「ホームページに書いてあったよ」

エレベーターの扉が開くと、そこにスーツを着た若い女の人が待ち構えていた。茶色い髪を綺麗にカールさせてメイクも完璧。この人が霊媒師じゃないよね、助手かな。

「岩井様、お待ちしておりました。こちらにどうぞ」

「はい。よろしくお願いします」

白石さんが軽く挨拶をして助手に案内されるままついて行くと、重厚そうな黒いドアの前にたどり着いた。助手がドアを開きそれを支えて中に入るよう促すので、白石さん、叔父さん、わたしの順で入って行くと、中は空調が効いているのかひんやりしていた。

玄関は広々としていて、床材も高級そう。助手はハイヒール、叔父さんは革靴、白石さんはパンプス、わたしの薄汚れたスニーカーだけ何だか浮いている。こんな高級なマンションじゃ、それだけで緊張してわたしなら相談しにくいなと思いつつ、もふもふのスリッパに履き替えて助手の後について行くと、玄関から入ってすぐの部屋に案内された。

そこは十畳ほどの広い応接室になっていた。窓のカーテンは開いていて、外にビル群が望めて景色がいい。部屋の中央には黒革のソファがどっしりと鎮座していて、ガラスのテーブルと、ドアの近くには重厚な木製のキャビネットが置いてあり、みんなで仲良く撮りました、みたいな写真がたくさん飾ってある。

立派な応接室ではあるけれど、祭壇のようなものは一切なくいたって普通。霊媒師の事務所っぽくなくて拍子抜けするも、空気がよどんでいるように感じる。やっぱり落ち着かないなと思っていると、応接室のドアが開き年配の女性が入って来た。

「お待たせいたしました。霊媒師の響天音です」

そう言って軽くお辞儀をしてから、ソファに浅く腰かけた。

この人が霊媒師か。黄色のスーツに身を包み、ばっちりとメイクをして、滑舌よくはきはきと自己紹介する姿は、霊媒師というより政治家みたいで威圧的。わたしは苦手なタイプだけれど、相談者にとってはこういう人の方が頼りになるのかな。

さっきの助手が部屋に入ってくるとテーブルにお茶を並べて、そのままドアの近くに待機している。

「先生、今日はよろしくお願い致します。岩井礼子です。こちらは兄の修司で、こちらは姉の娘の真子です。兄と霊媒師に会いに行くことを姉に話したら、真子も霊障に悩んでいるから連れて行って欲しいと頼まれまして、すみません急に人数が増えてしまって」

 まずは白石さんが話をした。

「構いませんよ。では修司さん、霊障についてお話し下さい」

先生は淡々とそう述べた。いよいよ叔父さんの出番だ。

「数年前から、変な影が見えます。病気かと思って病院で診てもらいましたが、どこも異常はありません。その影ですが、最近、見える回数が増えてきました。それに大きくなっているような気がします。僕はどうなるのでしょう、先生、助けてください」

叔父さんの迫真の演技にわたしは笑いそうになる。それをぐっとこらえ、霊障におびえているふりをしてうつむいてじっとした。

「その影とはどのようなものですか」

「黒いモヤのようなものです。煙よりももっと濃いような。それが視界の隅にチラチラします」

「なるほど、どういう時に出てきますか」

「家に一人でいる時によく見ます」

「影が出てくる時に何か規則性はありますか、いつも同じ時間に出てくるといったような」

「ありません。たいてい、ぼうっとしている時に見えます」

「隙を狙って出てくるのかもしれませんね。それが出始めたのはいつですか」

「覚えていませんがもう何年も前です。ずっと我慢してきましたがもう耐えられません」

「そのころ、何がありましたか」

「特に記憶に残るような出来事はなかったと思います」

一気に質疑応答が繰り返される。叔父さん、やけにすらすら答えるな。事前に考えておいたのかな。作家だし創作はお手の物だよね。

質問は終わったのか、先生は叔父さんをじっと見ている。眉間にしわを寄せて難しい顔をしたり、手をかざして目をつぶって何やら呪文のようなものを唱え出したり、あれこれ忙しく動いていたが、やがてそれらを終えて姿勢を正した。

