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隠すか、顕すか ~部落差別の歴史~

 最近考えている部落差別。
 「そっとしておけばなくなる」「私の周りで、部落の人なんていない」という、いわゆる「寝た子を起こすな論」

 この考えは、現代的なものなのだろうか?

 実は昔から部落の歴史や実情、出身であることを「隠す」か「顕す」かという考えは対立してきた。

 今回の記事は、その歴史をまとめてみました。

1 歴史

1901年 柳瀬 頸介 「社会外の社会 穢多非人」 顕す
この本では、ゑたの名称の研究などが載っている。

1904年 島﨑 藤村 「破戒」 顕す
部落出身の丑松が、その出身を隠すか顕すか葛藤する物語。この本で、おそらく初めて部落の実情がしっかりと世に広まったと考えられる。

1929年 水平社による「破戒」の出版停止 隠す
「破戒」に書いてある、部落の起源に関する記述の誤り、部落民の描写が差別を助長すること、丑松がテキサスへ行ったことが現実からの「逃亡」だと非難した。

1939年 「破戒」が修正されて再出版 顕す△
島﨑藤村が朱書きで表現を訂正して、再出版。そ
 れにあてた島﨑藤村の言葉
 「私の破戒の中には2つの像(父と先輩)がある。
  あるものは前途を憂いるあまり身を過去を覆おうとし、
  あるものはそれを顕すことこそまことに過去を葬る道であるとした。
  この2つの間を往復するのもまた人の姿であろう」

1953年 初版の「破戒」の再刊行 顕す
出版社の努力が実り、再刊行できた。しかし、これに対して抗議があった。

1975年 部落地名総鑑事件 隠す
部落の青年たちの就職や結婚を阻む目的で、大企業などで利用。
 糾弾された。
 改めて、部落の場所は隠された。
 当時のことを考えると、これは正しい判断だと思う。

2002年 ハンナン事件
 同和利権の、最も有名な事件。

2 私の考え

 現在も残る部落差別。
 差別の目印となっているのは、「土地」です。

 鳥取ループのような方法で、自らの利益目的で、部落地名総鑑を発行して、それによる被害者が出て知らん顔というのは、私は許せません。
 しかし現在、残念ながらネットで調べれば部落の場所はすぐにわかってしまいます。
 また、部落に対する偏見も根強いです。

 今の時代、当事者が「顕す」のではなく、当事者以外が「晒す」状況が起きています。隠そうにも、隠しきれない時代が到来しています。

 それならば、当事者やメディアが差別の実態を顕すことが、真の解決なのではないかと考えます。

 一般庶民の私ができることは、正しい情報を仕入れたり、偏見を基にした知識があれば指摘したり、講演会に参加したり、とできることをしていきたいです。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

参考文献

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