見出し画像

藤田真央@横須賀芸術劇場

先週木曜日は、チケットを頂いた藤田真央さんのコンサートへ。2時間近く電車に揺られ、横須賀に着いた。

藤田さんは、いつもくにゃくにゃしている印象だ。その日も「自分のタイミングでない時にうっかりステマネに押し出されました」という感じでステージに出て来て、くんにゃりお辞儀をしてモーツァルトを弾き始めた。手が猫のしっぽのようにしなり、全体に結合が緩い。両手の動きは2羽の蝶々が気ままに飛んでいるようでもあり、左右で拍がずれるんじゃないかと思うが、ギリギリのところで奇跡みたいに辻褄が合う、ということが繰り返される。身体の結合も緩そうで、運動選手だったら、どこかしら首と名の付くところをグネってしまうだろう。軟体。骨はどこに。

聴いているうちにだんだんと怖くなるのは、両手が意思を持った生き物のように動くあまり、それらを制御しているはずの脳みそというか、藤田さん本人がいないように感じられるところだった。通常の演奏で奏者の存在の手応えを感じるであろう場所に、白い大きな穴が口を開けているだけのような、不在の感覚。それは私がモーツァルトに感じる不安感とよく似ていた。

去年聴いたアレクサンドル・カントロフの演奏にも、コントロールをぎりぎりまで手放し、感情にゆだねる度合が傑出している印象を受けた。ただそれを選択しているのはあくまでカントロフ本人であるのに対し、藤田さんは、表現が、視覚的に見える部分ではその両手が、本人の意思までも凌駕しているように見える。

その後のリストのソナタから後半のブラームス、クララ・シューマン、シューマンにつながる間に、藤田さんは意思を持ち、しだいに身体の結合は固くなり、上へ上へと浮いた手は身体とともに下方へと沈みこんだ。そしてアンコールを弾き終わる頃には、折り畳んだおざぶのように、背中も丸まってしまった。

後半の演奏は、ひとつの時代に生きたある魂を、何かの力でぱーんと3分割したように感じられた。大きな目で見れば、そのような3つの人生だったのかも知れない。すべてを聴いた後では、はじめのモーツァルトが精度の高い演技だったと分かる。

しかしどの時代の演奏においても、手自体が呼吸しているようだ。出入りの時にも常に猫背で、「うらめしや」的に手を前に垂らしているのは、実は手のひらにある呼吸器官を守るためなのかも知れない、などど思う。ヴァイオリニストの背骨がヴァイオリンに合わせて湾曲してしまうように、ピアノに合わせて身体が変わってしまっているようだ。隣の夫は「肩甲骨の間に膝を入れて、腕を後ろから引きたい」と言っていた。分かる。ちなみに、「リストって初めて聴いたけど、なんか気障ったらしいね!」と言っていた。率直でよい感想である。

コンサートの後、アフタートークがあった。このコンサートは、東京音楽大学学長でもあり、藤田さんの師であった故・野島稔さんにささげられたコンサートだったため、野島さんとの思い出が語られた。野島さんは横須賀ご出身で、「野島稔よこすかピアノコンクール」も創設された方だ。非常にまずい演奏をしてしまった時に「この子は僕が見ます」と言われて始まったという野島さんとの師弟関係、口数が少ない野島さんと話すためにタバコをはじめ、憧れて歩き方もゆっくりにしてみたりしたこと。

ラン・ランやユジャ・ワンのようなきらびやかな表現に憧れて「戦争ソナタ」を弾いていた時の野島先生の一言に、雷に打たれたように目が覚めたこと。たった2回だけ褒められた思い出。ゆっくりと音を探るように一日中ピアノに向き合い、「コンサートのため」ではなく、どんな場でも変わらず自分の音楽を追求していく姿勢。

どのような分野においても、どんな師と弟子も、同じ美点と時に課題を持つ。私は野島さんの演奏を聴いたことがなかったので、ご存命のうちに野島さんの演奏を聴いてみたかったと思った。でもたった今、より深く聴いたのだろうと思い直した。来週の水曜日にはカーネギーホールで同じ曲目でリサイタルだそうです。