ウマ娘舞台 感想を書きなぐり

はじめに

先日、ウマ娘プリティーダービー舞台 スプリンターズストーリーの千穐楽を配信にて拝見しました。
ウマ娘というコンテンツに心動かされることは多々あるのですが、今回は特に高ぶりがひどいため、筆を執った次第です。


千穐楽が終わったとはいえ配信は現在(執筆時点:2月1日)も続いておりますのでネタバレが嫌な方はお気を付けください。
また、題名にもあります通り感情を整理するための書きなぐりというのが
メインですので乱文ご容赦ください。


前提として、私はウマ娘アプリをプレイしており、アニメもテレビ放送分(1期・2期)のみ視聴しています。ですが競馬自体の歴史には明るくなく、今回の舞台鑑賞時にも史実に関しては知識を持ち合わせておりません。
また鑑賞後の執筆時も舞台以上の情報は入れておりません。
ですので、今回の記事は本当にただの素人オタクが個人的な見解を述べております。
もしお読みになって
「史実ではこうだったからこのシーンは本当はこういう意味だ」
などご意見ありましたらコメントでも書いていただけたら学ばせていただきます。
それではそろそろ感想を書きなぐりたいと思います。




主要登場人物について

”ヒーロー” ケイエスミラクル

 私がこの舞台を鑑賞して最初に思った感想である。
ケイエスミラクルは生まれつきの体の弱さで走れるかどうかすら危うかったという。
ケイエスミラクルは語っていた。
「自分は周囲の人が起こしてくれた『奇跡』で走れるようになった。
 だから自分はそれに応えなくてはいけない」と。
その言葉を自分自身に言い聞かせるように彼女はレースへの出走を
繰り返した。
その戦績の中で彼女の走った軌跡は日本レコードへと届いた。
しかし元来レースへの出走は健康なウマ娘ですら負担が大きい。
もともと体の弱い彼女にはなおさらだった。彼女の足には崩壊の足音が迫っていた。

 

”ヒロイン” ダイイチルビー

 ”華麗なる一族”の使命を背負いその責務を全うするべしとレースに臨む。舞台は彼女の鮮烈なデビュー、そしてそのあとの挫折から描かれる。

 彼女の母、祖母は牝馬路線”トリプルティアラ”において一族に誇れる成績を残した。しかしティアラの一角、オークスは制することができなかった。
ルビーは母の無念である樫の女王の座を得ることを望んでいた。
しかし、デビューの後は成績が振るわず、ティアラ路線では成績を
残すことができなかった。

 彼女は短距離路線へと戦場を移し、一族の使命に応えようと奮闘する。
その彼女の行く道に、ケイエスミラクルは現れた。
ルビーもまた、体の弱さを抱えていた。
克服したとはいえ幼いころは走れるかも怪しかったという。
自身と同じく体の弱さを抱えながら、「結果」を出すミラクルに彼女が惹かれるのも無理はない話だった。

”主人公” ダイタクヘリオス

 ゼファーは言った。「彼女こそ太陽」だと。
だがそれはこの舞台の最初からそうだったわけではなかった。

 ヘリオスは舞台の始まりに、ダイイチルビーのレースを観ていた。
ルビーの放つ「キラキラ・ギラギラ」したものにヘリオスは目を奪われた。そのレースをきっかけにルビーを「お嬢」と呼び、彼女と走るレースを楽しみにするようになった。

 ヘリオスはあらゆるものを楽しんでいた。トレーニングも、レースも。
たとえ負けたレースであっても。
顕著だったのはダイイチルビーとのレースに負けた時だろう。
ヘリオスはくやしさこそあっただろうが、
口に出したのはルビーへの感嘆の言葉だった。

そんな彼女が変わったのも、ルビー・ミラクルと重なる路に立ったから。

”風” ヤマニンゼファー

 単純すぎる感想と笑われてしまうだろうが、彼女はこの舞台においても
彼女らしい姿であったという意味でこう書いた。
舞台上では描写こそ少なかったが、ミラクル・ルビーと同じく生まれた時の体の弱さを抱えていたウマ娘だった。
だが2人とはまた違う立ち位置として彼女は舞台上を駆け巡った。


ストーリーを通じて

 ストーリーは先述した4人を中心に短距離路線で鎬を削るウマ娘たちの
物語だった。

”一族の名誉”のため、”奇跡”を起こしてくれた人たちへの恩返しのため、
勝利しなければならない。寮の同室である2人が似たような「覚悟」を
抱えているのは、お互いしか苦しみを理解できないことの表現だったのだろうか。
ルビーは短距離路線への変更後も苦しむ展開が続いた。そんな中描写されたのはケイエスミラクルの快進撃である。
己と似た覚悟を持ち、それでいて結果を出しているミラクルの姿が
ルビーにはまぶしく映ったのではないだろうか。
だからこそ止められなかったのだろう。

そのまぶしさが命を削って放つ光だと知っていても。

中盤、ミラクルの語った走る理由は悲痛なものだった。
命を懸けてG1レースを制覇することでしかみんながくれた
”奇跡”にあがなえないと。

観ていた誰もが思ったのではないか。
「ミラクルを救った”みんな”はそんなことを望んでいない」と。
だがそれを伝えるすべは私たちにはなかった。
「トレーナー」ですらない我々は見守ることしかできなかった。
思いを伝えるのは”主人公”の役目だった。

 

