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苔の生えた絶望



「人はみなそれなりに不幸せを抱えているんだって
勝手な羨望と自己否定をやめたい」
午前1:41 · 2023年6月6日 69件の表示



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「だから、あなたが自分の不幸を打ち明けてくれたのは
とても嬉しかった
自分だけが孤独であるなどという傲慢な思い込みを持つ人が他にもいるということは、単純に救いでもあった」
午後6:44


「しかし、それは同時に終わらない不幸の連鎖でもあった 私は誰かに不幸を打ち明けられても、それにすら羨望の目を向けてしまったからだ」
午後6:46

「あなたには悲劇のヒロインになる資格があった
あなたの問題はあなたの身体の外部に原因があるのに対し、
私の抱える不幸はそうではなかった」
午後6:48

「私はもはや創作以外の何もかもが楽しいと思えない
どんな人間との営みも関わりも本質的には興味がない
すべて創作の血肉になるという前提を迂回しなければ、私はこの世界と他者に興味を持てない 自分の世界を広げたいと思えない
私には幸せになる才能がないのだという厳然たる事実が、けして私以外の誰のせいでもない身体の内部にある問題が、倒れて苔の生えた大木のようにいつまでも横たわっている」
午後6:53

「私の不幸には、終わりが見えない
終わりが見えないことだけが徐々に見えつつある
何か行動をすれば、原因を駆除すれば解決するような問題ではないことが分かってくる 私のこの性質は長い時間をかけてじっと私の心に根付いたものであり、もはや不可逆的にすら見えるほどだ
もちろん、同じように長い時間をかけて私の心を甦らせることもできないことはないのだろう、その間私は常に興味のないことに興味のあるふりをして生きていくことになるのだけれど」
午後6:58


「それはとてもしんどいから、私は創作に逃げている
創作という唯一のよすがに縋って、私の生きる意味を必死に見出そうとしている
最悪、仕事やそれにまつわる人間関係が全て嫌になっても、創作で生きていければいいと、そんな幼い現実逃避を頭の片隅に防空壕として蓄えている」
午後7:01


「しかし、それがそんなに上手くいかないことも分からないほど子供でもなくて、結局は現在の延長がこれからも続いていくのだという実感を抱えている
世界を愛する心を取り戻す過程で心が折れるか、不可逆的に心が戻らないことを悟った時に、創作にも希望を見いだせなければ、私はもはや生きていないのだろうと確信する」
午後7:04



「さて、私の不幸はまともな反撃になっただろうか。降参でもしてくれるだろうか? ともかく、あなたの文章は悔しいくらいにとても素敵だった
私はいつでもあなたに対して悔しいと思っているよ
まあ、私の持たぬものを持つすべての創作者に対して、私は言い知れぬ羨望と劣等感を抱いている訳だが これも歪んだ自己愛の結果なのだから笑えないね」
午後7:09 送信済み












P.S.


「ここで話した創作は「生きるため、自己肯定のため」という手段としてのものですが、 一方、私が創作を何のためにやっているかといえば「私という存在をハンコのように焼き写す」という目的なんですよね
世界の美しさを遺すためではなく「世界のある部分を美しいと思った/美しいと思いたかった私」を遺すための創作だったりするのかもしれません もちろん単に楽しいからでもあるんですが
そういう記憶媒体的な、自己保存欲求の現れ的なもので……

だとすると幸せな家庭を持って、愛する子供が産まれたら自分も創作をやめてしまうのかもしれないですね
でも、その幸せな気持ちを自分の子供が大人になっても死んだあとも残しておきたいと思えば、私は筆をとるのだとも思っています」

午後11:30

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送信済み

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