「影は女性の生霊のようですね。何か恨みを買うようなことをしませんでしたか」

「いえ」

全く心当たりがないのか叔父さんは即答した。

「女性に冷たくしませんでしたか、ひどい振り方をしたことはありませんか」

「身に覚えがありません」

先生、答えになりそうなことに誘導して言わせようとしていない? 外見であたりを付けているのかもしれない。占い師が相談者の悩みを当てるのと同じ、遊んでいそうな人は異性関係、高級品を身に着けている人は金銭関係、コミュニケーション能力が低そうな人には友好関係を突いてみれば何かしら出てきそう。叔父さんは見ようによってはもてそうだし、女性関係を突いてみたのかもしれない。

「人は知らない間に恨みを買うものです。あなたが気づいていないだけで」

先生、うまくごまかしたなと思っていたら、叔父さんがわたしをちらりと見た。

「先生、真子は大丈夫でしょうか。最近、僕と同じようなものを見るらしくて」

のん気になりゆきを眺めていたから、油断していた。わたしは慌てて神妙な顔を作ってうつむく。先生をちらっと見ると、眉間にしわを寄せてじっとこちらを見てくるから、叱られているような気分になって、思わず体が縮こまった。

「修司さんに憑いている女性の生霊が、お嬢さんのところにも出るようになったようです」

子どものわたしには突けるところが見つからなかったのか、叔父さんの話に便乗したようで、先生は淡々とそう述べた。

「そうだったのか。ごめん真子。僕はどうしたらいいんだ」

白々しい叔父さんの演技に再び笑いそうになる。白石さんはよく我慢できるなと、ちらりと見るといつも通りの無表情でじっとしている。さすが白石さん、何だかかっこいい。

「大丈夫ですよ、お祓いしますから」

「はい、お願いします」

「準備をいたしますから少々お待ちください」

助手がドアを開き先生が出て行き、助手もその後について部屋から出て行った。ドアが音を立てて閉まると同時に三人の緊張が一気に抜ける。

「叔父さん演技下手」

「ひどいな、頑張ったのに」

「しぃ、あまり大きい声を出さない方が」

いつでも冷静な白石さんに注意を受けて、小さな声で話を続ける。

「お祓いって、真知さんもやるんですか」

「何されるか分からないし、僕だけで行くよ。それよりトイレ行くふりして他の部屋をのぞけないかな」

「大人しくしていて下さい」

白石さんが冷たく言い放つものの、叔父さんは諦めきれないのかソファから腰を浮かせる。叔父さんが下手にうろうろしないように、わたしが申し出よう。

「わたしが代わりに行って来ようか。子どもの方が怪しまれないだろうし」

「さすが真知ちゃん、頼んだよ」

叔父さんが嬉しそうにそう言って、白石さんは諦めたように小さくため息をついた。

ゆっくりと部屋のドアを開けてそろそろと廊下に顔を出すと、ドアの開く音を聞きつけたのか、廊下を挟んで斜め向こうにある、開きっぱなしになっている引き違い戸から助手が顔をのぞかせた。ああ、速攻見つかっちゃった。

「どうしました」

助手が微笑んでそう言ったのでわたしは慌てて答える。

「すみません、トイレに行きたくて」

「ご案内します」

手のひらを奥に向けて、こちらへどうぞというような身振りをしたので、わたしはそちらに向かった。引き違い戸の前を通るとき、部屋の中にいる先生と年を取った男の人が見えたのでそちらを横目で見ながらゆっくり歩いた。男の人は先生の横に立って、先生の気を引こうとしているかのように手をぱたぱたさせていて、先生はまったくそれを相手にせず完全に無視している。男の人はスーツを着ていないしスタッフじゃなさそう。お客さんかな。それにしても無視なんて感じが悪いな。そんなことを考えていると、前方で助手が立ち止まってこっちを見ていた。あそこがトイレかな、気持ち足早にそちらに向かう。

「こちらです」

「ありがとうございます」

トイレに入ると芳香剤のきつい匂いが漂ってきた。家のトイレの二倍はありそうな広い室内、タンクのない便器と、ガラス製の手洗い器、手すりも完備、高級そうなだけで、叔父さんが喜びそうな変なところはなし。

