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へっぽこ探偵、世にはばかる?

世界一有名な探偵シャーロック・ホームズは相棒ワトスンにこう言った。

「君はただ眼で見るだけで、観察ということをしない。見るのと観察するのとでは大違いなんだ。」

鋭い観察眼に深い洞察力、幅広い知識と犯人を追い詰める巧みな話術。名探偵は大抵頭が良くて切れ者だけどちょっと変人なのがデフォルトだ。

でもこの本の名探偵は全くの真逆なのだ。

桜井鈴茂「探偵になんて向いてない」

主人公の権藤研作は、バツ2で家無し仕事なしのところを昔のよしみカゲヤマに拾われて編集プロダクションのライターとして働いている。物語はカゲヤマの「たしかゴンちゃん、興信所だか探偵所で働いてたことあったよね?」という一言で始まる。松田優作主演の『探偵物語』に長年憧れていたカゲヤマは、会社の”リスクヘッジ”といって新事業として探偵所を開こうとしていた。そこに白羽の矢が立ったのが、カゲヤマに人生救われて頭が上がらないゴンちゃんというわけだ。

成り行きで探偵になったゴンちゃんは情に脆く美人に弱く、何より人に優しすぎる。鋭い眼光で人間観察することも誰かを騙す策略をめぐらすことも出来ない。向いてないのだ、探偵に。

ゴンちゃんに持ち込まれた依頼は浮気調査・尾行・人探しと王道ばかり、でもどれも思わぬ方向へコロコロと転がっていく。それも予想と違った方向だからといって、何故か悪い方向には向かわない。

「向き不向きの話ですけど・・・探偵に向いている人は権藤さんのような探偵にはなれないような気がします」

余命わずかと宣告された美人の依頼人からゴンちゃんに贈られたこの言葉。尾行もまともに出来ないへっぽこ探偵だけど、依頼人に寄り添い一緒に悩み一緒に困る探偵は、たしかに他には見たことない。弱弱しい眼光と自信なさげなゴンちゃんに救われる人がたくさんいる。探偵というよりカウンセラーみたいだな、と思った。

この本の中扉にマタイによる福音書の一節が引用されている。

人にしてもらいたいと思うことはなんでも、あなたがたも人にしなさい

まさにゴンちゃんの探偵道を表す言葉のようだ。これが作品の一番頭に置かれているあたりにセンスを感じる。読み終わってからじんわり染みる一言、個人的にとっても好きです。

そして今回も装丁のお話をさせてもらうと、明るいベージュの地に柔らかいタッチで描かれた作中に登場するモノの数々。表紙上部には「A DETECTIVE WITHOUT TALENT」と題名の英訳がセリフ体で書かれている。帯は目を引くショッキングピンクで、ぱっと見て物語が探偵ものとは思えないようなお洒落なデザインだ。
これは完全に私の好みだけど、作品の登場人物の姿が出てこない表紙が好き。読書って読む人それぞれが頭の中で場面や景色を想像して、同じ文章から十人十色のイメージが生まれるところが面白いと思う。だから表紙のイメージに固定されてしまうのが少し勿体ないような気もする。
その点今回の装丁は作品の世界観を大切にしつつストーリーや読者の妄想に邪魔しない、いいデザインだと好ましく思った。ぜひ素敵な装丁に引き寄せられて手に取ってみて。

ゴンちゃんは決して名探偵ではないかもしれない。
だけどシャーロックホームズもゴンちゃんみたいな探偵には、なれないね。


読了日:2021年8月7日

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