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余談 : Blackmore's Night at Neu-Isenburg in 2013

 先月にBlackmore's Nightのギグに出かけたというのは本連載でお伝えした。会場のあるノイ=イーゼンブルグはつまるところフランクフルトであり、日本とイタリアを往復する乗り継ぎの途中、ストップオーバーを利用して出かけたのである。

 ドイツのノイ=イーゼンブルグはフランクフルト空港から東に5kmという距離にあり、というのも先月に述べた。この距離をして最初は「歩けるかな」と思った。いや、普通は思わないのだが、歩けると確信したのは、過去にそうした経験があったからだ。

 あれは何時のことだったか。ロンドンからフィレンツェに戻ってくる際、夜便の出発が遅れに遅れ、結局、フィレンツェ空港に到着をしたのは夜中の1時過ぎだった。その時間には市内行きのバスは終了をしており、手持ちの現金も全てがポンドでユーロのキャッシュがない。タクシーに乗ることもままならないため、どうしようかと思案したあげくの答えは、

「歩いて帰るか...」

 フィレンツェ空港から我が家までは約10kmという距離にあり、見知った通りでもある。少し重たいが、スーツケースを引きずりながら歩いて帰ることにした。そして、空港から市内に向う幹線道路“レッドライト”の下には、フッカーのお姉さんたちが50mごとに立っており、〈冷やかされながら〉になるのも分かっていた。
 ちなみに、このお姉さんたちの殆どがトランスジェンダーなお兄さんたちで、「寄っていかない?」「遊んでいきなさいよ」などの声がけが絶え間ない。ぼくとして、彼らは組織化されたプロではなく、あくまでも個人営業のアマチュアなので、恐いと言えば恐いのだが、退屈することなく歩いて帰れて、これは貴重な体験にもなった。

 そんなことがあったから、フランクフルト〜ノイ=イーゼンブルグも「歩ける」と思ったわけだが、歩きは最後の手段である。空港からBlackmore's Nightのコンサート会場にはもちろんSバーン(地下鉄)を利用して出向くことにした。

 ちなみに、フランクフルト空港から会場のあるノイ=イーゼンブルグへ行くには直接乗り入れの電車がなく、いちどフランクフルトの中心街を経由しなくてはならない。フランクフルト国際空港は、欧州のハブ空港でありながらも市内の中心地にほど近く、その距離は南に10kmというもの。つまり市内中心地〜空港〜ノイ=イーゼンブルクは二等辺三角形という位置にある。
 そうして地下鉄を利用してノイ=イーゼンブルグ駅に到着し、会場に向って歩き出すも一向に到着をみない。この街はフランクフルト中心街のベッドタウンという趣き、のんびりとした住宅街を往くも、それらしき会場は姿を見せない。改めて地図で確認してみれば、駅から会場まで3km以上の距離があり、ようやく到着したのは開演から45分も過ぎというのは、これまた前号で記した通りである。

会場となったHUGENNOTTENHALLE入口

 コンサートも終了し、会場の外に出たのは23時だった。行きの時分は20時を過ぎであったため、まだまだ陽も高く明るい中を会場まで歩いて向ったのだが、さすがに23時から24時という時刻になれば辺りは真っ暗である。
 欧州のコンサートは日本と異なり、開演時間が遅い設定にある。そのために、終演も遅くなり、公共の交通機関が終了している場合がある。なので、会場には自家用車などで、というのが鉄則ではあるのだが、今回は日本復路時のストップオーバーを利用しているため、自家用車を使用できるわけもなく、ならばレンタカーを利用すればよいのだが、高々5kmの距離で一日借り出すのももったいない。
 会場前にはバス停があり、深夜バスが走っているようだが、路線図を見ても、これがどこに向うバスなのだか検討もつかない。流しのタクシーが住宅街を走っているわけもなし。さて、どうしたものか。

「歩くか...」 

 フィレンツェ空港から自宅に歩いて帰った時のように、大きなスーツケースを転がしているわけでもなく、PCの入ったキャリーバッグがひとつという軽装である。またノイ=イーゼンブルグから会場まで3km以上を歩いてきたわけだから、「二等辺三角形」という距離を鑑みれば、空港まで近いのではないか。

「1時間以上はかかるんだろうけれど、歩けなくはないかな」

 コンサートの余韻に浸っていれば、あっという間だろうと考えながら歩き出したのだが、直ぐに後悔をした。車の往来はあるものの、人の行き来が皆無なのである。
 行きは明るかった街並も深夜になれば全てが暗闇で、且つ街灯も少ない。急ぎ足で向うも、とにかく歩いている人が皆無なのである。住宅街の中を進むわけだから、家には明かりが灯っており、人の気配はある。しかしそのうちに、家の並びも途切れ、その先はドイツが誇る黒い森である。

「ここで唐突に襲われたら、誰にも分からないじゃないか...」

 その刹那、震えという怯えではない、頭皮が粟立つ、且つて経験したことのない危険信号がわき出した。
 鞄を抱えて猛烈に走る。それでも人は現れない。続けて走る。森は途切れない。まるで悪夢である。
 走る、走る。息が上がらないのが不思議だが、何かしらの〈アラーム〉が鳴っているため、有酸素が通常以上の働きを見せているのだろう。
 走る。そしてようやく、再度の住宅街に出たところに人がいる。それでも走る。その人物が彼だか彼女だか、善人だか悪人だかも分からない。自分が怪しまれても構わない。そのまま走り続ける。
 いわゆる文明国で、それも治安の行き届いているドイツで何を怯えているのか。それでも〈アラーム〉は鳴りっ放しである。

 生きた心地がしないとはこのことで、走り続けた先には行きに利用しSバーンの駅が現れ、深夜であるにも係らず、一台のタクシーが停まっていた。

「助かった...」

 女性は大概、そうした〈危険〉には早くから気づくようだが、日本やイタリアの日常に甘んじ、ぬるま湯に慣れた自分には迂闊な行動だった。

 皆の衆もコンサート後の対応にはお気をつけあれ。

(beatleg Magazine 2013.Vol,159から転載/改稿)

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