主人公からヒロインへ、そしてヒーローへ伝わったもの。

 ヘリオスにはルビーの「ギラギラ」したものが見えていた。
それは彼女の「覚悟」ではなかったかと思う。

 ヘリオスには勝利への「欲」が無いように思えた。
すべて楽しめていたからだ。勝ちも負けも。
だからこそ「覚悟」を持って勝利への「欲」を覗かせていた
ルビーに惹かれたのではないだろうか。
それはヘリオスにはないものだったから。

 彼女が「覚悟」を持ったのは、ルビーとミラクルの行く末を
知った時だ。
「勝たなければならない、たとえ己を削っても」


それに対してヘリオスが返した「覚悟」は

勝たなきゃならないなら、楽しんで勝ったら最強じゃん

その言葉を2人に見せるためにヘリオスは
「勝たなければ」ならなくなった。それも、楽しんで。


ミラクルとルビーに共通しているのが幼少時の体の弱さというのは
先述の通りだ。
境遇は違うながらも2人の覚悟が自己犠牲に向かうのは、この事によると
私は感じた。
2人は「走れる自分」を周囲から貰ったと考えていたのだと思う。
そして同時に走れない自分には何もないと思っていたのではないか。

恩返しと責務。走らなければ果たせない。ならば走らなければ。
たとえその先がなくても。

 ヘリオスにはそれを否定することはできない。
ヘリオスには無い経験であり考えだから。
でも、それでも、「自分」を犠牲にするのは違うと思ったのだろう。

だから、楽しんで勝ってもいい。楽しんだって勝てる。
楽しむには「自分」がなければできないと。

ヘリオスは走りで伝えたいのだ。


ヘリオスの思いは、レースを通じてルビーに通じることになる。
敗北を通じて、幼少期のことを思い出す。

初めて自らの足で、地面を駆けた時。
彼女の母は、言ったのだ。

「あなたが走れるだけで良い」

たとえ、勝てなくても、果たせなくても。
ルビーがやりたいことができれば良い。

その言葉を思い出したルビーは立ち止まることができた。

そして同時に、ミラクルにも同じ言葉がかけられていたはずだと
気づいた。
破滅と知りながら歩みを止めない彼女に、問いかけた。

あなたにも同じような思い出が、言葉があったのではないか。

ミラクルも思い出したのだろう。

だが、彼女は止まらなかった。止まるわけにはいかなかった。
止まるには、遅すぎた、と。

ミラクルは当初の予定通り、短距離G1、スプリンターズステークス

己を懸けて、そこに挑むと言い放った。



スプリンターズステークス、そして

ルビー、そしてミラクルはスプリンターズステークス当日を
迎える。

ゼファーは彼女らを見守っていた。行く末を案じ、願っていた。


静かなゲートイン。

そして、出走。


レース中盤、ミラクルにアクシデントが起こる。
脚に限界が訪れたのだ。

その時の彼女の悲痛な叫びは、耳を覆いたくなるほど
痛ましかった。
いつも、誰に対しても気丈にふるまっていた彼女の叫びは
鋭く刺さった。

絶望に沈むミラクルを救ったのは、先を駆けるルビーの姿だった。

自分と同じ道を行きながら、楽しむこと、「自分」を捨てずに
走る覚悟を決めた彼女の姿が、ミラクルを支えた。

走れなくなったものの、仲間に支えられレースを終えたミラクル。
そこにはもう、絶望の影はなかった。

時は過ぎ、レース前に勝負服姿で談笑するヘリオス、ルビー、ゼファーの
前に、ミラクルは現れた。

以前と変わらぬ勝負服姿で。

彼女たちの短くも永い路は、まだ続く。


最後に

ストーリーを思い出しながら書いたため実際の描写とは違う部分があるかと思います。配信確認しろよと言われるかもしれませんが、とりあえず
初見の心のままに書かせてもらいました。
さて、ここで最後に個人的な補足をしたいと思います。

ミラクルを”ヒーロー”と称した理由です。
それは彼女の描かれ方がゲームや漫画でいう
勇者”のように思えたからです。

己の身を顧みず、敵を倒し、世界を救う。

範囲こそ違えど、私にはそう見えました。

彼女にとっての世界、
自分に奇跡を起こしてくれた周囲の人たち
と見れば、

世界を救う =
        自分の走りで奇跡を起こす
ことのように思えたのです。

このように感じたからこそ、
ミラクルを救ったルビーを”ヒロイン”

そしてそのルビーを助けるのが
”主人公”であるヘリオスと書いたのです。

この舞台は「ヒーローが悲劇を乗り越え復活するまでの物語
その復活の中心にいるのが、ダイタクヘリオス。
だからこそ彼女が”主人公”なのです。

ゼファーの言葉を借りるならば、やはり彼女は「太陽」ですね。

補足はここまでにして
感想書きなぐりと書きながらあまり感想を書いた記憶がないので
改めて

今回の舞台は本当に素晴らしいものだったと思います。
ウマ娘たちがそれぞれの思いをぶつけあうストーリー、
2次元のレースを舞台に落とし込んだ演出、
そしてそれらを表現した演者の皆さん。
どれか1つでも欠ければこの完成度は無かったでしょう。

本当に開催期間途中の休演が残念でなりません。

ですがきっとウマ娘の舞台は続くと信じています。
まだまだウマ娘の世界は広がっていますからね。

さて、舞台演出等々語れる部分は尽きない今回の舞台ですが、
言語化できるほど自分の中に知識がないため、今回は書かずに
終わろうと思います。

初めての執筆故お見苦しい部分多々あったと思いますが、
ここまで読んでいただいたことに感謝申し上げます。

それでは、機会があれば、また。


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