軽く時間をつぶしてからトイレから出ると、そこに助手が突っ立っていた。てっきり部屋に戻ったと思っていたので人がいて一瞬ビクッとなるわたしに、助手は視線を合わせるように前かがみになり顔を近づけると、にっこり笑った。

「ふうん、あなた霊感が強そうね」

ささやくようにそう言った。だから霊感なんてないし、そもそも幽霊なんていないし、じゃなくて、えっと、今のわたしの設定は黒い影におびえる少女だから、話を合わせて。

「わたし、霊感強いんですか? だから黒い影を引き寄せてしまうのでしょうか」

おびえながらそう言う。叔父さんよりよっぽど演技うまいよね、ああ、二人に見て欲しかった。自分の演技に浸っているわたしを、助手は目を細めて見つめてきた。

「白々しい」

冷たく静かにそう言い放った。こわっ。演技だって気づかれた? いや、気づかれてもいいか。先生はもう叔父さんを霊視してお祓いをしようとしている。わたしたちが演技をしていると指摘するのは、先生の霊視も嘘だと言っているようなものだ。だから、追及できないはず。そう瞬時に考えを巡らせる。

「お金さえもらえれば、どうでもいいけど」

どうでもいいことのように、助手がつぶやいた。全部お見通しだよとでも言いたげに、わたしを見下したような態度をとってくる。わたしはそれにかまわず、小さくお辞儀をして応接室へと戻った。ドアを閉める時ちらりと廊下を見たら、まだ助手はこっちをじっと見ていた。

部屋に入って二人に報告しようと話を始めたところで、ドアが開いて助手が姿を現した。

「お待たせいたしました。準備ができましたので、修司さま、真子さま、こちらへどうぞ」

穏やかな助手に戻っている。変わり身が早い。

「真子はお祓いが怖いらしいので、僕だけお願いします」

慌てて叔父さんがそう言い、立ち上がって助手のもとへ行く。

「かしこまりました」

助手はすんなり了承し、二人は部屋を出ていった。

残されたわたしたちは、様子を窺うように聞き耳を立てて静かにじっとしている。部屋の外から呪文を唱えるような声が聞こえてくるが、だんだん退屈してきて、わたしは白石さんと世間話を始めた。

「白石さんって、叔父さんの担当になって何年くらいですか」

「三年くらいです」

三年か。結構長いな。そうだ、白石さんなら知っているかもしれない。

「叔父さんって恋人はいるんでしょうか?」

「わたしは知りません。先生とはそういう話をしませんので」

そんなことまったく興味なさそうに、白石さんはそう言った。そっけないな。ちょっと心配になってわたしは訊いてみた。

「あの、叔父さんのこと、嫌いですか?」

「嫌いではありませんよ。ただ、先生はホラーに傾倒しすぎて無謀なことをされますから勘弁してくれと思うことは多々あります」

白石さんは淡々とそう語った。廃墟に取材に行ったり、霊媒師に会いに行ったり、変なことに巻き込まれて気苦労が絶えないのだろうな。

叔父さんはどうしてホラー小説を書くようになったのだろう。もらった見本本を全部は読めていないけれど、読み終わった本は恋愛ものや成長ものばかりだった。そこからホラー小説なんて畑違いに思える。

「叔父さんって何でホラーに興味を持つようになったんだろう。白石さん、何か知りませんか」

答えを期待せずに何となく聞いてみただけなのに、白石さんは事情を知っているかのように表情を硬くした。

「知っているんですね」

顔をじっと見つめていると白石さんは観念したように小さくため息をついた。

「ここだけの話にしてもらえますか」

「はい、分かりました」

どんな話だろう、おもしろそう。

「わたしも前任から聞いただけで詳しくは知りませんが、わたしが担当になるもっと前に、先生、結婚する予定だった女性と別れてしまったようで、長い間ふさぎ込んでいたらしいです。それ以来、恋愛ものをいっさい書かなくなって、変わりにホラーを書き始めたらしいです」

