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平和な世の茶人

根津美術館へ、「大正名器鑑」の茶碗と茶入を見に。大正名器鑑とは大正時代に実業家の高橋箒庵さんが、由緒ある875点の茶道具を実際に見て、特徴や由来などを整理したもの。将来の災害などによる喪失に備えてと着手した箒庵さんは偉い。実際6年後に関東大震災でいくつかの道具は焼失した。

これも勉強と思ってお道具を眺めるが、何が良いのかさっぱり分からないため、つい茶人たちのエピソードの方に着目してしまう。それにしてもその頃の成功者たちはみんな楽しそうである。

例えばある日の箒庵さんは、午前中、小石川の酒井家で茶道具の調査をした後、午後梅若流の舞の舞台に立ち、夜は山縣有朋との飲み会に参加している。バイタリティ溢れる、現代のアマチュアピアニストのみなさんのようだ。

根津美術館を作った根津嘉一郎さんは、箒庵さんに信楽の花入がきれいすぎて趣がない、と言われ、「じゃあ割ろっか」と割ったら割ったで割れ過ぎてがっかりし、その翌日に三井財閥を支えた益田鈍翁さんに褒められて「良かった😊」と機嫌を直したりしているのもかわいい。

鈍翁さんがどうしても欲しい道具を譲ってもらえなかったから「じゃあ預かるってことでお願い!」とか言ってる手紙は往生際が悪い。 

男性女性で物事を語るのがふさわしくない世の中になってきたが、収集癖が強いのは男性の方が多いように思う。茶道具の収集って、トレカとか、私世代ならビックリマンシールとか、ポケモンとかと根は変わらないような。。

若い頃にアドレナリンを出し尽くして成功した男性が、本来の収集傾向と押し殺していた「女性性」を合わせて繰り出してくるのが引退後の茶人生活なのではないか。

言葉遣いは違えど、伝わって来るのはこういう会話だ。「ね、この茶入かわいくない〜?ほらここのお尻のところ、ぷっくりしててさ〜」「分かる〜萌え〜。ね、こっちも見て。こういう釉薬の流れ方って、珍しくな〜い?」「あ、すごいね。かわい〜い」 

・・そういったところに、漠然と性差による壁を感じる。成功して巨富を手に入れた後だからいいようなものの、若い頃に夫がこれをやっていたら、「大の大人がちまちま道具集めてんじゃねーよ!だいたいそれ中国の七味入れって聞いたぞ。そんな暇あったら子育て手伝え!早く稼いでこい!」と恐ろしい剣幕で立ちはだかった勝ち気な奥方も過去にはいたに違いない。そもそも戦国時代においても、腹を痛めて子を産む女性に、茶道具のために人が死ぬ世界を納得したとは考えづらい。ま、ほとんどの男性もそうだと思うけど。

そういう女子的おじさんの気配を一切感じないのは利休周りの道具や筆くらい。あとは、ひょうげる演技をしていた織部くらい。
 
自らを歴史の中でどう位置付けるか、という点においても、今日見た箒庵や嘉一郎、鈍翁のように、整理しといたから後の世の人、あとはよろしくね、というのが凡人にも想像しうる健全な後世との関わりである。

死と引き換えに、その後の何百年も続く茶の湯の祖としての存在を手に入れることを知っていただだろう利休のあり方は、そういった穏やかさとはかけ離れたものだ。

利休は能力の高さと表裏のように持って生まれた自身の業の深さを持て余し、結局は受け入れた人のように思う。

利休が生きていたら、大正時代の茶人でさえ「先人の価値に乗っかって遊ぶとは。。本当の茶とは自らの価値を作り出すことぞ!」と恫喝されそうだ。

しかし裕福な女子的おじさんが名器を愛で、その富で文化を守り次世代に伝えるのが平和な世の証である。利休は怒りそうだが、その方がいいなと思いつつ帰った。