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SF小説「ジョナサンと宇宙クジラ」を読んで

久し振りのnoteです。

今年、大阪の淀川にマッコウクジラの子供が迷い込み
命を落としてしまった。それで、クジラについて
思いを巡らせていたら、ロバート・F・ヤングの
SF小説「ジョナサンと宇宙クジラ」という本に出会い、
読んでみると、内容が深くてとても面白かった。

物語はSFなので未来の世界が舞台である。
宇宙に漂う巨大なクジラを撃退する任務を担うジョナサン。
しかし一瞬のためらいがあったのか、
任務に失敗してクジラの中に入ってしまう。
実はそのクジラの中には、地球と同じように人々が住む
世界があった。ジョナサンはここがクジラの体内である
ということをわかっているが、人々はそのことを
知らないのか、あるいはうっすらとは気づいてはいても
意識から排除しているようでもある。
ジョナサンは人々が本当のことを知らないことを
驚くとともに孤独を感じる。
実は、過去に地球から一部の人々がこの宇宙クジラの
体内に移住してきて、ここに今住んでいるのは何代か
後の子孫である。先祖がここに来たいきさつなどは
いつしか忘れ去られていた。
文明は進んでおらず、人々の意識は
ジョナサンがいた地球より遅れていた。
そのため、人々はジョナサンが当たり前のように
知っている考えやアイデアを、素晴らしいと思ってしまう。
例えば、営業マンに効果的な宣伝方法を教えると、
それが功を奏して喜ばれるが、ジョナサンはそれが
人々の潜在意識に働きかけ、購買意欲をかき立てるだけの
心理操作であると自覚していて、決して人々に真の
幸せをもたらすものではないと知っているので、
感謝はされるものの、自分は本当に良いことを
しているのだろうかと心に葛藤が生じてしまう。
未来に対する懸念などがありながらも、
ここで出会った女性と結婚して家庭を築くことにもなる。

一方、宇宙クジラには意識があり、
ジョナサンとだけテレパシーのような方法で
交信することができて、この二人の会話がまた興味深い。
この宇宙クジラと、現実に私たちが住む地球を
重ね合わせて読むことができ、宇宙クジラも地球も
母性を思わせ、人間による自然破壊に耐え、
どうにか持ちこたえているような姿に思いを馳せる。
私たちも地球に住んでいるつもりだけれど、実は
クジラか何かの中だったりして、というような
錯覚も感じてみたりした。
最後は、宇宙クジラはある決断をする。
重いテーマを含んでいながらも、クジラと
ジョナサンとの優しさが流れる交信に、
ほどよくセンチメンタルな余韻が残る
読後感であった。

短編集なので、他にもいくつかの物語を読むことができ、
特に最後の「いかなる海の洞(ほこら)に」は
巨人がらみでありながら、「人魚姫」へのオマージュを
思わせる要素もあり、読み応えがあった。

(ヘッダーの絵は、物語のクジラそのものでは
ないですが、まだ描いている途中の絵の一部です。)


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