神妙な顔をして白石さんは静かにそう語った。笑い飛ばせるようなくだらない理由だと思っていたのに、想像以上に重たい話に、わたしは金縛りにあったように動けなくなる。

「そうだったんですね。教えてくれてありがとうございます」

わたしは小さな声でお礼を言った。重たい沈黙がしばらく続いたのち、それを打ち消すように部屋の外から、えい、えい、と力強く叫ぶ響先生らしき声が聞こえてきたから、白石さんと顔を見合わせて思わず吹き出した。

「先生、大丈夫でしょうか」

「どうなろうとも叔父さんの自業自得です」

別室に連れられて四十分くらいしてから、叔父さんが応接室に戻って来た。肩をぐるぐる回して、スッキリしたような表情を浮かべている。

「憑き物がとれたように肩が軽くなったよ」

ばしばし叩かれて血行が良くなっただけだと思うよ。

袴姿の先生と助手も部屋に入って来て、さっきと同じように、先生はソファに腰かけ、助手はドアの近くに待機する。

「修司さんに憑いていた女性の生霊は無事に祓えました。お嬢さんの方に出ることもないでしょう。ただ生霊というものは気づかないうちに憑いてしまうものです。何かあればすぐにこちらにいらして下さい」

先生がわたしたちを見て静かにそう言った。ちゃっかりしているな。

「ありがとうございました」

白石さんが封筒をテーブルの上にそっと置き、助手にエレベーターホールまで見送られて、わたしたちはマンションを後にした。

堅苦しい所から外に出て解放感を味わいながら駅まで戻っていると、お昼ご飯を食べに行こうと叔父さんが提案した。でも白石さんは仕事が立て込んでいますのでと言ってすぐに帰ってしまった。わたしと叔父さんは駅の近くにあるカフェで昼食をとることにした。      

店内は少し混んでいるが、空いている席はまだある。わたしが先に注文を終えて、ハンバーガーとアイスティーの載ったトレイをテーブルに置いてアイスティーを一口飲んでいると、叔父さんも注文を終えて、ボリュームのあるサンドイッチとコーヒーの載ったトレイをテーブルに置いて椅子に座った。

「いやあ、おもしろかったね」

ご満悦な様子。わたしがおもしろかったのは叔父さんの下手な演技だけだよ。

「お祓いって何していたの?」

「祭壇に向かって、先生がしばらくぶつぶつ何か唱えてね、そのあと卒塔婆みたいな棒で体を叩かれた。出てけえ、えいえい、すごかったなあ」

叔父さんは嬉しそうにそう語った。やっぱり叩かれている。やらずに済んでよかった。

「何の霊障も起きていないのに、一体なにを祓ったんだろう」

響先生には悪いけれど、馬鹿にしたような声で言ってしまった。

「うん? 黒い影の話は本当だよ」

叔父さんはサンドイッチを頬張りながら、いたずらっ子の目をしてそう言ってくる。またわたしを怖がらそうとしているのかな、だったら。

「ふうん。じゃあ叔父さんは女性の生霊に憑かれているんだ」

「生霊ではないかな」

「じゃあ幽霊?」

「幽霊かなあ」

クイズのヒントでも出すように、楽しそうに叔父さんは答える。

「ふうん、じゃああれだ、叔父さんが言っていた、無意識に作り出してしまう得体の知れないもの」

「うん、そうかもね」

「じゃあ叔父さん、女性の生霊みたいなものを作り出しちゃったんだ」

そう口にしてすぐにわたしは、しまったと思った。叔父さんがそんなものを作り出したとしたら、結婚するはずだった彼女かもしれない。調子にのって変なことを言ってしまった。敬語で話してないし。

「本当にそんなもの、作れたらいいのにね」

叔父さんは目線を下にして静かにつぶやいた。そんなものとは、生霊のようなもの? 幽霊のようなもの? どちらにせよ現実では自分の近くには居てくれない人の実体のない面影。そんなものを作り出せたら。

 


出てきてよ。何で出てきてくれないの。
やっぱりゆうれいなんていないんだ。
だっていたら真知に会いに来てくれる。ぜったいに会いに来てくれる。

 

喉が、詰まる。目が、じんわりと熱くなる。気持ちを切り替えるように、わたしはわざと音を立ててストローでアイスティーを飲むと、大きな口を開けてハンバーガーにかぶりついた。勢いよく咀嚼して飲み込む。

