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親愛なる先輩へ

私の誕生日の前日に 農家の嫁で尊敬する大好きな先輩が天国へ

私と先輩の出会いは24年前になる
私たちは埼玉から長女を連れて熊本へ帰ってきた
先輩家族は大阪から家業を継ぐために2人の娘さんを連れて同じ地区に帰ってきた
先輩達が4月私たちが8月

お互い4世代同居
先輩の家は農家とは違う職種で旦那様が社長さん

先輩は義父母と一緒に農業を頑張っていて
旦那さんの同級生との繋がりもあってこの地区に知り合いの方も多かった
社交的でコミュ力も高くて

いつも会話の中心にいて笑いのたえない周りが笑顔になる人だった
お酒も好きでよく飲みにいった

先輩が2005年に長男
私が2006年に長男を出産した

歳が近い男の子同士でよく喧嘩もしたけど今でも2人は仲が良い
小学生の頃は夏休みには長男が先輩のお家にお泊まりして
帰りたくないという長男を引っ張って連れて帰ってきたことも

子供達が大きくなると問題も色々でできて私の悩みなんかちっぽけで
はたから見ても先輩の気苦労は相当だったと思う

でも先輩はどんなことにも前向きで落ちこんだ姿は見せなかった



9年前からガンを患って
色々な治療方法を試して頑張っていると聞いていた

同じ地区にいても会う事はほとんどなかった

何度もLINEをしようかなと思い書いては消して

病気の先輩になんて言葉をかけてよかったのかわからなかったから
ご飯に誘うこともできない
楽しい話も気がひけて

でもある日先輩から突然
「今日ゆずちゃんと神社にお参りに行った夢見たんだよ
私が元気になったらいこうねって」

「もちろんです  絶対行きましょう」
闘病生活をしながらも私のことを気遣ってくれて嬉しかった
実現はしなかったけど 
どんな状況でも愛に溢れるかただった

亡くなる3日前ぐらいから
ふとした時に先輩どうしてるかなぁと思うようになってきた

そして
私の誕生日の前日の朝に亡くなった
54歳


まだまだやりたいこともあったのに
長女さんの2人目も生まれてお孫ちゃんの子守りもしたかったはず

亡くなったと聞いたら
ポロポロ涙が落ちてきた

先輩のお家にお参りにいくと穏やかな顔で横たわっていて
本当に苦しい闘病生活の中にでも生きたいという希望を持って最期まで病と
闘っていたとのこと 
家族一人一人とお別れができたって
でも最期には もうゆっくりしたいって
どんな時でもがんばりやさんだったから

お通夜で生前の先輩の家族との写真や動画が
徳永 英明の 「優しさで溢れるように」と共に流れてきて

いまでもその曲を聴くだけで涙があふれてくる

先輩からはいろいろなことを教わった気がする
幸せってなんだろう

先輩の分までなんていったらおこがましいけど
どこに行く時にも先輩を一緒に連れていこう

もう一度会いたかった

先輩今まで本当にありがとうございました


先輩の分も強く生きるね


ゆっくりしてください






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