「そう言えば助手の人に変なこと言われた、あ、言われました」

まとわりつく過去の記憶を振り払いたくて、わざとらしいほどの明るい声でそう言うと、叔父さんは「敬語使わなくていいよ」と微笑みながら言って話の続きを促した。

「トイレ行ったときに、あなたは霊感が強そうねって言われた」

「へえ、それが分かるということは、その助手も霊感が強いのかな」

「霊感って、幽霊はいないんだから、霊感なんてものも存在しないよ」

わたしが力強く断言すると叔父さんは笑った。

「真知ちゃんはぶれないね。ちなみに真知ちゃんにとって霊媒師とは?」

「わたしは、あの人たちはパフォーマーだと思っている。幽霊が見えているというパフォーマンスを通して、人を怖がらせたり楽しませたりしているの。そして幽霊なんて見えていませんと明かすのは、手品師が種を明かすのと同じでタブーなの」

「なるほど、おもしろい見解だね。さっきの霊媒師も真知ちゃんにとってはパフォーマーなのかな」

「パフォーマーっていうか、あの人ひどいんだよ。トイレ行くとき見たの。年取った男の人が必死に話しかけているのに、思いっきり無視していて感じ悪かった」

「男の人? そんな人、見かけなかったけれど」

「すぐ帰ったと思う。帰る時、玄関に靴なかったし」

そう言って叔父さんを見ると、何やら考え込んでいる。今の話に、そんなに引っかかるところあったかな。

そうだ、紺野のお姉さんの話も聞いてもらいたい。お姉さんのアパートでの怪奇現象と、わたしの見解を叔父さんに話すと、叔父さんはうなずきながら話に聞き入ってくれる。

「なるほど。彼女が寝ている間にしか物が動かなかったら、その可能性はあるだろうね」

「叔父さんならどう解釈する?」

「うーん、そうだな。彼女が無意識な何かを作り出した、じゃだめかな」

「またそれ? 手抜きしないでよ」

わたしがそう言うと叔父さんは笑った。

「でもあり得るかもしれないよ。大学がうまくいかなくて、ホームシックにかかって、寂しい思いを抱えている。でもそれを素直に家族に打ち明けられない。アパートで怪奇現象が起こったといえば家族が心配して駆けつけてくれるかもしれない」

「もしかしたら作り話かも」

お姉さんを疑って悪いけれど、その可能性だってある。

「作り話かもしれないし、無意識にそういったものを作り出してしまったのかもしれないし、呼び寄せてしまったのかもしれない」

「絶対、ホラーに持っていこうとするよね」

「ははは、ばれたか」

あれ? いつのまにかこんなに軽口が叩けるようになっている。お母さんが言っていた、わたしと叔父さんが似ているせいかな、気が合うのかな。嬉しく思いながらハンバーガーを頬張っていると、ある疑問がふと頭をよぎった。

「そう言えば、紺野のお姉さんの話に出てきた黒い影の話、叔父さんもさっき同じようなこと言っていたよね。怪談話の定番なの?」

「真知ちゃんも影を見たって言っていたよね」

すかさず叔父さんは答えた。美術室の窓を見上げた時に見えた影のこと? 

「あれはどうせ先生だよ」

ストローでアイスティーの氷をつつきながら笑って答える。そう言えば叔父さんのマンションに初めて行った時も、ベランダに黒い影が見えたな。あれは叔父さんだったのかな。

「初めてわたしがマンションに行った時、叔父さんか白石さん、ベランダからこっちをのぞいていなかった?」

「のぞいていないよ。あの時はチャイムが鳴るぎりぎりまで白石さんを説得していて、そんな余裕はなかった」

わたしの相手をするよう白石さんを説得していたなら、あれは何だったんだろう。

思い出そうとしたけれど、すぐにそれをやめた。二人とものぞいていないならわたしの見間違いでしかない。それにテレビで見たことある。人間の記憶なんてあいまいで、事件が起きた時の目撃者の証言を鵜呑みにしてはならないって。わたしの記憶もあいまい、ただそれだけ。正直ちゃんと覚えていないし。そう思いながら叔父さんを見ると、うっすらと笑いを浮かべてみた。

「もしかして、何か見た?」

静かに叔父さんは言う。この感じ、コックリさんをやった時の不気味な……

「何にも見てないよ」

わたしは慌ててそう答えた。

「僕の部屋のベランダから、何かがのぞいていたんじゃないの?」

だから、この感じやめてよ。怖いんだってば。

「そう思ってよくよく思い返してみたら、叔父さんの部屋じゃなかった」

平静を装って、軽い感じに聞こえるようにそう言ってごまかした。

「何だ、そうか」

それで叔父さんは納得してくれたようで、元に戻って残念そうにしている。何なの、この感じ。またネタになりそうと思っただけ? それとも自分の部屋に何かがいると思って興奮しちゃったとか? 

モヤモヤしながらアイスティーを飲み干すと、叔父さんがふいに顔を上げて店内を見回した。

「だいぶ混んで来たね。そろそろ出ようか」

「本当だ」

気づかなかった。席が空くのを待っているのか、お店の奥でぼうっとしている人もいる。二人で返却口にトレイを返して、カフェから出た。今日はこれで終わりかな。家に帰ったら何しよう、お母さんいるかな。

「あ、お母さんへの言い訳どうしよう」

わたしがぽつりとつぶやくと、叔父さんはわたしの顔を見た。叔父さんに会いに行くとは言ってあるけれど、さすがに霊媒師に会うことまでは話していない、それを叔父さんに説明する。

「だったらこの辺りを見て回ろうか。デパートや本屋もあるし。姉さんにはそれを話せばいいよ。そうだ、お土産も買っていこう」

「うん!」

突然の提案に弾んだ声で返事をしていた。すごく嬉しい。

さっそくデパートに向かうと混んでいたけれど、それに負けずに店内を二人で見て回った。霊媒師に会うよりもこちらが本題とばかりにわたしは思い切りはしゃいでいた。

「真知ちゃん、これ似合う、ああ、これも。何でも似合う」

アパレルショップでひらひらのかわいいワンピースを次々にわたしにあてがって、叔父さんはにこにこしながら褒めちぎってくる。親ばかならぬ叔父ばか?

「わたしはこういう服は似合わないよ」

わたしはラフなパンツファッションが好きなのに。

「叔父さん、これ似合わない、ああ、これも。何で似合わないの」

今度はメンズショップでわたしが叔父さんに服をあてがうが、色物の服がなぜか似合わない。白、黒、グレイは似合うのに。せっかくだから見立てたかったのに。たまには浮かれた色の服でも来たら、気持ちもホラーから遠のくかもしれないのに。

「僕はこういう服は似合わないよ」

叔父さんはさっきのわたしと同じようなセリフをぽつりとつぶやいた。

叔父さんがわたしにスニーカーを買ってくれたり、本屋で岩久修の著書を見つけて二人でにやにやしたり、デパ地下でお母さんへのお土産にバウムクーヘンを買ってもらったり、ショッピングを充分に満喫して、ほくほくして家に帰るころには、霊感が強そうと言われたことも叔父さんの不気味な様子もどうでもよくなっていた。

 


人のいない講義室、窓から降り注ぐ暖かな太陽の光、静かな室内に紙のめくる音が響く。

君の顔を僕は見つめる。長いまつげ、その奥の瞳が上へ下へとせわしなく動いている。君が笑顔になるとほっとする。君が険しい顔になると不安になる。

最後を読み終えると、ほうっと息を漏らし、君はゆっくり顔を上げた。

「すごく素敵なお話ね」

うっとりと、そうつぶやいた。その一語一語が僕の全身に染みわたり、自分の細胞がその言葉によって生き返ったように感じる。

「これ、どこかに応募するの?」

「そこまでは考えていないよ。だってこれは」

君への思いをつづった、君へのラブレターなのだから。

「本当に素敵」

原稿用紙の束を両手で持って、まだ余韻に浸っているような顔をして君はつぶやく。

「あのさ、これは」

早く気づいて欲しくて焦ったように僕は言う。

「うん。分かってる」

上目づかいで君はそう言う。この日から僕のすべての動機は君になった。

 

いびつな魂 第四章に続く (現在の公開は第三章まで)


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